アートの聖書

絵画、映画、ときどき音楽

松岡美術館〜麗しき均衡のミュージアム

松岡美術館

奈良出身の田舎者なのに白金台に住む女性から好意を持たれることが2回あった。ひとりは名古屋出身の会社の上司。よくご飯に誘ってくれ、エヴェレストに行くため会社を退職したときは山の生活を詳しく調べ、大量のボディシートをくれた。かつては映画記者で泣くことがないと言い切っていた美人の上司。しかし唯一、号泣した映画がクリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』と言って、ちょっと惚れた。連絡先もわからないが、もう一度、逢いたいひと。

松岡美術館

もう一人はヨガインストラクター。夜のお店で副業もしていた。究極のミニマリストでクローゼットもない部屋の壁にアンディ・ウォーホルの《キャンベル缶》の絵が一枚。5万円くらいと言っていた。別に美術好きでもないが、なぜがその絵に呼ばれた気がしたという。部屋にお邪魔して一緒に昼ごはんを作ったりした。そんな白金台へは新宿から山手線に乗り目黒で都営三田線に乗り換える。それにしても最近の山手線はよく揺れる。吊り革を強く握っていてもロデオのように振り落とされそうになる。電車も夏バテしているのか。

松岡美術館

松岡美術館は1975年11月25日、新橋に開館。創設者の松岡清次郎のコレクションは凄まじい。残念ながら常設展示は彫刻だけで貴重な絵画を観られるのは一部。倉庫で眠っているのか他館に貸し出しているのか。日本の美術館は転売ヤーなので、そこさえ改善すれば世界に誇る美術館になる。とはいえ、写真OKが多く、かつシャッター音は禁止。エアシャッターのアプリがないといけない。ガラスケースの展示も多いが一部の絵画や彫刻は剥き出し。このバランス感覚は他の美術館が見習うべき要素が詰まっている。

松岡美術館

1階のロビーが展示室になっているのは山形美術館と同じ。いきなりアートの森に入り込む。

松岡美術館

展示されている作品は紀元前の古代ギリシア・ローマ彫刻。そこまで歴史は感じず、50年前に造られたと言っても違和感ない。それはシロガネーゼに展示していることも大きいだろう。ミシュランの星つきレストランをボロアパートで食べたら味が違うのと同じだ。

松岡美術館

食前酒のあとの前菜・第1展示室は、さらに古い古代エジプト文化の美術品。これも同じく、歴史はそこまで感じない。

松岡美術館

第2展示室は飛ばして展示室3のポワソン(魚料理)は古代東洋彫刻。ガンダーラの仏教彫刻、インドのヒンドゥー教神像やクメール彫刻がある。

松岡美術館

ネパールやチベットで観た印象とは全然違う。やはりアートは旅である。観る場所が重要なのだ。とはいえ日本で観られるのは貴重。これ程ありがたいことはない。

ポール・シニャック《オレンジを積んだ船、マルセイユ》1923年

ポール・シニャック《オレンジを積んだ船、マルセイユ》1923年

2階へ上がってメインディッシュ。トップバッターは松岡美術館が所蔵するポール・シニャック。バランがとれている。傑作ではないがリードオフマンのチョイスとしてはバッチし。

アンリ=エドモン・クロッス《遊ぶ母と子》

アンリ=エドモン・クロッス《遊ぶ母と子》

シニャックの友人アンリ=エドモン・クロッス。母と子の柔らかさ、華やかさも見事だが奥の船のおっさん。親父か知らないが、男はつらいよとの対比が見事。

モイーズ・キスリング《シルヴィー嬢》1927 年

モイーズ・キスリング《シルヴィー嬢》1927 年

お馴染み。吸い込まれそうな瞳。しかし、それは赤の服。そして、もう一つの瞳である指輪があるからこそ。そしてブラックホールである背景の黒。キスリングの真骨頂。

アメデオ・モディリアーニ《若い女の胸像(マーサ嬢)》1916-17年頃

アメデオ・モディリアーニ若い女の胸像(マーサ嬢)》1916-17年頃

キスリングと対照に、あえて人間の中で最も魔力の宿る眼を描かなかったモディリアーニ。作品はキスリングの圧勝だが、「描かないことを描く」表現は、写真はもちろん、映画でも音楽でもできないタブローの力。

モイーズ・キスリング《グレシー城の庭園》1949 年

モイーズ・キスリング《グレシー城の庭園》1949 年

初めて見るキスリングの風景画。さすが鮮やか。麗しい。しかし今ひとつ足りない。やはりキスリングは女性像。

モーリス・ド・ヴラマンク《スノンシュ森の落日》1938 年

モーリス・ド・ヴラマンク《スノンシュ森の落日》1938 年

圧倒的な傑作がモーリス・ド・ヴラマン。太陽をど真ん中に投げ込む直球絵画。枝が静脈であり大地が動脈。夕陽は心臓。真の風景画とは人物画であることを示す大傑作。本物を観ないと実感ゼロ。ヴラマンクの中でも有名作品ではなく撮影不可なので、松岡美術館で本物を観てほしい。