アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

芸術の秋と誰が呼んだか。上野には秋が似合う。日本最大のアートシティ。石を投げれば美術館にあたり、町のレンタカー屋さんにも企画展のポスターが壁を奪い合うようにペタペタ貼られている。日本屈指の絵画公園の雄が東京都美術館、そして国立西洋美術館。美術館のハシゴ酒もいつかやってみたい。

歴史と外観

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

国立西洋美術館は1959年(昭和34年)に開館した西洋の美術作品を専門とする美術館。松方幸次郎がヨーロッパで収集した印象派の絵画・彫刻「松方コレクション」が所蔵品の中心。常設展示室にはルネサンス期の絵画もあり、東京富士美術館と同じくオールド・マスター(18世紀以前の画家)の作品群が観られる。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

設計はスイスのル・コルビュジエ。弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が設計に協力した。第二次大戦では松方コレクションがフランス政府に没収されたが無事に返還。原田マハ『美しき愚か者たちのタブロー』に感動的に描かれている。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

松方コレクションにはオーギュスト・ロダンの彫刻が多く、外観の目玉は『考える人』

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

《地獄の門》は迫力、スケール感があり、多くの観光客が群がる。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち
国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

その脇にある《アダムとエヴァ》のほうが優れているが、あまり足を止める人は少ない。

国立西洋美術館
国立西洋美術館

金曜と土曜は夜20時まで開館している。閉館1時間前まで入館でき、激混みの企画展も比較的すいているので狙い目である。

常設展示室

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

初訪問は2024年12月10日(火)。10月5日から始まった『モネ 睡蓮のとき』の企画展は列を作ることをやめず、外は地獄のような長蛇。野球のプレミア12の執筆の締切が迫っているので常設展500円だけWebで買い向かった。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

常設展示室にもロダンやマイヨールの彫刻が多く並び、螺旋状のスロープを上がっていく。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

圧巻がルネサンス期の絵画たち。オールド・マスター(18世紀以前の画家)の展示に、国立西洋美術館の凄さが凝縮されている。光の当て方、光量などの調光、温度や湿度などの管理が良いのか。作品の鮮度が圧巻。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

1400年代初期のテンペラ画を直に観られるのは驚き。

古いものほど画集ではなく質感の伴う生で観ることに意味がある。しかも、同年代の日本画であればガラスケースに幽閉するが、生で展示してくれる。

ルーカス・クラーナハ《ゲッセマネの祈り》1518年頃

ルーカス・クラーナハ《ゲッセマネの祈り》1518年頃

クラーナハの絵画など、先ほど描き上げたのではないかと思うほど色が劣化していない。瑞々しいカラーは珍しい。

ルーカス・クラーナハ《ホロフェルネスの首を持つユディト》1530年代

ルーカス・クラーナハ《ホロフェルネスの首を持つユディト》1530年代

ユディトはカラヴァッジオやクリムトも描いているが、クラーナハが最も魔性を帯びている。しかも美しい。魔性には美が宿ることを捉えている。

ピーテル・ブリューゲル(子)《鳥罠のある冬景色》

ピーテル・ブリューゲル(子)《鳥罠のある冬景色》

父の模写。東京富士美術館にもある。国立西洋美術館たるもの、父の本物を頑張って展示して欲しいところ。

カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》1650年

カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》1650年

初めて知った画家。フィレンツェの画家らしい。こんなアートに出逢える。国立西洋美術館の凄さは有名画家のオールスターキャストではなく、カルロ・ドルチのような画家に宿る。後光、御幸、光こそ宗教画の真髄。形や対象、色ではなく光こそ宗教。

エル・グレコ《十字架のキリスト》

エル・グレコ《十字架のキリスト》

《悲しみの聖母》を上回る国立西洋美術館の宗教画ナンバーワン。キリストを幽霊として描く。ゴーストなのに神々しい。ゴーストだから神々しい。グレコによるジーザスに捧ぐアンチェンイド・メロディ。来年、大原美術館で《受胎告知》を観る愉しみが増えた。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

国立西洋美術館は導線が悪い。あっちゃこっちゃ絵を見て回る。まさに美の迷宮。ハッキリ言って観にくい。しかし醜くない。ここが凄い。絵画同士の間隔は狭いがごちゃごちゃしていない。絶妙の距離感で展示。それは絵画同士、そして鑑賞者と絵画の距離にも言える。

ペーテル・パウル・ルーベンス《眠る二人の子供》1612,13年ごろ

宗教画の他のルーベンスが観られるとは。赤ん坊だが弱さがない。力強い。これぞ子どもの生命力であり、理屈を超えた愛の力。ルーベンスはミエナイチカラを凝縮している。

ヤン・ファン・ホイエン《マース河口》1644年

ヤン・ファン・ホイエン《マース河口》1644年

初めて知った。オランダにこんな凄い画家がいるとは。印象でも抽象でも写実でもなく心象の極致。この空間、この時間をどれほど愛していたのか。こういう画家に出逢えるのも大型美術館の醍醐味。美術館は最強のマッチングアプリ。

《聖プラクセディス》

《聖プラクセディス》

フェルメール作なのかの議論を呼ぶ一枚。はい。フェルメールではありません。フェルメールっぽいタッチではあるが。

マリー=ガブリエル・カペ《1783年の自画像》

マリー=ガブリエル・カペ《1783年の自画像》

こんな女性画家がいたとは。ベルト・モリゾやメアリー・カサットを凌ぐ。この美しさは盛っているだろうが、その盛り方が素晴らしいではないか。肌、眼、唇、髪、服、指。女性の魔性がすべて閉じ込められている。ZARDの坂井泉のような完璧な女性像。写真に映らない質感が絵画にはある。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

部屋を移動。ここから巨大な絵画が多くなる。美術館の愉しみを膨らませてくれる。部屋が明るくなる演出も見事。そして、ここに国立西洋美術館の最高傑作がある。

コプリー・フィールディング《ターベット、スコットランド》

コプリー・フィールディング《ターベット、スコットランド》

知らなかった、こんな絵があるとは。知らなかった、こんな画家がいるとは。松方幸次郎が購入したもの。18世紀イギリスの画家。ウィアム・ターナーと並び称されてもいい。《印象、日の出》とは違うパワー・オブ・ザ・サンライズ。いや夕陽かもしれない。いや、そのどちらでもないかもしれない。この瞬間を永遠と呼ぶ。本当の光、本物の希望は淡い。だから心に入り込み照らしてくれる。山の霞、生命力を写真よりも映し出した大傑作。永遠は一瞬にしか宿らない。

