アートの聖書

絵画、映画、ときどき音楽

東京富士美術館〜ラ・トゥールの奇跡

東京富士美術館

新宿から中央線に乗り八王子まで40分、西東京バスに乗り換え創価大学まで25分。ちょっとした小旅行の先にジャスティスな美術館がある。

東京富士美術館

東京富士美術館

都心や上野にミュージアムが所狭しと並ぶなかアクセス不便な場所。しかし、ルネサンス期の画家ベッリーニからアンディ・ウォーホルまで500年近い西洋画の美術絵巻を漂流できる。歴史を全身に浴びられる美術館は東京でも希少。

東京富士美術館

年季の入ったコインランドリーが近くに

山形で大雨、東京で猛暑が襲った令和六年7月26日の金曜日。前日にギックリ腰になり、本来なら寝込んでいたいが、あと1年で20以上の美術館を回らないといけない。

東京富士美術館

気温36度。激混みの蒸し風呂のバスに揺られ、フラフラになり到着。

東京富士美術館

アントワーヌ・ブールデル《勝利》1923年のブロンズ像が出迎えてくれる。かなり男性的な美術館。「我々は勝利した」と言わんばかりに美術館が勝ち誇っている。これほど自信満々のミュージアムは初めてだ。お手並み拝見。

東京富士美術館

ホールに入ると左側に券売機。女性スタッフが案内してくれ、SNSをフォローすると1,500円 が200円割引になる。これで企画展も常設展もすべて観られるから安い。エスカレータで上がる。

常設展示室 

第一展示室

東京富士美術館

第一展示室から戦慄。複製とはいえ、ど頭からレオナルド・ダ・ヴィンチ幻の最高傑作《アンギアーリの戦い》とミケランジェロの未完《カッシーナの戦い》を並べるセンス。もし《アンギアーリの戦い》が現存して完成していたら間違いなく《モナ・リザ》を超える絵画だった。ルーベンスの模写を観れば確信できる。アート史の二大巨匠の複製画に触れさせることでストレッチを行う。未完の浪漫から入るところに東京富士美術館の包容力を感じる。

第二展示室

東京富士美術館,常設展示室

東京富士美術館のヘッドライナーは第二展示室にある。この写真からも東京富士美術館の展示のうまさがわかる。空間と絵の配置が完璧。窮屈すぎず空疎すぎず。見事。

ジョヴァンニ・ベッリーニ《行政長官の肖像》1507年頃

ジョヴァンニ・ベッリーニ《行政長官の肖像》1507年頃

代表作とは呼べないが、いきなりベッリーニの絵画から始まる。芸術後進地だった地から「ヴェネチア派」を生み出し、線ではなく色調によって立体感を出した初期の画家。

ルーカス・クラーナハ《ヨハン・フリードリヒ豪胆公》1533年

ルーカス・クラーナハ《ヨハン・フリードリヒ豪胆公》1533年

続いても代表作ではないが、ドイツ美術の偉人ルーカス・クラーナハ。500年前の絵画と対話できるのは奇跡。

ピーテル・ブリューゲル(子)《雪中の狩人》17世紀

ピーテル・ブリューゲル(子)《雪中の狩人》17世紀

冬の絵画のトップランナーである《雪中の狩人》を子が模写。父親の本物はどれほどの迫力なのか。

ピーテル・ブリューゲル(子)《農民の結婚式》1630年

ピーテル・ブリューゲル(子)《農民の結婚式》1630年

同じく父の模写。これも遠近法が見事。第二展示室はルーベンスドラクロア、アングル、フラゴナールなど巨匠の絵画が複数ある。代表作ではないとはいえ、これほどの点数を揃えるのは並大抵の収集力ではない。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》1646年

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》1646年

世界に40点しかないラ・トゥールの絵画が日本にある。ゴッホ《ひまわり》がSOMPO美術館にある奇跡を超える。キアロスクーロ(明暗法)の極致。もはや神の領域。ギックリ腰になっても、這ってでも来る価値がある。光と闇、絵画の真髄。有名人でもない平凡な男がタバコを吸っているだけ。なのに深淵と迫力がある。大自然の太陽光ではない人工光。しかも無名の男の何でもない日常。だから凄い。タバコの光は生命の鼓動。宵闇を彷徨う太陽のような、夜に開く蕾のような絵。オランダのレンブラント、スペインのベラスケス、フランのラ・トゥールと呼ばれるのは伊達ではない。ラ・トゥールは光と闇の宿命を、光と闇の自由を完全に掴んでいた。絵画が絵画である証明。写真でも映画でも音楽でも生み出せものをジョルジュ・ド・ラ・トゥールは体現した。間違いなく日本列島に存在するすべての絵画のなかで頂点。

第3展示室

東京富士美術館

第三展示室は近代に入る。急激に色調が明るくなる。緊張が解ける。

クロード・モネ《海辺の船》《プールヴィルの断崖》

クロード・モネ《海辺の船》《プールヴィルの断崖》

モネの海の絵を2枚並べるセンスの良さ。

クロード・モネ《プールヴィルの断崖》1882年

クロード・モネ《プールヴィルの断崖》1882年

パステルカラーのような崖。恐怖も圧もない。かといって底抜けに明るいわけではない。モネの絵は水平線の眼差しによって描かれる。人生という緩急と高低の連続の中で、どこまでもモネは水平に物事を見つめる。

クロード・モネ《海辺の船》1881年

クロード・モネ《海辺の船》1881年

ユトリロが描いたと勘違いした空。モネの画力と先駆性を物語る一枚。これほど男性的な船を描くとは。航海の途上ではなく港にある船。モネがこの船を出迎えにきたようだ。海を描かなくてもモネがいかに海を愛していたかがわかる。

第4展示室

エティエンヌ=モーリス・ファルコネ《アモール》18世紀

エティエンヌ=モーリス・ファルコネ《アモール》18世紀

第4展示室は一作だけ。ちょうどいい頭の休憩地点。美の砂漠のオアシス。東京富士美術館のセンスの良さが光る。

第5展示室

東京富士美術館

第5展示室の多くが撮影禁止。ダリ、キリコ、、ウォーホル。

モーリス・ユトリロ《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1920年

モーリス・ユトリロムーラン・ド・ラ・ギャレット1920年

ユトリロの絵は撮影OK。華やかなムーラン・ド・ラ・ギャレットではなく路地裏。どんよりした空。この絵が表現しているのは形でも色でもなく、空気の重力。重さ。ユトリロは路地裏の聖者が見える画家だった。デ・キリコ《別荘の絵のある形而上的室内》、アンディ・ウォーホルジャック・ニクラウスの肖像》《キャンベル・スープ缶》は必見。特に1缶だけのキャンベル・スープは異様な迫力がある。このあと常設展示室は第8展示室まで続く。モディリアーニが無かったのが残念だが、ラインアップは見事なオールスター。

