アートの聖書

絵画、映画、ときどき音楽

山形美術館〜川瀬巴水の記録と記憶

日本の美術展の良いところは東京で見逃した企画展でも、そのあと日本各地を旅していることだ。昨年に見逃した山下清の回顧展を先月に新潟で観たように、日本の美術館は後悔を救ってくれる。八王子美術館で川瀬巴水の版画展を見逃したときは激しく悔やんだが、すぐにリベンジ・マッチの機会は訪れた。東京を北上し、山形に聖火リレーしていた。平日なら新宿から深夜バスで片道4000円以下。迷わずバスタ新宿に向かった。

山形美術館までの道のり

山形美術館

山形美術館はJR山形駅から徒歩15分。山形城跡の霞城公園(かじょうこうえん)隣にある。東京オリンピック開催直前の1964年8月に開館。山形新聞が中心となって世界から絵画を集めた。

山形美術館

瑞々しい森を抜けると山形美術館が見えてくる。

山形美術館

ピラミッド型のキリッとした屹立。外観の立派さから良い美術館だとわかる。

常設展示室

館内は完全に撮影禁止。理由は入り口でチケットを買うと、目の前のフロアから常設展示が始まるから。オーギュスト・ロダン《永遠なる休息の精》の先に衝撃がある。

高橋由一《鮭》

左山形美術館所蔵の『鮭』 右笠間日動美術館所蔵の『鮭』

日本の西洋画の夜明けを告げる一枚。1875年から1879年に製作。圧倒的な質感。美術は三次元を二次元に変換するが、その意味がこの絵に凝縮されている。眼が死んでいない。中途半端に死んでいる。そして生命力の源である赤身の聖域。紅(べに)一点の美。日本の縦描きだから活きる。血が流れているような、天から地に生きるような、とてつもない生命力。

シャガール《サント=シャペル》

第二展示室

第一展示室は日本画や郷土資料があり、第二展示室がフランス美術のコレクション。画家の代表作はないが、ラインアップは圧巻。

タイトルも印象も忘れたが、ゴッホピカソの作品もある。残念ながらカンディンスキーの《ゆるやかな変奏曲》はなかった。名だたる画家の中でナンバーワンはシャガール

マルク・シャガール《サント=シャペル》1953年、油彩

マルク・シャガール《サント=シャペル》1953年、油彩

母親の胎内を描いたような世界。青の深さ。母親が我が子に早く会いたい。そんな気持ちが凝縮されている。聖なる世界は青に満ちている。

川瀬巴水 旅と郷愁の風景

山形美術館〜川瀬巴水

川瀬 巴水(かわせ はすい)は1883年(明治16年)、東京の新橋に生まれた日本画家、版画家。スティーブ・ジョブズが熱心なファンで版画を保有したことで価値が見直された。現代に甦った歌川広重葛飾北斎といっても過言では画力を持つ。その川瀬巴水の約180点の版画を展示した企画展が2024年7月11日から8月25日まで開催。明治、大正、昭和の浮世絵師の真髄が骨の髄まで味わえる。

夜の新川【夜の最高傑作】

《夜の新川》1919年

《夜の新川》1919年

図録の表紙になっている一枚。闇夜を青で描く。ゴッホの技法。大部分が闇。そこに一筋の光。光が闇を逆転する。意識は光に向けられる。人生と同じ。つらいことが多いが逆転ホームランがどこにある。そんな力強さに溢れている。

奈良二月堂【大和の真実】

《奈良二月堂》1921年

《奈良二月堂》1921年

大和平野と地平線。ストックを持っているのは旅人か僧侶か。真ん中ではなく端で観ている。ここは旅の途中ではなくスタート地点。吊るされた行燈がファンファーレ。これが大和の国。これぞ大和の国。

金澤下本多町【夏の最高傑作】

《金澤下本多町》1921年

《金澤下本多町》1921年

井上陽水の少年時代を超える少年時代。木が入道雲のように影をつくる。本物の入道雲との対比。浴衣の女は陰日向に咲く花。川瀬巴水、夏の最高傑作。

京都鴨川の夕暮【夕方の傑作】

《京都鴨川の夕暮》1923年

《京都鴨川の夕暮》1923年

京都の鴨川。主役は空と少年、そして時間。揺れる反物、流れる川、霞む空。少年が詩情をバイキルトする。背中が詩情を見守る。

周防錦帯橋【明日にかける橋】

《周防錦帯橋》1924年

《周防錦帯橋1924年

錦帯橋は5つの橋から連なる。通常は雲のように竜のように描く。川瀬巴水は中途半端に2つだけを描いた。しかも真ん中ではなく左に寄せている。そして堀に影を着色した。橋の存在感を際立たせる聖なる着色料。橋がバンザイしている。両翼のように羽ばたく。夢にときめけ、明日にきらめけ。錦帯橋は明日にかける橋。そして橋とは川である。紅白の人が河原遊びをしている。これが橋である。川瀬巴水は橋の真実を捉えた。