ウィリアム・アドルフ・ブーグロー《純血》1893年

ウィリアム・アドルフ・ブーグロー《純血》1893年

世の中にこれほどの画力があるとは。これは本当に二次元なのか?三次元、いや四次元の質感ではないか。形や色などどうでもいい。すべては質感に宿る。青磁よりも滑らか。垂直に滑落していくような滑らかさ。しかし、やさしい。美しい。これは絵画以外に不可能な質感。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 《狼の巣穴》1863年

ジョン・エヴァレット・ミレイ 《狼の巣穴》1863年

ジョン・エヴァレット・ミレイの作品は以前どこかの美術館で観たことがある。しかし別次元の絵画。芸術や映画について使われる「リアリティ」など、どうでもいい。アートにおいてリアリティがいかにちっぽけなものかを、この絵画は教えてくれる。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 《あひるの子》1889年

ジョン・エヴァレット・ミレイ 《あひるの子》1889年

絵画とは鑑賞者を射抜く弓矢。我々が観ているのではない。絵画が観る者を射抜いている。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

部屋を変え、ここから印象派。ホームに帰ってきた。故郷に帰ってきた。そう、印象派とは芸術運動でも技巧でもなく、ふるさと。

エドゥアール・マネ《ブラン氏の肖像》1879年頃

エドゥアール・マネ《ブラン氏の肖像》1879年頃

なんたるチャーミング。ポーズ、ファッション、タッチ。すべてが調和し、タップダンスしている。静止の肖像画なのに、とても動的。

エドガー・ドガ《舞台袖の3人の踊り子》1880-85年頃

エドガー・ドガ《舞台袖の3人の踊り子》1880-85年頃

色が濃いドガの踊り子。ドガの絵が日本で観られる悦び。人物より背景の筆致が強い。動きではなく、踊り子が抱える宿命を描いた一枚。

クロード・モネ《しゃくやくの花園》1887年

クロード・モネ《しゃくやくの花園》1887年

モネが描いたとわからなかった。作者を見てもモネとは思えない。鮮烈な赤、荒々しいタッチ。花が持つ毒素が浮かび上がっている。このときモネには、花たちが荒ぶっているように見えたのか。花を力強く描くことで、空間の空気が伝わってくる。気をつけろよ、美しさには棘があるぞと言っているようだ。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち》1872年

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち》1872年

女性を斜めに対角線に描く。ひとりの少女ではなく3人の豊潤な女性。チラリズムとエキゾチックな色合い。ここから少女に飛躍するのがすごい。

《帽子の女》1891年

《帽子の女》1891年

年齢不詳。タイトルが「Woman with a Hat」なので少女ではない可能性が高い。見た目も幼くない、服装も豪華、おっぱいも膨らんでいる。でもルノワールが描くと少女にも見える。少女がこんな帽子をかぶって、こんなポーズをとれば素敵ではないか。真珠は大人よりも少女のほうが似合うのではないか。

モーリス・ドニ《行列》1919年

モーリス・ドニ《行列》1919年

強烈な一枚。モーリス・ドニの名も知らなかった。ベタッとしたタッチなのに人間の存在力が凄い。何の風景かは知らない。しかし、宗教というものが、人を束縛するものではなく、解放するものであることを伝えている。パワー・トゥ・ザ・ピープル。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

いよいよ常設展はフィナーレに向かう。近代絵画の足音が聴こえる。

カミーユ・ピサロ《収穫》1882年

カミーユ・ピサロ《収穫》1882年

収穫をテーマにした絵画は多い。そして多くが遠景で描く。ピサロも御多分に漏れない。しかし、どうだ、この瑞々しさは。大地を斜めに伸びていく。地平線でも水平線でもない。斜平線。これぞ大地の恵み。

アクセリ・ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》1906年

アクセリ・ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》1906年

初めて知ったフィンランドの画家。ガラスのような湖の水面。光と空気。フィンランドに行ったこともないのに、勝手に旅行した気になる。

ラウル・デュフィ《モーツァルト》1943年

ラウル・デュフィ《モーツァルト》1943年

アマデウスではなくモーツァルト。決して音楽的な絵画ではない。リズムものない。彫刻のように彫った絵画。デュフィはモーツァルトの天才性ではなく孤独を描こうとした。

藤田嗣治《坐る女》1929年

藤田嗣治《坐る女》1929年

西洋画ではなく日本画。日本画ではなく西洋画。金屏風に洋風の美女。そこに猫ではなく鳥。エコール・ド・パリのジャポニズム。狂乱の時代(レ・ザネ・フォル)を絵画が超える。藤田嗣治とレオナール・フジタという二刀流。

ジョルジュ・ルオー《道化師》1937-38年

ジョルジュ・ルオー《道化師》1937-38年

なぜルオーは道化師を描いたのか。そこに笑いではなく孤独を宿したのか。ルオーによる道化師のソネット。誰かを笑わせるのではなく、自分の笑顔を見つけるため、人は道化師を演じる。

ジャクソン・ポロック《ナンバー8, 1951 黒い流れ》1951年

ジャクソン・ポロック《ナンバー8, 1951 黒い流れ》1951年

美の迷宮の出口はジャクソン・ポロックにあり。棟方志功の作品かと思った。何という闇。闇のリバー。闇のダンス。闇の血流。闇の大河。色でも形でも音でもない。絵画とはそれを超えたもの。魂の色。

クロード・モネ《睡蓮》 1916年

クロード・モネ《睡蓮》 1916年

睡蓮だけで200枚以上も描いたモネ。空気と池を花瓶した画家。絵筆は花と対話する通信機、絵の具はモールス信号。絵画というより手紙であり、そこに亡き愛する人たちがいる三途の川。自らの墓場でもある。本当の流行とはいっときの時流に乗ることではなく、何百年も流れ続けて愛されるもの。歴史という流行、伝統という流行。永遠という流行がモネにある。