アメリカン・フォトグラフス展

ユージーン・スミス《楽園への歩み》1946年

ユージーン・スミス《楽園への歩み》1946年

ユージーン・スミス《楽園への歩み》1946年

常設展示室の途中にアメリカン・フォトグラフス展をかますセンスも素晴らしい。ここに挟まなければ見てもらえない。ユージン・スミス《楽園への歩み》は写真集を持ってるけど本物を見れたのはラッキー。幼年と幼女はエデンの東へ向かうアダムとイヴ。本当のユートピアは楽園の外にある。副題をつけるなら《楽園への逃避行、禁じられた遊び》である。

印象派モネからアメリカへウスター美術館所蔵

東京富士美術館

常設展示室でも十分お腹いっぱい。企画展はデザートである。

東京富士美術館

モネの睡蓮の壁画。鑑賞者を楽しませる仕掛け、工夫がうれしい。素晴らしい美術館だ。

クロード・モネ《睡蓮》 1908年

クロード・モネ《睡蓮》 1908年

クロード・モネ《睡蓮》の 1908年 がある。これまで見た睡蓮の中では色調が明るく、最もよかった。

トマス・コール《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》1837 年

トマス・コール《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》1837 年

トップバッター。朝焼けか夕焼けか。始まりか終わりか。黎明か黄昏か。どちらでも構わない。どちらも美しい。

クロード・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》1882年

クロード・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》1882年

ウィリアム・ターナーの絵画もあったが、圧倒的にモネが良かった。海というより雲。モネの水平線の眼差しは空と海を一体化させる。岸壁に立つ一軒家はモネの心臓。この海を見つめるモネそのもの。

ジョルジュ・ブラック《オリーヴの木々》1907年

ジョルジュ・ブラック《オリーヴの木々》1907年

企画展で最もよかった一枚。これがMVP。豊潤なオリーブオイルが生まれる木々を彩りで表現。この絵は綺麗でも上手いでもなく、美味しい。

ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》1896年

ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》1896年

シニャックの点描画は麻薬に近い。陶酔してしまう。シニャックの絵を観れば麻薬中毒者は減る。なんと美しい黄昏か。

斎藤豊作《風景》1912年

斎藤豊作《風景》1912年

驚いたのが斎藤豊作。初めて聞く。佐伯祐三の他にここまで画力のある日本人がいたとは。世界は高い、日本は広い、アートは深い。

ポール・セザンヌ 《「カード遊びをする人々」のための習作》1890–92年

ポール・セザンヌ 《「カード遊びをする人々」のための習作》1890–92年

アンデシュ・レオナード・ソーン《オパール》1891年

アンデシュ・レオナード・ソーン《オパール》1891年

ベルト・モリゾ《テラスにて》 1874 年

ベルト・モリゾ《テラスにて》 1874 年

メアリー・カサット《裸の⾚ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(⺟と⼦)》1902-03 年

メアリー・カサット《裸の⾚ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(⺟と⼦)》1902-03 年

美術館メシ

カフェ・モネ

東京富士美術館

休業中だったカフェ・モネ。次はここでコーヒーを飲みたい。

東京富士美術館

カフェレストラン・セーヌ

東京富士美術館

2周目の前にカフェレストラン・セーヌへ。

東京富士美術館

頭をリセットして、再び美術館を世界一周。

東京富士美術館

ワッフルセット1200円。上に乗った筋斗雲のようなバニラアイスが夏を溶かす。スイーツは温度が命。味覚、味覚というが、食事はその前に触覚がある。唇に触れたときの感覚が最も大事なのだ。

東京富士美術館

東京富士美術館は東京を、いや、日本を代表する美術館である。 オランダのレンブラント、スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥールと呼ばれる意味が分かった。ガラスケース越しでなくて良かった。

東京富士美術館

美術館も絵の飾り方で印象が大きく変わる。コース料理と同じく並べ方の順番によっても印象が大きく変わる。本当にいい美術館は、絵画ではなく体験が最大のアートであることを教えてくれる。それが東京富士美術館である。

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入江長八と伊豆松崎〜漆喰芸術の道

ともに文章を習っている仲間が10月に伊豆松崎町で映画の上映会を行う。文章の先生がトークショーを行うので、会場の下見に同行。新宿駅9時25分発の踊り子号に乗って伊豆急下田駅へ。門人の千里と故郷の伊賀上野に向かった松尾芭蕉の『野ざらし紀行』のような西へ向かう旅。江戸に移って10年になる芭蕉は、すでに江戸が自分の故郷であると詠った。まったく同じ気持ちだ。もはや新宿が故郷になっている。

伊豆の長八美術館

公民館などを回ったあと、なぜか伊豆の長八美術館に案内された。入江長八、初めて聞く名だ。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した工芸家。なまこ壁、鏝絵(こてえ)などの漆喰を使った細工を残した。

漆喰(しっくい)ってなんだ?と思ったが、要は石灰を使った建築材料。それをアートにするとは、かなりの変わり者だろう。気難しい人だったのか。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館は1984年に竣工、なまこ壁など入江長八のアイデンティティを残しながらモダンでオシャレな外観。

展示作品はそれほど多くなく、2部屋だけ。観覧しやすい。

入江長八 《近江のお兼》 1876年

入江長八 《近江のお兼》 1876年

最も良かったのが日本画の《近江のお兼》。ロープの張り、お兼の涼しげな表情と愛嬌のある馬のコントラスト。なにより、どうでもいい鳥がお兼と同じ方向を向いて翔んでいる。この鳥は長八だろう。

階段を登って次の部屋へ。

最初、天井に漆喰の作品があると気づかなかった。

階段を降りると最後の部屋。

入江長八 《富嶽》 1877年 

入江長八 《富嶽》 1877年 

鏝絵(こてえ)の代表作《富嶽》。見事なのは手前の崖。クライマーとして、この富士山は登りたくならない。眺望したいとも思わない。むしろ切り立った崖と漆喰の凸凹がクライマー心をくすぐる。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

