
アムステルダムにあるゴッホ美術館は1973年に国立美術館として開館。ゴッホの甥のヴィンセントの尽力により、ゴッホの油絵200点、素描500点、書簡700点、それにゴッホとテオが収集した浮世絵500点、合計2,000点以上の作品を所蔵している。

《ひまわり》《ジャガイモを食べる人々》《アルルの寝室》《糸杉》《アイリス》《黄色い家》など、ゴッホの代表作が常設展示され、世界最大のゴッホ・コレクションを誇る。今や年間200万人が訪れ、一人の画家に特化した美術館としては異常な来場数。

アムステルダム国立美術館に隣接し、セットで訪れる者が多いとはいえ、ボッティチェッリ《ヴィーナスの誕生》があるイタリアのウフィツィ美術館(約200万人)、日本の国立西洋美術館(110万人)よりも多く、ダリ劇場美術館(110万人)、ピカソ美術館(90万人)の倍ほどの来館者が訪れる。2017年には史上最多の260万人が来館した。
なぜゴッホという画家は、そこまで愛されるのか?その理由が、ゴッホ美術館に詰まっている。
ゴッホ美術館の設計、館内

ゴッホ美術館は、建築家ヘリット・リートフェルトによって設計された。1999年には
国立新美術館も設計した黒川紀章の設計による新館(展示館)が加わり、企画展や特別展示のスペースになっている。

展示フロアは本館の0~3階までの4階建て。

素晴らしいのは、壁は白を基調としていること。ゴッホの絵は力強く、ゴツゴツしているので、壁を白くすることで表現を引き立て、すっきりと美しく際立つ。

ゴッホ作品だけでなく、親交のあったゴーギャン、カミーユ・ピサロなどの作品も展示し、ゴッホの画家人生を深く味わえる。

1999年から始まった新館では企画展を実施。興味がなくても、必ず行くこと。常設展に並べていないゴッホの名作が紛れ込んでいる。

ゴッホ美術館は映像の撮影は不可だが、写真撮影はOK。以下は公式サイトの注意書き。
写真撮影は可能ですが、フラッシュ、ライト、三脚、セルフィースティックの利用は禁じられています。撮影にあたっては他のお客様の迷惑にならないよう、プライバシーを侵害しないようお気をつけください。また、作品を傷つけないようご注意ください。写真は個人でお楽しみいただくためのみで、商業的な目的でのご利用はできません。
ゴッホ美術館までのアクセス
スキポール空港からゴッホ美術館までのアクセスは下記の通り。詳しくはゴッホ美術館に隣接しているアムステルダム市立美術館の記事で紹介しているので、訪れる方は参考にしてほしい。
電車と地下鉄の乗り継ぎ

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1:スキポール空港駅からオランダ鉄道(NS)で「Amsterdam Zuid」駅へ(約6分)
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2:「Amsterdam Zuid」駅で地下鉄52番線(Noord/Zuidlijn)に乗り換え、「Vijzelgracht」駅で下車(約5分)
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3:「Vijzelgracht」駅からライクスムゼーウムまで徒歩約5分
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所要時間:乗り継ぎ含めて約20~21分
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運賃:合計 €3~8(乗車クラスや時間帯による)
直通バス
Connexxion社の「Amsterdam Airport Express」バス(397番)を利用。
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乗車場所:スキポール空港の「Schiphol Plaza」出口を出て右手、バス停B17
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降車場所:「Museumplein」停留所
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所要時間:約26~30分
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運行頻度:日中は7~15分間隔、深夜は夜行バスN97が60分間隔で運行
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運賃:片道 €6.50、往復 €11.75(2025年時点)
- 支払方法:バス車内でクレジットカードやデビットカードのタッチ決済(OVpay)
ゴッホ美術館のチケット