国立西洋美術館〜美しき愚か者のタブローたち

《考える人》が地獄のような大行列を眺めながら「懲りずにまた来いよ」と言ってくれた。

企画展:睡蓮のとき

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

地獄の混雑で観る気が失せたリベンジ。金曜の夜18時以降なら少し空いていた。それでもギュウギュウだったが。

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

2024年10月5日〜2025年2月11日まで。マルモッタン・モネ美術館の所蔵作品を約50点来日。

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

企画展のメインビジュアル。最も色合いがよく、バランスがいい。だが、そこに三途の川感は少ない。

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

かなり鮮やかな黄色。ゴッホにとって《ひまわり》の黄色は孤独の照明だったが、モネにとっての黄色は死者に捧げる菊の花に近い。

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき


国立西洋美術館,企画展:睡蓮のとき

美術館メシ:CAFÉ すいれん

美術館メシ:CAFÉ すいれん

国立西洋美術館の所蔵品であるモネの絵画をオマージュした名のカフェ。メニューは絵画とは関係なく、イタリアンやフレンチの軽食。カレーやハンバーグなどもある。

国立西洋美術館,CAFÉ すいれん

ひとりでも入りやすく、かしこまった感じがない。美術館とは思えないアットホームな雰囲気。

美術館メシ:CAFÉ すいれん

パスタセット1700円。4種類のパスタの中から1つ、サラダ、ミネストローネのスープ、バケットがつく。

営業時間

10:00〜17:30(食事11:00〜16:45L.O.喫茶10:00〜17:15L.O.)

金曜日・土曜日 

10:00〜20:00(食事11:00〜19:10L.O. 喫茶10:00〜19:30L.O.)

国立西洋美術館の概要

  • 開館: 1959年6月10日
  • 住所:東京都台東区上野公園7番7号
  • 設計:ル・コルビュジエ
  • 所蔵:6,000点
  • 目玉:エル・グレコ《十字架のキリスト》
  • メシ:CAFÉ すいれん

東京のおすすめ美術館

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢〜ルノワール最高傑作

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢

  • 原題:Portrait d'Irène Cahen d'Anvers(フランス語)
  • 作者: ピエール=オーギュスト・ルノワール
  • 制作: 1880年
  • 寸法: 65cm×54 cm
  • 所蔵: チューリッヒ美術館(スイス)

フェルフェールの《真珠の耳飾り》と並んで有名な少女を描いた絵画。

絵画レビュー

絵画の歴史上、最も美しい女性画のひとつ。なぜ美しいか。この時、この瞬間が最も美しいからだ。あとは時を経ていくにつれ、美は失われていく。美ほど永遠で刹那なものはない。強靭さと儚さを抱えている。視覚的な美しさだけではない。熟れる前が最も美しい、未熟こそが最大の才能であり美であり、これから衰えていく時間の残酷を浮き彫りにしている。この絵には見えない時間が存在している。白いドレスは純白であり死装束、白骨の色でもある。

背景の葉はシェイクスピアの『ハムレット』でオフィーリアが溺れる川の周りのようである。そして異常なほどに生い茂った髪はエロスの象徴。髪とは何よりも女性の豊艶を表す。ちょこんと可愛らしく座って手を添え、優艶な唇をキッと閉じているのは一見、強かであり、男への服従も表す。男は斜め上から見下ろすことで征服欲を掻き立てられる。斜めを向いているのは、少女が抗っているから。SOSを出しているから。自分の運命を感じとっているから。イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の世の中と時間へのファイティングポーズである。

ルノワールはこの一枚に「美術」とは何かを孕ませた。美術は「美しい術」。美の術。技ではなく術。美の魔法。そこに美の呪いをかける。映画は雄弁に語るものであり、絵画はなにかを黙示する。絵画とは「現在への郷愁」であり、永遠を創造しようとすること。絵画とは時空をキャンバスの中に誘拐すること。

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の概要

ルノワール39歳頃の作品。絵のモデルはベルギーのアントワープ出身のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵の長女イレーヌで、年齢は8歳といわれている。この美術界のスーパースターは2018年に日本に来日した。映画『レオン』のマチルダが来日するようなもの。一生の不覚。見逃してしまった。東京・国立新美術館、九州国立博物館、名古屋市美術館を巡ったようだ。展覧会に行った人はコメントで感想を教えて欲しい。機会があれば、いつかスイスのチューリッヒ美術館で観たい。

ルノワールの少女画が観られる美術館

ポーラ美術館

ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》1891年

《レースの帽子の少女》1891年

少女とは何かを表す一枚。少女とは「斜め」。世の中を斜めに見つめ、眼と唇で世の中を誘惑する。不自然に大きい胸も男を誘う。少年は男になるが、少女は最初から女。ルノワールはそれを捉えている。

アーティゾン美術館

ピエール=オーギュスト・ルノワール 《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》  1876年

 《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》 1876年

肌には青い斑点があり、死相にも見える。不気味だ。しかし、ブルーは熱い色。斑点は少女の宣戦布告。足の組み方は『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニールの虚空と煙草。少女は年齢より先の世界を見つめている。遥か先の時空を生きている。地面に足がつかない。この世を浮遊している。浮世している。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《少女》1887年

《少女》1887年

服と瞳をブルーに。髪だけが成熟している。晩年のルノワールの眼に少女はどんな存在だったのか。

国立西洋美術館

《帽子の女》1891年

《帽子の女》1891年

年齢不詳。タイトルが「Woman with a Hat」なので少女ではない可能性が高い。見た目も幼くない、服装も豪華、おっぱいも膨らんでいる。でもルノワールが描くと少女にも見える。少女がこんな帽子をかぶって、こんなポーズをとれば素敵ではないか。真珠は大人よりも少女のほうが似合うのではないか。

ルノワールが描く少年

《猫を抱く少年》1868年
  • 制作: 1868年
  • 寸法: 124cm×67 cm
  • 所蔵: オルセー美術館(フランス)

26歳のルノワールが描いた唯一の少年の裸体といわれる作品。ルノワールの最高傑作の一枚。この少年は誰なのかわからない。布と脚を組んだポーズ。これほど官能的な構図はない。色は暗く死臭すらある。これから大人になる憂鬱を描いている。自画像が少なかったルノワールの自画像に思えてならない。

ルノワールという画家

ルノワール

《自画像》1910年

ピエール=オーギュスト・ルノワールは1841年2月25日、フランス中南部の磁器の町リモージュで生まれた。7人兄弟の6番目。3歳でパリに移り住み、20歳の頃から画家を目指したといわれる。23歳でサロンに入選するも生活は苦しく、33歳のときに「第1回印象派展」を開催するも評価は得られず、36歳で描いた《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》も評価は厳しかった。評価されるようになったのは1892年にデュラン=リュエル画廊で開いた個展に出展した《ピアノに寄る少女たち》が4000フランで政府買上げになってから。ピカソやマティスから尊敬されるのとは対照に、世間はルノワールに追いつけなかった。