入江長八は不本意かもしれないが、《八岐大蛇を退治する素戔嗚》など、漆喰芸術よりも日本画のほうが良い。翌日その直感が確信に変わる。狩野派の絵師・喜多武清から学んだという日本画のほうが力もある。

岩科学校

岩科学校

そのままの勢いで車を飛ばしてもらい、入江長八の代表作がある岩科学校へ。現在は廃校の小学校。

当時の授業の様子などが再現され、算数の問題を解けば売店の買い物が5%オフになる。ブックオフじゃあるまいしとツッコミながら座って問題をのぞいたが汗が滴り落ちて無理。余計な頭を使ったら倒れてしまう。冷房がなく雲ひとつない蒼天の真夏日。給水所のないフルマラソンを完走している感覚。

入江長八《千羽鶴図》

入江長八《千羽鶴図》

2階には入江長八の漆喰鏝絵の代表作《千羽鶴図》。地元の小学校からの依頼で嬉しかっただろう。100羽を超える鶴が1羽たりとも手を抜かず、平等に描かれている。国の重要文化財にも指定され本人に気合がうかがえる。しかし、どの鶴も平等で面白くない。人間も動物も不公平だから面白い。不格好な鶴、虚弱の鶴、飛ぶ気のない鶴がいてもいい。やはり入江長八の真髄は漆喰ではなく日本画にあると思った。

長八記念館

長八を巡る旅は終わらず、翌朝に長八記念館へ。浄感寺のお寺が記念館になっており、長八のお墓もある。間違えて別人のお墓に手を合わせた。

長八記念館

近年の作だと思うが、漆喰芸術の中では最も良かった。

入江長八《雲龍》

入江長八《雲龍

天井画の傑作《雲龍》。ミケランジェロのごとき長八。観る角度によって龍の表情が違う。ニューヨークの自由の女神像のようなもの。

雲龍の天井画は京都の寺によく見られるが、長八の龍は圧迫感がない。迫ってくるプレッシャーがない。ボクサーでいうマイク・タイソンのようなインファイターではなく、モハメド・アリのように様子をうかがうアウトボクサー。長八自身、グイグイ押すのではなく、俯瞰して物事を見る人だったのだろう。

画像

伊豆は夕景が名勝であり、入江長八も空や鶴や龍などの作品が多い。鳥も好きだった。空が好きだった。海を渡るのではく、翔んでいきたい。だから漆喰芸術の突飛な発想が生まれたのだろう。入江長八の漆喰芸術は「道」である。僕は今、借金を背負い、収入がなく負債はどんどん増えている。目の前に道はない。しかし諦めずに歩み続けた先に「道」はできる。伊豆の旅と長八の作品がそれを教えてくれた。苦しみながらも前に前に進ことで必ず道はできる。

北海道立近代美術館と鳥獣戯画

前夜にエスコンフィールドで日本ハムvs.楽天戦を観て、翌朝11時に美術館に向かう。"動"のスポーツと"静"のアート。令和6年は徹底的にこの二刀流だ。

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お世話になった新札幌駅内にあるアークシティホテルは静かで快適な一宿だった。穏やかな気持ちで向かえる。

北海道立近代美術館

北海道立近代美術館

北海道立近代美術館は札幌駅から歩いて30分。快晴の日差し。札幌は夜にグッと冷え込むが日中は東京と変わらない。街並みを見たかったので歩いたが、近くまで「道立近代美術館」のバス停があるので利用したほうがいい。もしくは地下鉄東西線「西18丁目駅」で下車。

北海道立近代美術館

北海道立近代美術館は1977年(昭和52年)7月20日の開館。周りには北海道ゆかりの芸術家の像が多くある。

北海道立近代美術館

美術だけでなく彫像なども多いのでアートに触れる環境としては申し分ない。さすが道立であり北海道のスケール感があるミュージアム

北海道立近代美術館

展示室はAとBの2部屋。入館すると、いきなり長蛇の列。木曜日の12時過ぎ。都心の美術館かと思うほどの長さ。『鳥獣人物戯画』が北海道へ初上陸とはいえ異常だ。山田五郎YouTubeで「企画展が開かれるたびに地獄のような混みかたをする」と言っていたのは本当だった。

北海道立近代美術館

とても並んでいられないので、先に常設展を観ようとスタッフに聞くと、なんと常設展示がない。2部屋とも企画展。ユトリロやキスリング、最も観たかった神田日勝《室内風景》もなし。これはホームページが悪い。きちんと書いてくれないと常設展示室があると思い込む。展示室Aでは浮世絵をやっているが、誰も入っていない。鳥獣戯画だけで1,900円の高額。しかも1巻目の後半だけの展示という中途半端で。他の美術館なら企画展と常設展がセットだが、いやはや。

京都 高山寺展―明恵上人と文化財の伝承

京都 高山寺展 ―明恵上人と文化財の伝承

仕方なしに鳥獣戯画のチケットのみ購入するが、入場規制で30分以上も並ぶ。ようやく入館してからも長蛇の列。まったく進まない。最初に展示してあるのが複製。そのあとガラスケース越しの国宝展示が続く。待つのが無理なひとは後方から覗き見ができてスイスイ進めるが、こんな小さな絵巻を遠目で見ても意味がない。むしろ鑑賞するスピードを早めないと。立ち止まっての鑑賞を禁止すべきだ。モネの『印象、日の出展』のときは動きながらの鑑賞だった。普段の客入りがわからないが、常に満員の上野の美術館から誘導を学んでほしい。結局、最初の絵を観るまで1時間以上もかかった。

鳥獣戯画

谷川で水遊びをする兎、猿、鹿

鳥獣戯画の冒頭。谷川で水遊びをする兎、猿、鹿

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市高山寺に伝わる墨画の絵巻物。《鳥獣戯画》の呼び方のほうが一般的だ。甲・乙・丙・丁の全4巻、44mもの長さ。作者は複数人で不明。成立時期も不明だが平安時代末期から鎌倉時代初期にかけた12世紀後半から13世紀と考えられている。本来は表裏に描かれたが、剥がされて現在は4巻に分かれている。最も有名な絵は甲(1巻)の後半に集約され、だから今回の大行列ができた。乙は動物図鑑、丙は動物と人間が登場し、丁は人間のみ。