ゴッホ美術館の営業日は基本的に年中無休。開館時間は通常9:00から17:00で、土日祝日は10:00から18:00まで。入場券はすべて事前予約。公式サイトから購入する。
当日券を発売してしまうと大混雑になり、美術館も人で溢れかえってしまうため、現在はすべて予約制になっている。
32.5ユーロ(5300円)と、おそらくオランダの美術館で最高額。それでも大人気のため、早めに予約しないと売り切れる。今回、10日前にチケットを取ろうとしたが、2週間先まで完売だった。キャンセルが出た場合のリセールサイトがあるが、希望は薄い。
諦めていたところ、友人が現地オランダ人の英語ガイドツアーを探してくれた。ひとりの女性のやさしさ、ひとつの行動が、人生を変えると教えてもらった。
英語ガイドツアー

友人が探してくれたTiqetsの小ツアー。その名も「Loving Vincent Tours」。なんとステキな名前か。最大6人、1時間30分くらいの現地ガイド。個人だけのパーソナルツアーなど、いくつかプランがある。2025年4月23日は149ユーロ(2万4千円)。決して安くはないが、おおすめ。素晴らしいガイドだった。

オランダ人がいかにゴッホをリスペクトし愛しているかわかり、美術館の回り方も、めちゃくちゃうまい。英語がまったくわからないので、Google翻訳の音声機能を使いながら会話した。1時間半、ゴッホを案内しくれたあとは自由行動なので、自分のペースで美術館を堪能できる。ぜひ多くの日本人にも、ガイドツアーを申し込んでほしい。
ミュージアムショップ・カフェ
ミュージアムショップ

ゴッホ美術館にはエントランスと1階にミュージアムショップがある。

ひまわりの飾りがあって気分が華やぐ。ポストカードを沢山買った。

ゴッホ美術館の目玉作品《花咲くアーモンドの木の枝》の特設コーナーも。円安でなければ爆買いしたかった。
カフェ

カフェも各階にあり賑わっている。

1階には、ひまわりカラーの椅子。特別メニューは無さそうで、アメリカンコーヒーやエスプレッソなど。ぜひ、外の屋台でホットドッグを食べてほしい。

素晴らしいのが、《ひまわり》を触って体験できるコーナーがあること。目の不自由な方が、《ひまわり》に触りながら、ゴッホの質感を体験できる。
ゴッホ美術館の旅行記

2025年4月23日(水)、前日にマウリッツハイス王立美術館とレンブラントの家を巡り、ヘトヘトに疲れて21時前には寝落ちし、翌朝5時に目が覚めた。4月23日は甥っ子の1歳の誕生日。弟からLINEが届き、涙が出そうになった。この子の姉である姪っ子が生後3ヶ月で亡くなっている。甥は無事に1年を過ごしてくれた。
自慢の弟を持った点で、ゴッホと僕は共通している。

朝9時から大急ぎでアムステルダム国立美術館を巡り、ツアー開始の正午まで1時間。集合は10分前なので腹ごしらえ。

ゴッホ美術館はチケット入手ができない人のために、美術館の前にグッズショップや屋台(ベンダー)がある。
【必訪】絶品ホットドッグ

美術館の中にもカフェがあるが、ぜひ屋台のホットドッグを味わってほしい。

パパと3人の可愛い娘さんが営業し、笑顔に癒される。

外国で食うホットドッグのバカ旨ときたら。アメリカで何度も食べたが、オランダのほうが美味しい。腹が減っては美術館は巡れぬ。ぜひ、訪れてほしい。

ツアーの待ち合わせは、ゴッホ美術館のミラーキューブ前。今回はイギリスからの3人家族、韓国人のご夫婦、そして僕の6人だった。

ゴッホ美術館では、事前に予約したチケットを館内の入り口でスキャンしてもらう。

ツアー参加者はバンドを巻いてもらう。これで企画展の「アンゼルム・キーファー展」も見られる。

展示室は一切の荷物が持ち込み禁止なので、電子ロッカーに荷物を預ける。

ガイドしてくれたのは、Fannie(ファニー)というステキな名前の女性。テオのことを映画『炎の人ゴッホ』のカーク・ダグラスと同じ「フィオ(Fee-oh)」と発音する。その声に、深い親しみと愛情が込められている。
素晴らしかったのは0階の自画像コーナーをすっ飛ばし、まず1階のオランダ時代のゴッホの絵から見せてくれたこと。最初に自画像から見ていたら、初期と後期の画風の違う絵が混在して頭が混乱していた。