《自画像》1910年

1897年に、自転車から落ちて右腕を骨折し、リウマチを発症。その後は、療養のため冬を南フランスで過ごすことが多くなった。晩年はレジオンドヌール勲章を授与され評価は上がったが、 1919年12月3日に78歳で亡くなる。絵画の値段が高騰していったのは死後だった。

 

その他の「いちまいの絵」

大阪中之島美術館〜大阪と日本人の底力

大阪中之島美術館

  • 開館:2022年2月2日
  • 住所:大阪府大阪市北区中之島四丁目3番1号
  • 設計:遠藤克彦建築研究所
  • 所蔵:約6,000点
  • 階数:5階
  • 目玉:モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》
  • 撮影:OK
  • メシ:なし

大阪中之島美術館は19世紀後半から21世紀までの近代・現代美術の約6000点を所蔵するミュージアム。僕が生まれた1983年から構想され、経済難などを乗り越えて2022年2月2日の開館。40年近く待ち侘びた大阪民は多い。所有は大阪市。

美術館までのアクセス

大阪中之島美術館

大阪駅からは南西を目指して真っ直ぐに南に向かって歩き、曽根崎心中で有名な曽根崎通りを左折。20分ほど歩くがアクセスは良い。大阪駅前から「田蓑橋」までのバスもある。大阪中之島美術館

中之島は堂島川と土佐堀川というふたつの河川に挟まれた中洲。美術館も野球場も川のほとりに建てられる。流れ着く旅人だから。

外観と内観

大阪中之島美術館

真っ黒なブラックキューブ。美術館の前には「旅の守り神・福を運ぶ猫」としてヤノベ ケンジ作《シップス・キャット》がある。センスが良いと思わないが、評判は良い。道頓堀の食いだおれ太郎、通天閣のビリケンのようなもの。

大阪中之島美術館

中之島の景観を損ねないように派手さをなくし、美術館の高さも周りのビルに比べて低い。

大阪中之島美術館

入り口をくぐると、いきなりのミュージアムショップ。さすが商魂の大阪。Hey Hey おおきに毎度あり。

大阪中之島美術館

エントランスホールは吹き抜けの広い空間。駅のコンコースのような雰囲気。中高生のころ苦手だった空気。アーティゾン美術館のように、厳かにして美術館好き以外は来ないようにしている。チケット販売のカウンター、券売機があり、コレクション展の料金は2100円と市が運営する美術館としては高い。これも美術好き以外は来ないフィルタリングだろう。さらに企画展『塩田千春 つながる私』は別途1,700円かかる。両方とも鑑賞したら3800円。かなり財布に厳しい。

大阪中之島美術館

大阪市役所に展示された《ジャイアント・トらやん》も展示。外の猫といい、あまりセンスを感じないが、親しみを演出しているのだろう。ここでコインロッカーに荷物を預ける。

大阪中之島美術館

コレクション展は4階で、長いエスカレーターを上がっていく。階段がない。2階は親子休憩室・アーカイブズ情報室・芝生広場になっている。

大阪中之島美術館

展示室は6メートルの天井なので息苦しさがない。

TRIOパリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

コレクション展は開館3周年を記念してパリ市立近代美術館、東京国立近代美術館とコラボ。同じ題材の絵画は3点を横並びにする。2024年9月14日から12月8日(日)まで。

大阪中之島美術館

約150点が集結し、粒揃いではあるが当たり外れも多い。最初は黒の壁に展示。

佐伯祐三

佐伯祐三《郵便配達夫》1928年

佐伯祐三《郵便配達夫》1928年

トップバッターが佐伯祐三なのはうれしい。座っているのに屹立に見える斜め直線で描く。人間らしい丸みがなく色も力強い。線と四角だけで、ここまで生き生きと人間を表現できる佐伯祐三の凄さ。隣のロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》1915年も素晴らしかった。

佐伯祐三 《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年

佐伯祐三 《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年

飲食店なのにキタネー。ゴチャゴチャしている。なのに宝石を散りばめたよう。美しさばかりが宝石じゃない。本当の美は眼に見えない。これが佐伯祐三。西洋画家にも負けない筆力。

河合新蔵 《道頓堀》 1914年

河合新蔵 《道頓堀》 1914年

人物の次は三都の風景画。大正時代の道頓堀。絵葉書的だが、資料としては良い。構図は山形美術館で観た川瀬巴水と同じ。

長谷川利行 《新宿風景》 1937年

長谷川利行 《新宿風景》 1937年

今度は新宿。戦前だから今とは別の街。だが今の新宿に通じる面影がある。絵画とは「現在への郷愁」でもある。

アルベール・マルケ 《雪のノートルダム大聖堂、パリ》 1912年頃

アルベール・マルケ 《雪のノートルダム大聖堂、パリ》 1912年頃

人物の次は三都の風景画。モーリス・ユトリロ《セヴェスト通り》1923年も良かったが、上回ったのがマルケ。建物や川といった対象物より、空気に惹かれる。自分が冬に生きているような、タッチは正反対だがゴッホと同じ筆力を感じる。パリ市美術館はフェリックス・デル・マルル《メトロのモンパルナス駅》も見事。

フェリックス・デル・マルル《メトロのモンパルナス駅》

フェリックス・デル・マルル《メトロのモンパルナス駅》

風景画では日本を圧倒している。

ウンベルト・ボッチョーニ 

ウンベルト・ボッチョーニ 《街路の力》 1911年

ウンベルト・ボッチョーニ 《街路の力》 1911年

大阪中之島美術館が誇るコレクション。33歳の若さで戦死したイタリアのフトゥリズモ(未来派)ウンベルト・ボッチョーニ28歳頃の作品。街路でも森でも街路樹でもない。そのどれもが一体となったパラレル・ワールド。破壊こそが真の創造であると教えてくれる。他の作品も観てみたい。日本で個展を開催してほしい。

ジャン=ミシェル・バスキア 《無題》 1984年

ジャン=ミシェル・バスキア 《無題》 1984年

遠くにいてもバスキアの絵があるとわかる。バスキアは絵画という名のタトゥー。描くというより刻む。オレンジとイエロー。幸せの黄色いタトゥー。

アンドレ・ボーシャン 《果物棚》 1950年

アンドレ・ボーシャン 《果物棚》 1950年

長野のハーモ美術館で知ったアンドレ・ボーシャン。ちょっとゴチャゴチャしている。優しい気持ちにさせてくれるが、ハーモ美術館にある作品のほうが上。

池田遙邨 

池田遙邨 《戦後の大阪》 1951年

池田遙邨 《戦後の大阪》 1951年

日本人画家も負けていない。「ようそん」と読む。佐伯祐三にも比肩する。こんな日本人の画家がいたとは。倉敷市美術館にコレクションがあるようだ。行かないと。ピカソの《ゲルニカ》とは違うパワー。明日のジョーのように真っ白な灰のとんでもないパワーを伝える。