鳥獣人物戯画

甲巻は縦30.4cm 全長1148.4cm。11の動物が登場し、主役は兎、蛙、猿。主従関係が入れ替わるパラレルワールド。ここで重要なのはウサギが猿を追いかけていること。本来なら猿のほうが強いのに、弱者が強者を下剋上している。

鳥獣人物戯画

最も有名なカエルとウサギの相撲。ここでも弱者であるカエルが勝ち、兎は負ける。カエルは反則技で勝つが、負けたウサギも満面の笑み。相撲というよりプロレスの世界。本来、動物の世界を描くなら弱肉強食。しかし《鳥獣戯画》は逆。映画の世界であり、政権交代を描いている。権力への反抗、政権交代レジスタンス。直接的に描くと弾圧されるので、動物を擬人化することでカムフラージュしている。

鳥獣人物戯画

最後も最強の猿が最も弱いカエルにひれ伏す。もうひとつ、《鳥獣戯画》はDRAGON BALL。悟空が殺人者(大猿になって爺ちゃんの孫悟飯を踏み殺している)の業を背負ったように、 鳥獣戯画の猿、兎、蛙はなにかの業を背負っている。悟空には戦闘民族サイヤ人の血が流れており、その血は育ての親である悟飯を殺してしまうが、その業を背負った結果、悟空の戦いは侵略ではなく誰かを、何かを守るための戦いに変わる。それがDRAGON BALLの起点、贖罪。《鳥獣戯画》の中にも権力が渦巻いている。力関係のヒエラルキーがある。戦いでしか生きられない世界を表した絵画。これが仏教の世界であり、この世は戦いである。それが最大の楽しみであり、生きる醍醐味なのだ。

明恵上人

《神鹿》明恵上人,13世紀

《神鹿》明恵上人,13世紀

鳥獣戯画》の他に最も良かったのが明恵上人の作といわれる《神鹿》。牝鹿の眼の輝きが今日の美術展の不満を洗い流してくれた。アートの偉大さを教えてくれる。

浮世絵のヒロインたち

浮世絵のヒロインたち

せっかくなので、もう一つの展覧会「浮世絵のヒロインたち」も590円で観た。数人しかおらずゆっくり見られる。歌川国貞の絵があるが、川瀬巴水を観たばかりなので少し見劣りした。

岩橋英遠《道産子追憶之巻》

岩橋英遠《道産子追憶之巻》

岩橋英遠《道産子追憶之巻》

全長約29メートルで北海道の朝から夜までを一枚に納めた絵巻。79歳で作ったからか、日の出よりも日没の色合いの見事さが際立つ。

浮世絵のヒロインたち

展示のコンセプトはわからないが19世紀のワイングラスを見られたのは良かった。この日の話を師匠にすると、鳥獣戯画を描いているシーンを想像しなさいと言われた。ストレートに権力を批判すると弾圧される。政権交代レジスタンスを動物でカムフラージュしている。ウサギが猿に勝てるわけないのに追いかけている。カエルがウサギに勝てるわけないのに反則技を使って勝利する。庶民が貴族をひっくり返す。弱者はその痛快、カタルシスをおぼえる。その共犯性、テロ集団こそが鳥獣戯画。テロをエンタメ、アートに昇華したと。師匠には足元も及ばない。

美術館メシ

カフェMarley

カフェMarley

2つの美術展を観て歩き回って腰が激痛。逃げ込むように2階のカフェMarley(マーレー)へ。あまり聞かない画家や彫刻家だと思ったら、ボブ・マーリーから取っている。

カフェMarley

モダン・シック。差し込む光が潤しい。最高の環境。混んでなければ、もう一度、鳥獣戯画に行きたかった。

カフェMarley

珈琲とカカオ68%のベトナム・チョコレート。絵を見るまで1時間並んだ腰痛を癒す。

北海道立近代美術館

鳥獣戯画も1/8しか観れず、望んでいた常設展示室はなかった。それでも機会があれば、また来たい。美術館には「赦し」の効能がある。札幌の残照がどこまでも美しかった。

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山形美術館〜川瀬巴水の記録と記憶

日本の美術展の良いところは東京で見逃した企画展でも、そのあと日本各地を旅していることだ。昨年に見逃した山下清の回顧展を先月に新潟で観たように、日本の美術館は後悔を救ってくれる。八王子美術館で川瀬巴水の版画展を見逃したときは激しく悔やんだが、すぐにリベンジ・マッチの機会は訪れた。東京を北上し、山形に聖火リレーしていた。平日なら新宿から深夜バスで片道4000円以下。迷わずバスタ新宿に向かった。

山形美術館までの道のり

山形美術館

山形美術館はJR山形駅から徒歩15分。山形城跡の霞城公園(かじょうこうえん)隣にある。東京オリンピック開催直前の1964年8月に開館。山形新聞が中心となって世界から絵画を集めた。

山形美術館

瑞々しい森を抜けると山形美術館が見えてくる。

山形美術館

ピラミッド型のキリッとした屹立。外観の立派さから良い美術館だとわかる。

常設展示室

館内は完全に撮影禁止。理由は入り口でチケットを買うと、目の前のフロアから常設展示が始まるから。オーギュスト・ロダン《永遠なる休息の精》の先に衝撃がある。

高橋由一《鮭》

左山形美術館所蔵の『鮭』 右笠間日動美術館所蔵の『鮭』

日本の西洋画の夜明けを告げる一枚。1875年から1879年に製作。圧倒的な質感。美術は三次元を二次元に変換するが、その意味がこの絵に凝縮されている。眼が死んでいない。中途半端に死んでいる。そして生命力の源である赤身の聖域。紅(べに)一点の美。日本の縦描きだから活きる。血が流れているような、天から地に生きるような、とてつもない生命力。