増上寺【最も売れた絵】

《芝増上寺》1925年

《芝増上寺》1925年

川瀬巴水で最も売れた絵。企画展のメインビジュアル。見事な構図だが少しロジックが強い。屋根の向き、風向き、傘の角度を統一。自然と人の調和と厳しさ。やっとるな感が強い。ただし、唯一、向きが異なる木を持ってきたことが川瀬巴水の凄さ。異物、異邦人、招かれざる客を入れることで対立構造で絵の力強さを演出している。やっぱり、やっとるな感が強い。

馬込の月【天地人

《馬込の月》1930年

《馬込の月》1930年

川瀬巴水で2番目に売れた絵。ゴッホの星月夜を浮世絵師が描くとこうなる。川瀬巴水が描きたかったのは一つ。黄色。割れた月、民家にともる灯。自然の光も人工の光も等しく尊い。まさに天地人の極致の一枚。

大坂道頓堀の朝【夜明け前の傑作】

《大坂道頓堀の朝》1933年

《大坂道頓堀の朝》1933年

我が心の道頓堀。巴水ブルーが広重ブルーに並んだ瞬間。異質な風景。しかし本当に道頓堀を愛する者は朝を愛する。まだ人のいない道頓堀を愛する。川瀬巴水は朝を青く描いた。世が明ける前。青は静けさ。川に沁み入る青の声。

十和田子之口【遠近法の極致】

《十和田子之口》1933年

《十和田子之口》1933年

十和田湖に行ったことがあるが、こんな構図はない。聖なる捏造。それこそが絵画。夕暮れ、湖、花。しかし真の主役は枝。雲のむこう、夕暮れの明日に伸びていく橋。川瀬巴水が本当に描きたかったのは、枝の強さである。

駿河由比町【最高傑作】

《駿河由比町》1934年

駿河由比町》1934年

川瀬巴水、最高傑作。驚いた。これまで富士を描いた最高峰は歌川広重東海道五十三次 原宿》だと思っていたが、それに勝るとも劣らず富士山の美の真髄を伝えている。登る富士と下る坂の対比。富士山のチラ見せの面積が完璧。長大でもなく少なすぎず。最も富士山のスケール感を想像できる寸止め。春でも夏でも秋でもない冬の白。ファンタジーではなくブリザードたっぷりの山頂を捉えている。現代に広重が、北斎が甦った。

山形 山寺【絵師としてプライド】

《山形 山寺》1941年

《山形 山寺》1941年

山形美術館だけの特別展示。山寺立石寺を描いた。芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の情景とは違い、川瀬巴水は純然たる風景を描いた。人工物を描いた。俳人ではなく絵師としての矜持をまっとうした。芭蕉が夕暮れを詠めば巴水は月夜を灯す。

美術館メシ

喫茶室ブーローニュ

喫茶室ブーローニュ

山形美術館1階に喫茶室ブーローニュはある。美術館にカフェを併設してくれるとありがたい。一度、展覧会を観たあとリセットしてもう一度観に行ける。

喫茶室ブーローニュ

名前はおそらくパリ市民の憩いの場ブローニュの森から取っているのだろう。滅多に来られらない場所だと何回も絵を観たいので休憩所は助かる。

喫茶室ブーローニュ

キャラメルナッツケーキと珈琲セット1,200円。程よい甘さ。山形のチェリー。これだけで強くなれる気がする。スピッツの歌が聴こえる。川瀬巴水の絵から郷愁は感じない。旅情も旅愁もない。かなりドライ。ノスタルジーではなくプロフェッショナル。冷静な眼でとらえている。構図もかなり作為的。記憶と記録のハイブリッド。旅とは風景を捨てること。川瀬巴水は風景を残すためでなく、捨てるために描いた。この風景が一瞬のものであることを知っている。次の瞬間にはこの風景は失われていく。川瀬巴水の絵が胸を打つのは風景という記録と時間という記憶が一体となっているからである。

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