大阪中之島美術館

どんな画家でも名作ばかりではない。その画家の力を知っているからこそ物足りなく感じる。

左からサルバドール・ダリ《幽霊と幻影》1934年、ジョルジョ・デ・キリコ《慰めのアンティゴネ》1973年、マルク・シャガール《夢》1927年。どれもイマイチ。どんなに偉大な画家でも失敗作のほうが多い。膨大な屍の上に名作が樹立していることを教えてくれる。ちなみにダリの作品は6億7800万円。ラウル・デュフィやパウル・クレー、ピエール・ボナールなどの作品が観られるのはうれしいが、アートに慣れることで反対の効果も生まれる。今回、感動したのも名前の知らない画家が多い。未熟は尊い。玄人にはなりたくないものだ。

東郷青児

大阪中之島美術館

4階展示室は分割され移動。天気が良ければ太陽光が差し込む。後半戦スタート。日本人画家の凄さに震撼する展覧会。藤田嗣治(レオナール・フジタ)の絵も二枚あったが、それより凄かったのは驚き。

東郷青児 《サルタンバンク》 1926年

東郷青児 《サルタンバンク》 1926年

最初に度肝を抜かれるのが東郷青児。左隣にピカソの並ぶキュビズムの旗手・フェルナン・レジェ《パイプを持つ男性》があったが、それが凡作に見えてしまうほど。顔の向き、指の向きの調和、セッション。楽器から音は聴こえないが、ふたりの指から音楽が聴こえる。福岡市美術館にあった《木立》の次に傑作。

萬鉄五郎

萬鉄五郎 《もたれて立つ人》 1917年

萬鉄五郎 《もたれて立つ人》 1917年

ピカソ《男性の頭部》1912年と横並びの萬鉄五郎。ピカソのような凄さが鉄五郎にあり、逆にピカソ作品はイマイチ。フェルナン・レジェといい、パリ市美術館は2軍の作品を送り出してきたか。

草間彌生

草間彌生 《No. H. Red》 1961年

草間彌生 《No. H. Red》 1961年

マーク・ロスコと思ったら草間彌生。ロスコの《ボトル・グリーンと深い赤》もあったが、それより良い。暖色なのに吸い込まれる力がある。ロスコの凄さが草間彌生にある。真似でも模倣でもなく、草間彌生のアート力がそのまま作品になったような一枚。

ルネ・マグリット

大阪中之島美術館

今回の美術展で最もすごかった絵は中間にある。壁をピンクに配色。その中央にその一枚はある。

ルネ・マグリット 《レディ・メイドの花束》 1957年

ルネ・マグリット 《レディ・メイドの花束》 1957年

紳士とプリマヴェーラ。互いに反対のベクトルを向いている。男は背中で語り、女は正面から視線を誘う。男と女とは何かを表した一枚。これがパリ市美術館ではなく、大阪中之島美術館の所蔵であることに驚く。

モディリアーニ

大阪中之島美術館

今回、大阪中之島美術館を訪れた目的の絵は残念ながらガラケー(ガラスケース)展示だった。その絵はアンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》1928年、萬鉄五郎
《裸体美人》1912年と三体の裸婦画の左端に並べられていた。まだ大阪中之島美術館の建設計画が発表され、予算が決まった初年度の1989年に19億3000万円で購入。日本が所有する唯一のモディリアーニの裸婦画であり当時は多額の税金を注ぎ込むことに反対も多かった。現在ではモディリアーニの裸婦画は200億円ほどするため、今から考えると安い買い物だったと言える。

アメデオ・モディリアーニ 《髪をほどいた横たわる裸婦》 1917年

アメデオ・モディリアーニ 《髪をほどいた横たわる裸婦》 1917年

モディアーニの最高傑作。体が火照っている。色も眼もポーズも誘っている。エロスの膨らみの両胸、乳首。肩にかかったロングヘア。誘惑するような右手、淫部を隠すことで余計に官能さが際立つ左手、そして妊婦であるかのうように腹を膨らませることで陰部に視線を向かせる。最大級に官能的な絵。しかし、モデルはオーラを放っている。指一本ふれさせない。私は絵のモデルだ。娼婦ではない。私はクレオパトラだというメッセージを発している。トーテムポールのように細長い顔が古代エジプトの女王を思わせる。この絵は来年に出版するアートの本で「史上最高の裸婦画」にノミネートする。有名な裸婦画との四つ巴。ナンバーワンになる女王は誰か。乞うご期待。

大阪中之島美術館の所蔵品

キスリング《オランダ娘》1922年

キスリング《オランダ娘》1922年

モイズ・キスリングの真骨頂は眼。このエメラルドのような眼も実物を観てみたい。

ジョルジオ・デ・キリコ《福音書的な静物》1916年

ジョルジオ・デ・キリコ《福音書的な静物》1916年

キリコ展で展示されていたが、あまり印象に残っていない。あらためて見ると青と緑と黒の配色が面白い。もう一度、実物を観てみたい絵画。

佐伯祐三 《立てる自画像》 1924年

佐伯祐三《立てる自画像》1924年

倉庫で腐らせないでほしい。漫画『ギャラリーフェイク』の第11巻「顔のない自画像」で登場する。パリでヴラマンクから叱りを受け、芸術とは内面の告白、己そのものを描くものと受け止めた。佐伯祐三のショックと、新たなる自分を探し出す決意の表れと解説。一度この眼で観てみたい。

大阪中之島美術館の沿革

構想

大阪中之島美術館は昭和58年(1983年)8月    大阪市制100周年記念事業基本構想の一つとして近代美術館の建設が発表。

収集

まだ土地も購入していない1989年から美術品の収集が始まり、モディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》を19億3000万円で購入。その後もジョルジョ・デ・キリコ《福音書的な静物》を4億2800万円で、サルヴァドール・ダリ《幽霊と幻影》を6億7800万円で購入し、美術品にかけた総額は150億円に達した。大阪市の税金を使って一枚の絵に多額の投資をしたことで大きな波紋を呼んだ。

