カルロス・カサジェマス(またはカサヘマス)はスペインの画家であり詩人で、ピカソと深い友情で結ばれていた人物である。二人は10代の終わりに出会い、共に旅をし、アトリエを分かち合った。だが、カサジェマスの早すぎる死はピカソの「青の時代」の画風に大きな影響を与える。
カサジェマスのプロフィール
カルロス・アントニ・コスメ・ダミア・カサジェマス・イ・コル(Carles Antoni Cosme Damià Casagemas i Coll、通称カサヘマス)は、1880年9月27日、スペインのバルセロナに生まれた。ピカソより1歳上である。
上流階級の文化的な家庭に育ち、父は通訳や外交官として活躍し、姉は作曲家として知られていた。家族は複数の別荘を所有し、ピカソもその別荘でカサジェマスと共に過ごすことがあった。
ピカソとの出逢い
カサジェマスは1899年にピカソと出会い、すぐに親しくなった。二人はスペイン各地を一緒に旅し、1900年初頭にはバルセロナでスタジオを共有するようになる。この頃からピカソはカサジェマスの肖像を繰り返し描いた。
ピカソとの友情とパリでの生活
1900年、ピカソがパリで万国博覧会に出展する機会を得ると、カサヘマスも同行した。二人はモンマルトルの空きアトリエに住み込み、モデルの女性たちと交流を持つようになる。カサヘマスはジェルメーヌという女性に深く恋をしたが、勃起不全(インポテンツ)であり、性的関係を結ぶことができなかった。これが原因で拒絶され、鬱状態に追い込み、度重なる気分の変動と自殺未遂を繰り返すようになった。
カサジェマスの自殺の経緯
1901年2月17日、カサヘマスはパリのヒッポドローム・カフェで自ら送別会を開いた。そこにはジェルメーヌや友人たちが集まっていた。酒に酔ったカサヘマスはジェルメーヌに結婚を申し込むが、拒絶される。彼は拳銃を取り出し、まずジェルメーヌに向けて発砲するが、弾は外れた。直後に自分のこめかみを撃ち抜き、その夜、病院で息を引き取った。享年20歳であった。
カサジェマスのピカソへの影響
カサヘマスの死はピカソに計り知れない衝撃を与えた。1901年にパリへ戻ったピカソは、カサヘマスの死の記憶と向き合い続け、彼を題材とした作品を繰り返し描いた。この時期、「青の時代」と呼ばれる憂鬱で深い表現の時期が始まったのである。
一般的に、ピカソが「青の時代」に入ったのは、1901年に深刻な鬱状態に陥り、その原因は、親友カルロス・カサジェマスの自殺とされる。しかし、実際には、死因となった女性ジェルメーヌを後にピカソは愛人としている。絵画の歴史を変える《アヴィニョンの娘たち》は、ジェルメーヌがモデルだと言われる。
カサジェマスの自殺以前にも、ピカソの絵画には青の彩色の作品があり、カサジェマスの死が青の時代のトリガーであるという美術史家の解釈は、ピカソ伝説をドラマチックにする、こじつけにすぎない。
むしろ、食うことにも困り、自身の絵が評価されなかった貧困などが「青の時代」の画風を生んだ可能性が高い。とはいえ、親友の存在や死がピカソの画風に大きな影響を及ぼしたことは否定できない事実である。
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