ファニーは初心者でもゴッホの変遷を辿れるように、オランダ→パリ→アルル→サン=レミ→オーヴェルと、ゴッホと同じルートを用意してくれる。ゴッホの絵がどうやって変わっていったかを情報過多にならないようポイントを押さえて説明してくれる。

ファニーが最も好きな絵はサン=レミの療養院で描いた《下草の風景》。輪郭は木だけで、緑の海のような風景。気の遠くなるような無数のタッチ。ゴッホの心の繊細さ、優しさ、そして努力が結集している。この絵をいちばん好きという女性ガイドなら、絶対に安心できる。

そして、ラストは0階に降りて、ここでグッバイ。最後にチョコレートをくれ、あとは自由行動。ミレーを模写した《麦を束ねる人》を選んだ。
ゴッホ美術館の絵画・展示作品
自画像

ゴッホ美術館の展示は自画像から始まる。

まずはゴッホと対面してもらう心憎い演出。

オランダ時代からパリ、アルルまで多くの時代の自画像があるので、ゴッホの筆の変遷も1フロアでわかる。

ゴッホの場合は、モデルを雇うお金がなく、また浮世絵や点描など、様々な技法や色彩を試し、訓練するために自画像を多く描いていた。

絵によってタッチが大きく違うので、自画像を比べるだけでも愉しめる。

パリ時代で最も素晴らしい一枚。ゴッホの自画像の中でも傑出した上位に入る。
色は鮮やか、眼は遠くを見ている。ゴッホは眼で描いている。眼で旅をしている。まだ見ぬ風景、まだ見ぬ色彩、まだ出会っていない魂。髪とイーゼルの色が、輝けるアートを生み出す祝福の光源。そして、生涯ゴッホを悩ます「お金」の色でもある。
オランダ時代

0階から1階に上がると、ゴッホのオランダ時代の絵画の展示が始まる。ゴッホが影響を受けたパリの画家(主に印象派)たちの作品も展示。

ゴッホ美術館が素晴らしいのは、ゴッホをリスペクトするだけなく、ゴッホに影響を与えた画家たちへの敬意も溢れていることだ。
《スヘフェニンゲンの海の眺め》1882年8月

ハーグ時代、師匠のアントン・モーヴに師事していた頃に描いた絵。ゴッホには珍しい海の絵。テオから「売れる見込みのある風景画を描いて」と頼まれ、渋々ゴッホが描いたとか。2002年12月に盗難に遭い、2016年にイタリアで発見された一枚。何事もなかったかのように裸で展示されている。さすがオランダ。
《泥炭湿原で働く女たち》1883年10月

ゴッホが20代に修行したハーグ時代の絵が続く。
《泥炭の山のある農場》1883年11月

ゴッホが描く農民や農村の絵はオランダの魂そのもの。オランダという国もまた、「人の手でつくられた国」ともいえるほど、干拓によって国土を拡大してきた国。国土の約4分の1が海抜0メートル以下にあり、多くの土地は干拓(ポルダー)によって海や湖から造成された。
《ポラードの木々》

ペンとインクの素描。1884年3月に描かれた一枚。30歳になったゴッホは家族がいるニュネンに戻る。繊細で細密。ゴッホはドローイング(下書き)に全身全霊を込める。この気合いがあったからこそ、ニュネンの村でゴッホは初期の最高傑作を描けた。
ゴッホと素描の世界
《夕暮れのポプラ並木》1884年10月

《田舎家》1885年5月半ば

ゴッホは灰色の空と地面ににじむ光を描く画家。《ジャガイモを食べる人々》を食べる人々のあとに描かれた一枚。自信作を描き上げたあとも、ゴッホは、農村の呼吸を描き続けた。
《ジャガイモを食べる人々》

1885年4月、ゴッホがオランダ時代に生み出した初期の最高傑作。別バージョンや習作もあるが、ゴッホ美術館にある一枚が別格。頭を殴られたような衝撃が走った。これまで描いてきた農村の絵は、《ジャガイモを食べる人々》を完成させるためにあった。
パリ時代