土地

1998年10月に大阪大学医学部跡地に土地を購入し、建設費280億円をかけて建設工事を着工したのは2019年2月。予算は底を底を尽き、2004年から絵画の購入はストップ。寄付や寄託によって作品を収集し続けた。

統合

一時は天王寺にある大阪市立美術館との統合も計画されたが、水の都・中之島に独立して設営することに決定。

命名

2018年には美術館の名称を公募し、同年10月18日に館名を「大阪中之島美術館」に決定。構想から約40年の歳月をかけて2022年2月2日に開館した。

美術館のあとは新梅田食道街で

新梅田食堂街

大阪中之島美術館にはカフェがないので、最寄り駅の大阪駅の新梅田食道街でアートへの想いを馳せる。

東郷青児の傑作に逢える美術館

モディリアーニの傑作に逢える美術館

佐伯祐三の傑作に逢える美術館

西日本の美術館

大阪周辺のグルメ

《ひまわり》フィンセント・ファン・ゴッホ

《ひまわり》ゴッホ、1888年

《ひまわり》ゴッホ、1888年
  • 原題:Les Tournesols(フランス語)
  • 作者:フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 制作:1888年
  • 寸法:100.5×76.5
  • 所蔵:SOMPO美術館

世界に点在する《ひまわり》の中でも最高傑作。

ヒマワリは太陽の方向を向く花。しかしゴッホはヒマワリを太陽ではなく、部屋に招待し花瓶に生け、自らの眼差しと対峙させた。ゴッホにとってヒマワリは孤独の照明だった。モネはジヴェルニーの池を花瓶にし、ゴッは向日葵や桜を花瓶に生け。花も野菜と同じく「収穫するもの」なのだ。ゴッホは土を生きる。画家よりも彫刻家。植物と遊び、花を彫刻して絵を描く。絵の具を使って絵画という彫刻を創る。

師匠はゴッホの《ひまわり》を「自画像である」と言う。その感性も好きだが、顔ではなく男根だと思っている。花は生殖器。ゴッホの《ひまわり》は射精を描いた絵画であり、ゴッホの中で最も<性>が爆殺する。ゴッホの魂の精液が、遺伝子があらゆる方向に飛散している。ゴッホの作品の中でも、最も生命力が強く、生きたいと願う気持ちが強い。生への執着、執念、怨念が花火の如く、翔ぶが如く爆発している。「芸術は爆発だ」という名言があるが、ゴッホの《ひまわり》こそ爆発の最高傑作。最高のアートは美術を超えた「美獣」。だから人を惹きつける磁力を持っている。

SOMPO美術館の《ひまわり》展示

ゴッホ展を開催するときだけ、ガラスケースから解放される。普段はSOMPO美術館の3階にガラスケースに閉じ込められ展示。カリオストロの城に幽閉されるクラリスのようだ。それでも逢いに行きたい。逢いに行ってほしい。ゴッホの《ひまわり》は野球の4番バッター。他の展示に満足しなくても、この一枚だけでいいと思える。そんなホームラン力を持っている。

世界の《ひわまり》

SOMPO美術館の展示

SOMPO美術館の展示

SOMPO美術館の《ひまわり》は南フランスのアルルで1988年の秋から冬にかけて描かれたとされている。1987年3月に安田火災海上が2250万ポンド(約53億円)で落札し話題となった。たった1枚の絵が美術館の歴史を変え、今では世界中から《ひまわり》を観るため多くの外国人が新宿を訪れる。

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現在、世界に公開されているゴッホの《ひまわり》は6点ある。もう一枚は兵庫県の芦屋にあったが1945年の第二次大戦の空襲で消失。生きているのはアメリカに2点、イギリス、オランダ、ドイツ、日本。いずれ、すべての《ひまわり》をこの眼で観たい。花弁の数も3本、5本、12本、15本と違う。SOMPO美術館にあるのは15本。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあるのも15本。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》

現存する6つのうち、世間でゴッホの《ひまわり》といえばロンドン・ナショナル・ギャラリーの一枚を指す。

釜山の地下道にある《ひまわり》

釜山の地下道にある《ひまわり》

このロンドン・ナショナル・ギャラリー《ひまわり》のレプリカが韓国・釜山の地下道に並んでいる。いつかSOMPO美術館の一枚と並べて比較したい。

ドイツ・ミュンヘンにあるゴッホ《ひまわり》

7枚のうち、師匠が最も好きな《ひまわり》はドイツのミュンヘンにある美術館「ノイエ・ピナコテーク」の一枚。なぜかはここでは明かさない。2025年10月に発売するアート本で。

焼失した芦屋にあった《ひまわり》

《ひまわり》フィンセント・ファン・ゴッホ

第二次大戦で消失してしまった山本顧彌太が所蔵していた一枚に関して師匠は「失敗作だね。燃えてよかったよ」と仰っていた。この幻の《ひまわり》はうれしいことに、徳島県鳴門市の大塚国際美術館が原寸大の陶板で本作を再現している。

西新宿のハイアットリージェンシー東京のカフェでは何年かに一度、《ひまわり》にかけたフェアもやっている。

そのほかの《ひまわり》

アメリカ個人蔵

アメリカの個人が所蔵している《ひまわり》。花弁の数が3本と最も少ない。

ファン・ゴッホ美術館

《ひまわり》フィンセント・ファン・ゴッホ

オランダのアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館の所蔵。唯一、ゴッホの祖国にある《ひまわり》である。

フィラデルフィア美術館

《ひまわり》フィンセント・ファン・ゴッホ、フィラデルフィア美術館

アメリカのフィラデルフィア美術館が所蔵。ロッキーの階段で有名。2008年に弟とフィラデルフィアを訪れたとき観ればよかった。この《ひまわり》は、どこかロッキーと似ている。

ゴッホ《ひまわり》がある美術館

いちまいの絵シリーズ

真珠の耳飾りの少女〜振り返ればフェルメールがいる

真珠の耳飾りの少女〜振り返ればフェルメールがいる

  • 原題:Het meisje met de parel(オランダ語)
  • 英題:Girl with a Pearl Earring
  • 邦題:青いターバンの少女
  • 作者:ヨハネス・フェルメール
  • 制作:1665年(推定)
  • 寸法: 44.5 cm × 39 cm
  • 所蔵:マウリッツハイス美術館(オランダ)