シャガール《サント=シャペル》

第二展示室

第一展示室は日本画や郷土資料があり、第二展示室がフランス美術のコレクション。画家の代表作はないが、ラインアップは圧巻。

タイトルも印象も忘れたが、ゴッホピカソの作品もある。残念ながらカンディンスキーの《ゆるやかな変奏曲》はなかった。名だたる画家の中でナンバーワンはシャガール

マルク・シャガール《サント=シャペル》1953年、油彩

マルク・シャガール《サント=シャペル》1953年、油彩

母親の胎内を描いたような世界。青の深さ。母親が我が子に早く会いたい。そんな気持ちが凝縮されている。聖なる世界は青に満ちている。

川瀬巴水 旅と郷愁の風景

山形美術館〜川瀬巴水

川瀬 巴水(かわせ はすい)は1883年(明治16年)、東京の新橋に生まれた日本画家、版画家。スティーブ・ジョブズが熱心なファンで版画を保有したことで価値が見直された。現代に甦った歌川広重葛飾北斎といっても過言では画力を持つ。その川瀬巴水の約180点の版画を展示した企画展が2024年7月11日から8月25日まで開催。明治、大正、昭和の浮世絵師の真髄が骨の髄まで味わえる。

夜の新川【夜の最高傑作】

《夜の新川》1919年

《夜の新川》1919年

図録の表紙になっている一枚。闇夜を青で描く。ゴッホの技法。大部分が闇。そこに一筋の光。光が闇を逆転する。意識は光に向けられる。人生と同じ。つらいことが多いが逆転ホームランがどこにある。そんな力強さに溢れている。

奈良二月堂【大和の真実】

《奈良二月堂》1921年

《奈良二月堂》1921年

大和平野と地平線。ストックを持っているのは旅人か僧侶か。真ん中ではなく端で観ている。ここは旅の途中ではなくスタート地点。吊るされた行燈がファンファーレ。これが大和の国。これぞ大和の国。

金澤下本多町【夏の最高傑作】

《金澤下本多町》1921年

《金澤下本多町》1921年

井上陽水の少年時代を超える少年時代。木が入道雲のように影をつくる。本物の入道雲との対比。浴衣の女は陰日向に咲く花。川瀬巴水、夏の最高傑作。

京都鴨川の夕暮【夕方の傑作】

《京都鴨川の夕暮》1923年

《京都鴨川の夕暮》1923年

京都の鴨川。主役は空と少年、そして時間。揺れる反物、流れる川、霞む空。少年が詩情をバイキルトする。背中が詩情を見守る。

周防錦帯橋【明日にかける橋】

《周防錦帯橋》1924年

《周防錦帯橋1924年

錦帯橋は5つの橋から連なる。通常は雲のように竜のように描く。川瀬巴水は中途半端に2つだけを描いた。しかも真ん中ではなく左に寄せている。そして堀に影を着色した。橋の存在感を際立たせる聖なる着色料。橋がバンザイしている。両翼のように羽ばたく。夢にときめけ、明日にきらめけ。錦帯橋は明日にかける橋。そして橋とは川である。紅白の人が河原遊びをしている。これが橋である。川瀬巴水は橋の真実を捉えた。

増上寺【最も売れた絵】

《芝増上寺》1925年

《芝増上寺》1925年

川瀬巴水で最も売れた絵。企画展のメインビジュアル。見事な構図だが少しロジックが強い。屋根の向き、風向き、傘の角度を統一。自然と人の調和と厳しさ。やっとるな感が強い。ただし、唯一、向きが異なる木を持ってきたことが川瀬巴水の凄さ。異物、異邦人、招かれざる客を入れることで対立構造で絵の力強さを演出している。やっぱり、やっとるな感が強い。

馬込の月【天地人

《馬込の月》1930年

《馬込の月》1930年

川瀬巴水で2番目に売れた絵。ゴッホの星月夜を浮世絵師が描くとこうなる。川瀬巴水が描きたかったのは一つ。黄色。割れた月、民家にともる灯。自然の光も人工の光も等しく尊い。まさに天地人の極致の一枚。

大坂道頓堀の朝【夜明け前の傑作】

《大坂道頓堀の朝》1933年

《大坂道頓堀の朝》1933年

我が心の道頓堀。巴水ブルーが広重ブルーに並んだ瞬間。異質な風景。しかし本当に道頓堀を愛する者は朝を愛する。まだ人のいない道頓堀を愛する。川瀬巴水は朝を青く描いた。世が明ける前。青は静けさ。川に沁み入る青の声。

十和田子之口【遠近法の極致】

《十和田子之口》1933年

《十和田子之口》1933年

十和田湖に行ったことがあるが、こんな構図はない。聖なる捏造。それこそが絵画。夕暮れ、湖、花。しかし真の主役は枝。雲のむこう、夕暮れの明日に伸びていく橋。川瀬巴水が本当に描きたかったのは、枝の強さである。

駿河由比町【最高傑作】

《駿河由比町》1934年

駿河由比町》1934年

川瀬巴水、最高傑作。驚いた。これまで富士を描いた最高峰は歌川広重東海道五十三次 原宿》だと思っていたが、それに勝るとも劣らず富士山の美の真髄を伝えている。登る富士と下る坂の対比。富士山のチラ見せの面積が完璧。長大でもなく少なすぎず。最も富士山のスケール感を想像できる寸止め。春でも夏でも秋でもない冬の白。ファンタジーではなくブリザードたっぷりの山頂を捉えている。現代に広重が、北斎が甦った。

山形 山寺【絵師としてプライド】

《山形 山寺》1941年

《山形 山寺》1941年

山形美術館だけの特別展示。山寺立石寺を描いた。芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の情景とは違い、川瀬巴水は純然たる風景を描いた。人工物を描いた。俳人ではなく絵師としての矜持をまっとうした。芭蕉が夕暮れを詠めば巴水は月夜を灯す。

美術館メシ

喫茶室ブーローニュ

喫茶室ブーローニュ

山形美術館1階に喫茶室ブーローニュはある。美術館にカフェを併設してくれるとありがたい。一度、展覧会を観たあとリセットしてもう一度観に行ける。

喫茶室ブーローニュ

名前はおそらくパリ市民の憩いの場ブローニュの森から取っているのだろう。滅多に来られらない場所だと何回も絵を観たいので休憩所は助かる。

喫茶室ブーローニュ

キャラメルナッツケーキと珈琲セット1,200円。程よい甘さ。山形のチェリー。これだけで強くなれる気がする。スピッツの歌が聴こえる。川瀬巴水の絵から郷愁は感じない。旅情も旅愁もない。かなりドライ。ノスタルジーではなくプロフェッショナル。冷静な眼でとらえている。構図もかなり作為的。記憶と記録のハイブリッド。旅とは風景を捨てること。川瀬巴水は風景を残すためでなく、捨てるために描いた。この風景が一瞬のものであることを知っている。次の瞬間にはこの風景は失われていく。川瀬巴水の絵が胸を打つのは風景という記録と時間という記憶が一体となっているからである。