ゴッホの色彩が大きく変わるパリ時代。ここで約2年間を過ごす。テオのアパートに転がり込んだゴッホは、モンマルトルにあるフェルナン・コルモンの画塾に通う。

そして、ゴーギャン、ロートレック、シニャックなどの画家仲間、画材屋であり画商のタンギー爺さん、そして浮世絵に魅了され、「厚塗り」のお手本となるアドルフ・モンティセリなどに出逢う。「都会」とは「都で出会う」と書くが、まさにゴッホが体現した。27枚もの自画像もパリ時代に描かれた。
《靴》1886年9月-11月
パリの蚤の市でゴッホが買ったものと思われる。大都会にいても、オランダ時代の土と生きる人々を忘れなかった。尊敬するフランソワ・ミレーが木靴で生活していたことを刻んでいた。ゴッホが描きたかったのは靴でもない。生活の足跡でも足音でもない。履き潰した靴を通して「土の生命力」を描こうとした。
《モンマルトル、ムーランドラギャレットの裏》1887年7月

81×100cm。ゴッホの中では大きな絵。第4回のアンデパンダン展に出品した。「裏」というタイトルにゴッホがあらわれる。自画像や静物画を多く描き、パリの中心で都会の喧騒を描くのではなく、モンマルトルから眺めるパリの屋根を多く描いた。ゴッホが好んだのは、モンマルトルやアニエールなど静かな町だった。
ただ美しい風景ではなく、「人が立つ場所」「生きる場所」「想いが残る場所」、モンマルトルの風景には、静けさとにぎわい、開放感と切なさが同時に息づいき、ゴッホの眼差しが呼吸をしている。
《マルメロ、レモン、洋梨、ブドウ》1887年9月、10月

パリ時代の黄色のシンフォニー。額縁までイエローにしているところが、さすが。
花魁(遊女)1887年10月- 11月

芙蓉瑛斎英泉の浮世絵を模写したもの。テオと一緒に400枚以上も浮世絵を収集した。今では日本人から最も愛される画家となったゴッホ。相思相愛の理由がわかる一枚。敬う気持ちがゴッホは他の画家より強い。
ちなみに、ゴッホが葛飾北斎の絵を持っていなかったのは、北斎の人気が高く、パリで値段が高騰して買えなかったといわれている。
梅の開花(広重を模して)

1887年10月- 11月。空が赤いことに衝撃を受けた一枚。歌川広重の《名所江戸百景 亀戸梅屋敷》の模写。拙いながらも、しっかり漢字も書いているところがゴッホ。ただ技法を模倣するためではなく、大きなリスペクトを感じる。純粋無垢に、好きなものに近づきたい。野球少年がイチローの振り子打法を真似するような憧憬の塊。だからこそ、夜空を青く描くゴッホの色彩に繋がっていく。
アルル時代

パリ時代が終わると、いよいよゴッホがゴッホになるアルル時代。普通の人は都会に来ることで可能性を広げるが、ゴッホは都落ちすることで、さらに爆発した稀有な画家。ゴッホは都会よりも土の匂いが似合う。この時期にゴッホを象徴する大傑作を多く描いている。
《アルルの老女》1888年2月

黄色い家に住む前、カレル・ホテル滞在中に描いた一枚。おそらくホテルの関係者。日本人のおばあちゃんと言われても遜色ない。シワと眼。おばあちゃんを捉えるのが上手い。他人なのに、自分の祖母を思い出す。それがゴッホの力。
《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》1888年3月

ゴッホがアルルに到着したとき、地面にはまだ雪が残っていた。寒さに負けず咲くアーモンドに感動し、花瓶にいけた。ゴッホの慈しみが溢れる。背景の赤の線がアーモンドの力強さを強調している。
《花咲くアンズの木々のある果樹園》1888年3月

アーモンドは春に最初に花を咲かせる木。ゴッホの最高傑作に辿り着く道は、2年前から始まっていた。ゴッホの傑作は突然変異で生まれるものではなく、長い年月の周到によるもの。
《花咲くアーモンドの木》1888年4月