フェルメールの絵で数少ない背景が塗りつぶされた一枚。少女の顔は、闇の宇宙に浮かび上がる地球という球体のよう。

女の命である髪を隠す。髪を隠すことは、そこに神を隠すこと。女の神秘を閉じ込めることで観る者に神秘を開放する。年齢は不明。モデルも不明。幼さと艶麗を持つ不思議な少女。半開きの唇の赤にエロスと魔性が宿る。

この絵で最も重要なことは振り向いていること。なぜ女は振り向くのか?男が近づいているから、男が声をかけているから。フェルメールはこの少女を遠くから見守るのではなく吸い寄せられている。少女の宇宙に。

ターバンの青と瞳の黒。地球と宇宙の色。唇の赤が女の血。処女の色。発情の色。この絵は少女の処女を奪いたい。フェルメールの情念が宿っている。真珠の耳飾りは、これから処女を失う少女の美しき涙である。

フェルメールという画家

真珠の耳飾りの少女〜振り返ればフェルメールがいる

フェルメールのサイン

ヨハネス・フェルメールは1632年にオランダのデルフトに生まれた。本名は本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト。パブと宿屋を営みながら画商もおこない、その間に画家として絵を描いたといわれる。43歳(42歳の説もある)で生涯を閉じるまでに残した作品は35点で制作年数や工程の記録も乏しい。漫画『ギャラリーフェイク』第12話「ターバンの女」によると、フェルメールのタッチは驚くほど平坦でなめらか。絵具は幅広く塗られ、タッチは奇跡的にまで少ない。贋作者が似ようとするほど筆致が多くなり細かいタッチになってしまう。フェルメールの鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」と呼ばれる。

忘れられた画家

フェルメールは死後200年以上も忘れられた画家であった。現在ではルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》と並び、少女を描いた絵画の最高傑作であるが、1800年代のオークションで《真珠の耳飾りの少女》は2ギルダー30セント、今の4000円から1万円で落札された。その後、マウリッツハイス美術館に寄贈。美術館は今や大儲け。1984年に国立西洋美術館に初来日したときは《青いターバンの少女》というタイトルだった。2012年に東京都美術館に来たときの入場者数は75万8000人。

映画『真珠の耳飾りの少女』

映画『真珠の耳飾りの少女』

フェルメールが描いた《真珠の耳飾りの少女》はバストトップ。しかし、その下には豊満な胸が隠れていることをのぞかせる。映画で真珠の耳飾りの少女を演じたのは10代のスカーレット・ヨハンソン。豊麗さと処女性を備えているベストキャスティングと言える。若き日のアリシア・ヴィキャンデルで別の物語を作って欲しかった。ちなみにフェルメール役はコリン・ファース。モデルの少女は使用人のグリートで、11人の子供がいたといわれるフェルメールは使用人を孕ませまくる女ったらしとして描かれる。《真珠の耳飾りの少女》の妖艶さを見れば納得のキャラクターだが、映画としては駄作だった。

フェルメールの絵画が展示してある美術館

その他の「いちまいの絵」

真夜中のイカロス ♯恵比寿東公園トイレ

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尾崎豊は『Freeze Moon』で歌った。
俺たちの真夜中の翼はボロボロになっちまう。

そんな翼を慰めるものが都会にあるのか。

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映画『PERFECT DAYS』で役所広司が最初に向かうのが、恵比寿東公園。デザインを手がけた槇文彦はイカをイメージして作られた。しかし、イカはイカでも翼を広げたイカロス。

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トイレが翼を広げている。真夜中のイカロスたちを迎える。

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トイレは餃子屋『ダンダダン』の隣にある。この餃子屋に去年、毎月のように通った。文章教室が終わり祝杯をあげた。しかし、トイレの存在に気づかなかった。不覚。

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次にダンダダンを訪れる日が来るのか、それは分からない。しかし、再び餃子を食べに来るとき、店のトイレではなく俺は真夜中のイカロスになる。

恵比寿東公園トイレ(十七才の地図より)

恵比寿トイレの終着駅。さらば冬のかもめ。トイレが翼を広げている。

2020年7月完成の最古参。恵比寿は西と東に2つずつアートを配置。誰でもトイレの壁は鏡面。男性トイレにはベンチがある。『PERFECT DAYS』の平山のテチトリーでもある。

防犯性を考え、広くした通路。ダンジョン感がある。

シルバーブルーのピクトグラムがやさしい。

凛々しい背中。シンプルな色合いだからこそ、夜はまるっきり印象が違うだろう。『蘇る金狼』のトイレ。

スピードを求めないカモメのジョナサンのような時間が流れていた。

ベンチでカップ麺を食べるサラリーマン。タコとカモメ。静かな時間が流れる。次の公園で昼ごはんにしよう。

映画『PERFECT DAYS』

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

  • 開館:1930年11月5日
  • 住所:岡山県倉敷市中央1-1-15
  • 設計:薬師寺主計
  • 所蔵:約3,000点
  • 目玉:フェルディナント・ホドラー《木を伐る人》
  • メシ:エル・グレコ(館外)

1930年(昭和5年)の開館、日本初の私立西洋美術館。倉敷の実業家・大原孫三郎が創建者。一期一絵はもったいないミュージアム。何度も通い歴史を咀嚼したい。神殿の格式を持った外観、巡回しやすい落ち着いた内観。西洋画と日本画のパワーバランスも見事。モネ《睡蓮》《積みわら》、ゴーギャン《かぐわしき大地》、エル・グレコ《受胎告知》などのメジャー作品が客寄せパンダとなり、メジャーではない画家たちの作品にいざなってくれる。展示を見ればどれほど美術を大切にしてきたか、その愛情と温もりが視覚で伝わる。降ってきた雪でさえ暖かさを感じさせてくれる美術館。

アクセス

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

大原美術館へは新幹線の岡山駅から山陽本線に乗り換え、18分ほど揺られて倉敷駅で下車。2025年1月6日、実家の奈良県桜井市からジャスト3時間だった。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

駅からは倉敷中央通りを直進。遠くに大原美術館が見える。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

倉敷美観地区呼ばれるあたりを10分ほど歩く。景観もアート。大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

空気は無色透明のアート。倉敷川のほとりに大原美術館が見えてくる。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

美術館というより推理小説に出てきそうな洋館。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

2025年1月6日は休館中だったが、分館の通りは美しい庭。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

本館の正面口だけ訪れるのはもったいない。グルッと一周する価値がある。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

入館料は2000円。コインロッカーではなく、手荷物預かり所にリュックを預ける。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

ギリシア神殿を模した本館の正面口にはオーギュスト・ロダン《カレーの市民》と《説教する聖ヨハネ》が迎える。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