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新潟県立近代美術館〜野に咲くミュージアム

修行は苦しいから、できればやりたくない。自分の場合は逆。日常が苦しくて苦しみを忘れるために苦しい修行をする。シジフォスの岩。日常の苦しみとはお金。毎月、健康保険料と都民税だけで10万円の支払い。物書きとしての作品づくりをしていると収入がない。会社員時代の収入が税金に反映されているが、借金状態で独立したから、どんどん負債が増えている。毎日が地獄だ。借金を返すためにクライアントワークやアルバイトに精を出すなら会社員をやっていたほうがいい。間違ったやり方かもしれないが、今は借金が膨らんでも自己投資にジャブジャブお金を使っている。

JR長岡駅

花火大会で有名な長岡は「米百俵」の精神の藩。訪れるまでは知らなかった。戊辰戦争に負けた長岡藩に米百俵が送られたとき、副知事の小林虎三郎藩士に配らず、教育のため学校の設立に使った。小泉純一郎首相が「米百俵の精神」と言って有名になった。まさに今の自分と重なる。

令和6年7月3日(水)24時25分発のバスで長岡に向かう。片道3200円。3倍近い値段の北陸新幹線を使えば新宿から長岡駅まで1時間57分で行ける。2時間半かかる奈良の実家から京都の立命館大学前より早い。モネが近代化の象徴として駅と鉄道を描いたように、北陸新幹線は時間をアートした。いつか新幹線で移動したい。

朝5時に長岡駅に到着。途中の谷川岳サービスエリアは土砂降りだったが、雨雫ひとつない曇り空。ゴッホ《ひまわり》がデザインされた折りたたみ傘の出番はなかった。美術館は開館9時なので4時間もある。

バス中で眠れなかったので駅のベンチで寝ると、パトロール中の警察官に「具合でも悪いんですか?」と起こされた。あと数時間で、ここは通勤のサラリーマンや学生で溢れる。ホームレスのようなバックパッカーがいると迷惑に思われるのだろう。他に時間を潰す場所もお金もない。8時開店の喫茶店でモーニングを食べて新潟県立近代美術館へ。

信濃川と長岡大橋

新潟県立近代美術館は広大な信濃川を目にしながら長岡大橋を渡ったすぐの場所にある。川の麓の美術館。初めてだ。

長岡は川が多い。信濃川をはじめ、小さな川がいくつもある。絵画は旅人。世界中からオファーを受けて旅行する。川沿いの美術館、橋の麓の美術館である新潟県立近代美術館は、まさにアートを受け入れるにふさわしい立地だ。

新潟県立近代美術館

左側に信濃川、右側に癒しの森を見ながら歩く。

鮮烈な赤の花も咲き誇る。地上の花火のようだ。

花々とは対照にシックな色の新潟県立近代美術館

ロダン《カリアティードとアトラント》がエントランスで迎えてくれる。静謐なる美の森への入り口。1,300円を払うと企画展と常設展が観られる。

企画展:山下清 百年目の大回想

人生で絵画に触れたはじまりはドラマ『裸の大将』だった。芦屋雁之助が演じる山下清が町を去るとき「いちまいの絵」を町に残す。旅とは風景を捨てること。どうして山下清真空パックに閉じ込めた風景を自分の手元に置かず、誰かにあげたのだろう。それは多くのひとに見てもらうためだ。多くのひとの記憶に刻まれることで風景は救われる。風景を救うのは画家ではない。観る者。山下清はそれをわかっていた。

2022年に生誕100周年を迎えた山下清。49歳の生涯を閉じるまでの幼少期・八幡学園の鉛筆画から遺作となる東海道五十三次まで約190展が彩る大回顧展。

意外だったのが初期の作品が平凡であること。ピカソやモネ、ゴッホなどは子どもの頃から才能の爪痕を刻んでいるが、山下清の場合は、よくある子どもの絵と変わらない。

1940年11月18日、12歳で入園した八幡学園を18歳で飛び出し、放浪の旅で山下清の絵は脱皮する。仕事が見つかるまで物乞いをし、駅の待合室で寝泊まりする生活を経て、絵画のスケールが跳躍する。山下清山下清になる。

《菊》貼り絵,1939年

《菊》貼り絵,1939年
学園を飛び出す前に10代で作った貼り絵。枝垂れ桜のように命を終えようとしている菊。断末の瞬間こそが、最も生命力に溢れる。これぞ菊の本質。山下清はその一瞬を捉えた。背景の黒は、その後の最高傑作へとつながる。

《つばき》油彩,1951年

《つばき》油彩,1951年

山下清の本質を理解する最適解の絵は「花の静物画」である。背景は少年の純粋さ、まさに山下清。しかし花弁はどこまでも官能。花びらが生殖器であることを見事に捉えている。山下清は絵にメッセージを込めるのではなく、目に見えない本質を捉え、それを翻訳して描く。観察眼と洞察力の天才。

《開聞岳》油彩,1956年

開聞岳》油彩,1956年

山の手前で遊ぶ子ども。それを手前に描かことで、開聞岳がいかに住民たちに根ざしているか、愛されているか、身近であるかを捉えている。開聞岳が海の山であり波の山であることを映し出している。

《奈良二月堂》ペン画,1957年

《奈良二月堂》ペン画,1957年

ペン画の傑作が《奈良二月堂》。大和の国に水墨画は似合わない。歴史は深いが、風景は深くない。それが大和。山下清はペン画でしっかりと線を描き、重力を与えている。それでこそ生命力が宿る。大和のまほろばを描いた絵は多いが、山下清の本質を捉える凄さが凝縮されている。

《パリのムーランルージュ》水彩画,1961年

《パリのムーランルージュ》水彩画,1961年
山下清の画才はペン画や貼り絵だけでなく水彩画でも爆発する。デ・キリコの色合いに近い。山下清の色といえば茶色。いや、土色。土や泥や砂で戯れる子どもの色を映し出すのが抜群に上手い。デ・キリコと比肩する土色を描ける日本画家がいるとは驚嘆。