画面真ん中で視界を割くように咲き誇る。モーゼが海を割ったよう。
《ピンクの桃の木》1888年4月- 5月

いよいよ最高傑作への最終段階に近づいていく。白と青のコントラスト。花が主役だが、空も主役。ゴッホが最後にたどり着く世界へ向かっている。
《サント=マリーの浜辺の釣り船》1888年6月

ゴッホには珍しい、海や船の絵。漁師がいない空っぽの船。ゴッホの孤独を投影している。この船に乗って、どこかへ航海したいと思っているのか。ゴッホの叔父さんは船乗りだったというが、故郷を思い出していたのか。海には郷愁がある。
《サント・マリー・ド・ラ・メール近くの海の風景》1888年6月

アルルにあった漁村サント・マリー・ド・ラ・メールで描いた一枚。白、緑、青、黄で海を表す。色彩が明るく、気候の暖かさが感じられる。3槽の船が遠くなっていくことで水平線の距離を際立たせる。
《ズアーブ兵》1888年6月

2016年『ゴッホとゴーギャン展』で来日。赤と緑の補色の練習のために描いた。「ズアーブ」はアルジェリア人によって構成されたフランスの歩兵。エナメルの軍服、赤い帽子(ボンネ)、オレンジ色の煉瓦と緑の背景。子どもが兵隊さんに憧れるような眼差し。ゴッホが描く眼と唇から、やさしさが滲む。
《収穫》1888年6月

『ゴッホとゴーギャン展』以来の再会。弟テオの妻ヨハンナが気に入り、ピアノの上に飾っていた。
《黄色い家》1888年9月

ラマルティーヌ広場で4部屋を借りた一軒家。よくゴッホは左手のレストランで食事をし、郵便配達員のジョセフ・ルーランの家は2つ目の鉄道橋のすぐ向こうにあった。
ゴッホは「家」を描いた絵ではなく、「通り」を描いた絵であると言っている。この絵で最も鮮烈なのは、大空でも家の塗装でもなく、大地の黄色。道がゴッホのアルルを照らしている。この絵は奥行きがある。「黄色いストリート」というのが正しいタイトルである。
《アルルの寝室》

1888年10月の作品。家具を愛おしい玩具のように描く画家がいただろうか。現在のものは変色したもので、最初、ドアは紫だったという。
《ゴーギャンの椅子》

1888年11月の作品。この絵を主役にした『ゴッホとゴーギャン展』が、最初に観たゴッホの個展だった。ゴッホが家具に人格と物語を宿せる奇才であることがわかる。
《夕陽に染まる種まく人》1888年11月

ゴッホは心の師と慕ったミレーの《種まく人》を夢中で模写した。画家を志した頃から亡くなる年まで10年間、合計30点以上のデッサンと絵画を制作した。これは浮世絵の構図を取り入れた一枚。
ゴッホにとっては、種をまくことが尊かった。絵が評価されることよりも、創作することが大切なのだ。
種をまくことは、悲しみの涙をまくこと、夢をまくこと、希望をまくこと。結果ではなく、その行為、願いが美しい。山梨県立美術館にあるミレーの《種をまく人》も必見。
《ひまわり》

1889年1月に描かれた一枚。3種類の黄色の色合い、色彩が最も明るい。“黄色の交響曲”とも呼べる色彩の統一美。背景・花・花瓶のすべてが黄色〜黄土色系の色彩で統一。
《ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女》

ゴッホが交流を持った郵便配達人ジョゼフ・ルーランの妻、オーギュスティーヌ・ルーラン夫人を描いた肖像画。顔のアップや赤ん坊を抱えるバージョンなど何枚もゴッホは夫人を描いた。
視線と手だけで、その先に愛おしい赤ん坊がいることが伝わってくる。この絵は、見えない赤ん坊の肖像画でもある。子守唄を歌うのは母親ではなく、ゴッホの絵である。
サン=レミ時代

1889年5月、アルルから北東20キロにあるサン=レミの療養院で1年間、生活をする。苦悶の暮らしなかでゴッホは己の中に棲む怪物を解放し、歪みの代名詞《星月夜》、《糸杉》を描き、苦しんだ果てに、ゴッホの最高傑作を描いている。
ゴッホのサン=レミ時代
《ピエタ》1889年9 月