東洋館・工芸館には棟方志功の作品や紀元前の中国の陶器もあり、これだけでも訪れる価値がある。

大原美術館〜本気になったら倉敷の大原

モネの睡蓮の池を再現した庭。館内は撮影禁止なので撮影できるのはここまで。

常設展示室

クロード・モネ《睡蓮》1906年

クロード・モネ《睡蓮》1906年

1階にある作品。モネの生前にジヴェルニーを訪れ本人から買ったもの。水面からたちのぼる靄。空気は淡いのに色は強い。少し離れて見ると、浮かんでいるのではなく屹立しているように見える。そこまで響くものはない。

アンリ・マティス《マティス嬢の肖像》1918年

アンリ・マティス《マティス嬢の肖像》1918年

1階で最も良い。誰を描いたのかは知らない。全身を服で防御している。女の眼には暗い未来が宿っている。それでも強く生きていくんだと画家は言っている。女性の脆さと強さを表現し切っている。

ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》1892年

ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》1892年

階段を上がって2階へ。トップバッターがゴーギャン。周りの植物が少女を食べようとしている。大地が飲み込もうとしている。それに少女は抗う。女の自立を描いた絵。しかし、背景を描きすぎている。もっと抑えたほうが迫力が出た。

フェルディナント・ホドラー《木を伐る人》1910年

フェルディナント・ホドラー《木を伐る人》1910年

スイスの画家。初めて聞いた名前。しかし、すごい。背景の白、青い太陽。躍動感はないが、打者がピッチャーの球を打つかのような緊張感がある。

ワシリー・カンディンスキー《尖端》1920年

ワシリー・カンディンスキー《尖端》1920年

大原美術館で最も良かった一枚がカンディンスキー。背景の土。大地。この絵こそタイトルを「かぐわしき大地」にすべき。大地の喜び、歓喜の歌声を絵画にした。カンディンスキーの中でも屈指の傑作。

パブロ・ピカソ《鳥籠》1925年

パブロ・ピカソ《鳥籠》1925年

効果的なのは背景。閉じ込められた鳥。外の自由な世界も、内の不自由な世界も同じ。どちらもあって地平線になる。手前の人と果物はカムフラージュ。そして真ん中の枠。世界は謎であるという呪文。

エル・グレコ《受胎告知》1590年頃

エル・グレコ《受胎告知》1590年頃

廊下の第3室にあるエル・グレコ。一枚だけのVIP待遇。大原美術館の顔。残念ながら良さがわからない。気を衒った宗教画のようで調和し過ぎていている。《受胎告知》はフラ・アンジェリコが最高傑作。グレコは国立西洋美術館の《十字架のキリスト》はすごいが、この絵は失敗作に思えてならない。

松本竣介《都会》1940年

松本竣介《都会》1940年

第4展示室。まさに都会の青暗さ。外国なのか日本なのか。都会とは村なのだ。人工物だらけの村である。松本竣介は都会の心臓を描き出している。36歳で亡くなったとか。岩手県盛岡市の画家。他の作品も見てみたい。

藤田嗣治《舞踏会の前》1925年

藤田嗣治《舞踏会の前》1925年

第五展示室には吉田苞の《別府の港》1915年というすごい作品があったが、絵が見つからない。残念だ。燃えるような紅色の船。額田王の歌が思い浮かぶ。同じ部屋ですごかったのがレオナール・フジタ。仮面舞踏会というマスカレード。顔を隠す前、素性を隠す前に裸を広げる。陰と淫を浮かび上がらせる。力強い眼の黒。この白に辿り着いてみなさいと言わんばかりの裸肌。さすが藤田嗣治。ユトリロの白とは違う。

クロード・モネ《積みわら》1885年

クロード・モネ《積みわら》1885年

第六展示室にある作品。これは失敗作。鮮やかすぎる。夏があからさますぎる。ポストカードすぎる。積みわらは人物を描いてはいけない。風景の中に人を感じさせなければいけない。ポーラ美術館や埼玉県立近代美術館の《積みわら》が素晴らしいのは、不在の在を描いているからだ。それこそが本物の風景画。

アメデオ・モディリアーニ《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》1919年

アメデオ・モディリアーニ《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》1919年

最も素晴らしいのはモディリアーニ。ニットのセーター。女性は腕を組む。眼はエメラルド。平凡であり非凡であるが、バランスがいい。モディリアーニに調和はふさわしくないが、これは女性の生命力が伝わる。松岡美術館にあるものより素晴らしい。それは手を描いているからだ。

最後に靉嘔(あいおう)という日本人画家の《禅》が素晴らしかった。グラデーション、ブラインダー、まるさん書くしかく。これ以上この世に何もいらない、そんな境地に思える。

美術館メシ

和平治カフェ

和平治カフェ

大原美術館の中にカフェやレストランはないが、正面の美観地区などにズラリと並ぶ。

和平治カフェ

和平治カフェは落ち着いた店内。漬物の土産物屋さんと併設。

和平治カフェ

ブレンド珈琲とマスカットアイス。寒くてもいい。寒いからいい。

エル・グレコ

エル・グレコ

エル・グレコ。そのままの名前。よほど愛が強いか、名前を考えるのが面倒くさかったのか。

エル・グレコ

ガッツリした食事メニューはなく、やや値段の高いドリンクメニューのみ。

エル・グレコ

トーストと珈琲。《受胎告知》は良いと思わなかったが、何年後かに観たら変わるかもしれない。日々をもがきながら自分らしさを。

大原美術館の沿革

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン《髪》1912年頃

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン《髪》1912年頃

大原美術館は、倉敷の実業家・大原孫三郎がパトロンとして援助していた洋画家・児島虎次郎に託して収集した日本最初の西洋美術館。ニューヨーク近代美術館の開館である1929年の翌年にオープン。当時、児島虎次郎はヨーロッパへ行く機会のない日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本で観る必要性を大原に説き、美術館を構想。児島はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入し、大原(児島)コレクションのの第1号はエドモン=フランソワ・アマン=ジャン《髪》だった。その後、モネ《睡蓮》やマティス《画家の娘―マティス嬢の肖像》は本人たちから直接購入。その後も、ゴーギャン《かぐわしき大地》や大原美術館の代名詞であるエル・グレコ《受胎告知》を購入していった。絵画を収集した児島虎次郎は大原美術館の開館を見ることなく、1929年に他界した。

ふるさと納税で訪れる大原美術館