《長岡の花火》貼り絵,  1950年

《長岡の花火》貼り絵,  1950年

 

放浪の画家・山下清の最高傑作《長岡の花火》。この絵の前に立ったとき、涙が出そうになった。クロード・モネ《印象、日の出》やフィンセント・ファン・ゴッホ《ドービニーの庭》のときのような感涙が押し寄せてきた。この絵は半眼で見るとよく分かる。
《長岡の花火》は死の世界を描いた絵である。花火の観客は墓場のようであり屍のようであり地蔵のようである。花火が水面に映り舟が浮かぶ信濃川は三途の川。夜空は冥土の世界。そこに儚く燃え尽きようとしている命の炎が花火。3部構成の絵になっており、この世(墓場)、この世とあの世の境(三途の川)、あの世(黄泉の世界)が描かれている。決して哀しい絵ではない。燃え尽きる瞬間こそが最も生命力に溢れ、命が輝く瞬間である。死は新たな運命が生まれる循環であり、花火とは太陽の誕生である。山下清は花火の本質を色と構図で捉えた。黄泉の世界は黄色の泉と書く。まさに、この絵の世界である。その圧倒的な画力に涙が押し寄せたのだ。山下清の絵をすべて目にしたわけではないが、《長岡の花火》以上の最高傑作は存在しないだろう。

常設展示室

新潟県立近代美術館は優れた西洋画を所蔵している。

残念ながら4枚ともなかった。どこかの美術館に貸出ているのだろう。ディズニーランドも必ず何かのアトラクションは工事をしており、すべてに乗れるわけではない。美術館も同じだ。しかし、観られない絵画の数が多いのは落胆する。日本が企画展を中心に集客しているから仕方がないことではあるが、そこに行けばいつでも逢いに行けるようにしてほしい。日本の美術館は高額で絵画を落札し、それを他館に貸し出す転売ヤーだ。早く脱却してほしい。それでも新潟にゆかりのある画家の絵は新鮮であり、また画力もすごい。地元住民であれば何度も堪能したい作品が多かった。

佐伯祐三《広告塔》1927年

佐伯祐三《広告塔》1927年

佐伯祐三の《広告塔》を観られたのは大きかった。やはり佐伯祐三は西洋画家にも引けを取らない画力。絵画とは三次元を二次元にメタモルフォーゼする。画力のある絵師にかかれば、リアルな三次元を二次元が超える。佐伯祐三山下清岡本太郎と並び、それができる稀有な近代の日本人画家である。

美術館メシ

雪鹿アトリウム

山下清展のあと、美術館を出て目の前の雪鹿アトリウムへ。

雪鹿アトリウム店

緑が癒してくれる。南国を感じさせる内観。

雪鹿アトリウム

地元のおじいちゃんたちが絵を描いている。

雪鹿アトリウム

いちご×ラズベリーかき氷350円。その日の気温や湿度によって削り方を変える。なんという徹底ぶり。

雪鹿アトリウム

お姉さんから「シロップのかけ方が格段に上手いです」と褒められた。これからカキ氷の黒帯を名乗れる。天然氷のサラサラ感、浮力の中に濃厚な重力がある。こんな美味しい氷は初めてだ。カキ氷日本一に認定したい。

花火のあと

新潟県立近代美術館〜野に咲くミュージアム

企画展を観て図録を買ったあと、NHKの取材を受けて山下清について語った。NHKとしては《長岡の花火》に平和への祈りが込められているとこじつけようとした。実際、番組でもそうだった。アーティストに失礼だ。山下清は絵にプロパガンダを込める画家ではない。物事の真実を捉え、目に見えない深淵を表出する。真の写実主義者である。

 

花火は桜と同じ。一瞬の開花。散ったあとの空を近づける。花火は花そのものではなく夜空を忘れないでくれという閃光、モールス信号である。実物の花火大会は見ていない。しかし、確実に、あの日、アートの空間で長岡の花火を見たのだ。

新潟県立近代美術館の公式サイト

三重県立美術館:シュールの先へ

奈良をふるさとにする者にとって、三重は大阪や京都より馴染みが深い。車を走らせても景色が変わらないからいつの間にか三重にいる。大和の国の親戚のような土地。村でも町でもなく、その中間の日本語を創らないと表現できない。ヤマトタケルが旅をしたとき「足が三重に折れ曲がるくらい疲れた」と言ったことから、その名前が付いた。

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県庁のある津で降りる。近鉄電車に揺られ、桜井駅から1時間38分。途中、伊勢中川で名古屋行き急行に乗り換える。1,450円。「つ」という一文字の潔さ。日本刀のキレがある。西口を真っ直ぐ10分ほど歩くと見えてくる。

三重県立美術館

1982年9月開館。建築は富家宏泰(とみいえ ひろやす)。千葉マリンスタジアムも手がけている建築士

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開催中の企画展『シュルレアリスムと日本』のメインビジュアルは東郷青児《超現実派の散歩》。SOMPO美術館の所蔵でロゴになっている絵。新宿で逢うはずのタブローに三重で「はじめまして」。これもまたアートの愉しみ。名画は旅人。全国からラブレターが届き旅行するツーリスト。

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企画展のチケット1,000円を払えば常設展も観られる。外にチケット売り場があり、中でチケットを切る。

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初夏に似合う広々とした空間、涼を運んでくれる。なんとなく懐かしさを覚えると思ったら立命館大学衣笠キャンパスも富家宏泰の建築。母校の建築士だったとは。

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ミュージアムショップの前の椅子も座りたいような、座るのがもったいないようなデザイン。

企画展『シュルレアリスムと日本』

企画展の最初は日本のシュルレアリスムの先駆者たちの作品が並ぶ。ファンにとっては垂涎だろう。トップバッターに東郷青児《超現実派の散歩》。月を遊具にし、左手と右足に黒、髪は抜け、人物のすぐ近くに「seiji togo」のサイン。色んなセオリーを打破。ただし、マグリットやダリのような強烈な力を感じない。西洋の後追いだからか。

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その他の作品もアーティストに失礼を承知で言うが、西洋の真似に見えてしまう。ほとんどの日本人西洋画の作品に抱く印象である。岡本太郎山下清のほかに日本人の西洋画で力負けしないのは佐伯祐三くらいではないか。その佐伯の作品は常設展示室になかった。どこかを旅しているらしい。残念。「どれもまあ、こんなもんか」と徘徊するなか、最後の展示室に衝撃はいた。