ゴッホには珍しい宗教画。大尊敬していたドラクロワの作品をもとに、マリアとキリストを描いた。ゴッホはドラクロワの言葉を大切にしていた。「歯を失い、息ができなくなり、絵を見つけた」
《刈り入れをする人のいる麦畑》1889年9月

療養中の作品とは思えないほど、黄金の輝きに満ちた作品。《死神のいる麦畑》と題されることもある。刈り取る=死とゴッホは捉えていたが、黄金の海で、農夫が泳いでいるような力強さに満ちている。
《オリーブの林、明るい青空》1889年9月

ゴッホはサン=レミの1889年だけで約15点のオリーブを描いている。実を摘む=収穫であり、麦畑と同じく、何度も生まれ直す輪廻転生を感じたのかもしれない。
この絵は、素描のようにシンプルで描線が太く、力強い。これまでゴッホが繰り返し描いてきた「土」の力が発揮されている。右奥に這い上がっていく山を登るような力強さがある。
《夕べ(ミレー)》1889年10月-11月

ゴッホが大尊敬していたフランソワ=ミレーの版画を模写したもの。オリジナルの白黒からカラーに"翻訳"している。夫婦に幼な子、暖炉のそばの猫。どれも温もりがある。ミレーのオリジナルは白黒だが、ゴッホは暖色を施す。《ジャガイモを食べる人々》の貧困に負けない力強さではなく、家族のささやかな温もりを描いた。
《精神病院の庭》1889年11 月

療養院の庭を描いたもの。外出が許可されなかったときに描かれたとされる。人物3人も土色。世界が終わりそうな空色。その絶望の中で、木々だけが生命力が強く、ゴッホの生きたいという願いを宿している。
ゴッホは5月の新緑の時期にも同じ庭を描いており、瑞々しい生命力に満ちている。自然を観察するときのゴッホは強い。
《糸杉と二人の女性》1890年2月

「炎の画家」のイメージをつけた糸杉。ゴッホはサン=レミで魅了され、前年の6月には、《星月夜》を描いている。
画面中央の糸杉は、そこに立っているのではない。燃え上がる炎のように、ふたりの女性を飲み込もうとする。この糸杉には、単なる自然ではない、性的な力動が宿っている。《星月夜》と並び、「男根」としての象徴性が極めて強い。繁茂する葉のうねり、密集したタッチはゴッホの陰毛。糸杉の足元に立つ女性たちの姿が、静かで控えめだからこそ、絵全体のエロスを際立たせている。衰えぬ情熱と、本能の叫び、生命の衝動が満ちている。
《花咲くアーモンドの木の枝》

1890年2月、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ最高傑作。この一枚に逢いたくて、オランダまで来た。絵を観て泣いたのはモネ《印象、日の出》以来10年ぶり。花びらから微風が吹いている。カンヴァスの中で、花の命とゴッホの想いが生きている。こんな絵、他にない。このゴッホ美術館を設立した甥の誕生祝いに贈られた一枚。ゴッホ美術館で最も大切にされている絵画。
《アイリス》

1890年5月、サン=レミを離れる前に描いた一枚。紫、緑、黄色。ゴッホの色彩によるベストアルバム。花びらには柔らかさがなく、刃のように鋭い。花瓶の横には、うつむいた一本の花が添えられ、鋭利なものの儚さを宿す。
花瓶、背景、卓上まで、すべてが黄色で統一されており、黄金の交響曲。その中に咲く紫のアイリスは、高貴で凛とした存在。《ひまわり》が孤独を照らす照明、《アイリス》は、孤独と戦う決意である。
オーヴェル時代

1890年5月、ゴッホ終焉の地、オーヴェル=シュル=オワーズに向かう。亡くなるまでの2ヶ月間、ゴッホは1日1枚の驚異的なペースで絵を描く。その多くが歴史に名を残す傑作となっている。
《夕暮れの風景》1890年6月