矢崎博信《時雨と猿》1940年,宮城県美術館

矢崎博信《時雨と猿》1940年,宮城県美術館

西洋画に負けないパワー。松尾芭蕉の「猿蓑」を絵画にしたようだが、どう観ても戦争画。空まで変えてしまう戦争の破壊力を猿が高みの見物。このタブローは戦争を肯定も否定もしない。ただ、そのパワーを享受する。倫理や正義や理屈を超える。戦争も芸術もまさにそんなものだ。日本と西洋の分水嶺戦争画。《ゲルニカ》をはじめ西洋は戦争を名画の母胎にする。 矢崎博信は29歳で戦死したが、生きていれば世界史に残る日本の戦争画を生み出したかもしれない。他の絵が〈絵〉を描いているなか、矢崎博信だけが風景の中に〈人生〉を描いていた。

常設展示室

常設展示室には、佐伯祐三フランシスコ・デ・ゴヤもなかったがキスリング《座る女の胸像 》、ラウル・デュフィ《黒い貨物船と虹》、藤田嗣治《猫のいる自画像 》などが観られる。日本の絵師たちに、タブローとはかくありなんと言わんばかりの画力。シュルレアリスム印象派キュビズムも関係ない。凄いものは凄い。中でも凄いのがトップバッター。

マルク・シャガール《枝》1956-62年

マルク・シャガール《枝》1956-62年

ピサの斜塔のように倒れそうで倒れない。愛とは何かをシャガールは一枚の色と構図で描出した。ふたりを目玉焼きのような太陽が照らす。青く照らす。青く見守る。太陽が放つ色はブルー。儚さの色。愛とは強さ。強さは儚さ。儚さは強さ。人生は、愛はしなやかな枝。シャガールの一枚だけでも訪れる価値がある。

美術館メシ

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魔愁(ましゅう)という麗しい名。津駅と三重県美術館の中間。

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美術館よりアート空間。カラヴァッジオレンブラントの明暗。バロックでありゴシック。

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魔愁ブレンド700円は酸味の彩り。甘さを極限におさえたキルッシュトルテ650円と。 アートを味わう前の食前酒にも、アートの余韻を薫らせる場所としても。

三重県立美術館 の公式サイト

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北欧の神秘:The Magic North

絵画といえばヨーロッパである。フランス、オランダ、ベルギーといった西欧。スペイン、イタリアのある南欧。ドイツやイギリスも有名画家がいる。では北欧の画家と言われてパッと即答できるだろうか?よほどの美術好きでないと出てこない。そんな一隅を照らすステキな展覧会が新宿で開催された。画像

『北欧の神秘ーノルウェースウェーデンフィンランドの絵画』

2024年3月23日(土)から 6月9日(日)まで。タブローたちの舞踏会場はSOMPO美術館。19世紀から20世紀初頭の北欧画家の約70作品を展示。このミニマル感がうれしい。100点を超えると後半は集中力が切れ、鑑賞後にぐったりする。

最初に訪れたのは5月19日の日曜。昨日までの雲ひとつない蒼天と反対に、新宿は灰色の街になった。北欧のイメージに合う。空とは反対にマイアミの南国のTシャツを着ていく。タブローたちはノルウェー国立美術館スウェーデン国立美術館フィンランド国立アテネウム美術館からはるばる日本へやってきた。新宿のあとは長野、滋賀、静岡を旅する。

 

今回の展覧会を一言で表せば「高打率」。イチローのようにヒット本数が多い。8割くらいの絵画と相性が良かった。ここまで高打率な展覧会は初めてかもしれない。新鮮と郷愁。柔らかな稲妻。

トマス・ファーンライ《旅人のいる風景》1830年、ノルウェー国立美術館

トマス・ファーンライ《旅人のいる風景》1830年ノルウェー国立美術館

これから冒険を始めるにふさわしい一枚。登山を心得るものなら胸が躍る。旅人がどこから来たのか、何者なのか。それは関係ない。山の頂上を目指すのか、山の向こう側を目指すのか。旅とは風景を捨てること。これから何者になるかである。

エドヴァルド・ムンク《フィヨルドの冬》1915年、ノルウェー国立美術館

エドヴァルド・ムンクフィヨルドの冬》1915年、ノルウェー国立美術館

4階の目玉はエドヴァルド・ムンクフィヨルドの冬》。唯一知っている画家である。6年前にはムンク展が開かれ《叫び》も来日した。半顔で観ると色彩が消えて構図が浮かび上がる。するとどうか。手前の雪や岩が白い鯨や怪魚に見えてくる。迫ってくる。悠然と泳いでいる。ムンクは大地と生きものを一体化した。そして印象的な黒。雪山に登るとき、白のコントラスで黒の岩や土が浮かび上がる。白が主役ではあるが、同時に黒の生命力を描いている。美術展を訪れる多くの人が単純な絵のうまさ(写実性)なら他の画家のほうが上だと思うだろう。しかし、絵のパワーがムンクは全然違う。その答えが《フィヨルドの冬》にある。タブローは画家の動脈であり、この絵はムンクの白い血流なのだ。

テオドール・キッテルセン《アスケラッドとオオカミ》

テオドール・キッテルセン《アスケラッドとオオカミ》1900年、ノルウェー国立美術館

テオドール・キッテルセン。ゴッホやモネと同期、ノルウェーにこれほどの画家がいたとは。ムンクだけじゃない。キッテルセンの個展を開催してほしい。客入りが厳しいが、度肝を抜かれるはずだ。とてつもない画力。他の絵画も検索して欲しい。

エドヴァルド・ムンク《ベランダにて》1902年、ノルウェー国立美術館

エドヴァルド・ムンク《ベランダにて》1902年、ノルウェー国立美術館

この作品がノルウェーから旅をしてくれたことは奇跡としか言いようがない。最初のタイトルは《雨天》だったが、《ベランダにて》のほうがステキだ。半眼で見ると、奥の木が炎、ふたりが蝋燭に見えてくる。未来を灯す光であり、飛翔への松明。はじめて世界を見るような、はじめて世界に飛び出して行くような。そんな瑞々しさに満ちている。ふたりは何も語らない。振り返らない。前へ向かっていく。世界に向かっていく。