黄昏は空が黄金に輝き、ゴッホが好きな夜が始まる時間。ゴッホは絵で、自身の前途を照らそうとしたのかもしれない。
《ドービニーの庭》1890年6月

滞在先のラヴー旅館のすぐ近くにあった、敬愛する画家シャルル=フランソワ・ドービニーの邸宅の庭を描いた最初の一枚。スケッチのようなテイスト。ここから、ひろしま美術館にある、大傑作へと繋がっていく。
《荒れ模様の空の麦畑》1890年7月

ゴッホにしては珍しく、麦畑が緑。縦50センチ・横100センチの横長の画面は、最晩年の《ドービニーの庭》などと同様、この時期の特徴。
画面のほとんどを占めるのは、深く広がる青空。雲は大きく、風は強く、色彩は静かに荒れている。描かれたのはオーヴェルの地。しかし、この風景にはオランダの空気が漂っている。ゴッホが人生の終わりに見ていたのは、遠く離れた「故郷」だったのかもしれない。心はいつも、帰る場所を探している。ゴッホは「土に根ざし、空を仰いだ画家」だった。
《黒い鳥のいる麦畑》

1890年7月の作品。「ゴッホの遺作」「飛んでいる鳥がカラス」など、色々と誤解の多い作品。ゴッホの絵画で最も有名な一枚でもある。実際に見ると、まばゆい黄金に圧倒される。ゴッホが多く描いてきた「麦畑」のシリーズの最高傑作。
《木の根》

1890年7月の作品。現在、ゴッホの遺作とされている絵画。日本では《木の根と幹》というタイトルで紹介される。ゴッホ特有のうねり、厚塗り、明るい色彩。瑞々しい生命力に満ち溢れており、これから死ぬ画家の作品には見えない。大地に根を張り、これから生きようとする意志を感じる一枚。
ゴッホ美術館を巡って

ゴッホが「孤独の画家」だとしたら、穴の絵を売るために奮闘したテオも孤独と闘っていた。そして、テオを亡くしたあとのヨハンナも孤独と闘った。英雄とは孤高の存在。ゴッホ美術館をガイドしてくれたファニーは、テオとヨハンナを「わたしたちオランダ人のスーパーヒーローよ」と自信と自慢を持って語る。
これほどの絵画に囲まれれば分かる。テオの兄への想いが盲愛でも犠牲でもなく、本気で兄の才能を信じていたと。信じるに値する以上の才能だったと。

そんな優しい弟や義妹を持ちながら、風車に突っ込んだ男ゴッホ。ドン・キホーテの生まれ変わりのような男がゴッホ。ドン・キホーテが風車に突っ込んだとき、ゴッホが生まれた。
ゴッホ美術館を巡って感じたのは、生まれたての赤ん坊に囲まれているような雰囲気。先ほど絵が誕生したかのような瑞々しさに満ち溢れ、ミュージアムではなく、赤ちゃんを連れた公園にいるような優しさに包まれる。
子どもが公園の砂でお城を造るように、ゴッホは見たものを"描く"のではなく、カンヴァスの中に創った。だから、ゴッホの絵には「力」や「意志」「自由」「躍動」といった生命の厚みがある。ゴッホは宗教や神話をほとんど描かない。目に映る数メートルの世界、好きなものしか描かない。そこに「真実」や「存在の強度」が宿る。

ゴッホの絵は、どこか歪み、バランスを欠き、荒々しい。そこに魂の温度と誠実さがある。完成された美ではなく、不完全な美の必死さに涙が出そうになる。
ゴッホは人や物や風景をカンヴァスに閉じ込めているようで、もっと大きなものを開放している。固定観念を解放し、慈愛を介抱する。
ゴッホの絵も赤ちゃんも、人の心を掴もうとせず、ただ真っ直ぐに存在している。鑑賞者に「こう見てくれ」と要求しない。ただ黙って、「君の見方で見てくれてかまわない」と我々を受け入れてくれる。だから、我々もゴッホの絵を愛さずにいられない。
ゴッホ美術館に展示されなかった作品も来日
オランダ黄金の美術館
ゴッホに逢える日本の美術館
《ひまわり》
《ドービニーの庭》
《ばら》
《座る農婦》
過去のゴッホ展
ゴッホにまつわる本と映画
日本の美術館ランキング
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