アートの聖書

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ピカソ「バラ色の時代」の代表作、希望の温度、人間を抱きしめた季節

《猿を連れた曲芸師の家族》1905年、ヨーテボリ美術館

1904年から1906年頃のピカソの作品はピンク色を多用し、「バラ色の時代」と呼ばれる。赤やピンク、オレンジ、アースカラーなどを使って、明るい色彩でピエロやサーカスの団員などを多く描いていることから「サーカスの時代」とも呼ばれる。

ピカソのバラ色の時代とは

1904年頃〜1906年頃の3年間

《俳優》1904年,メトロポリタン美術館

《俳優》1904年,メトロポリタン美術館

ピカソの「バラ色の時代」は、おおよそ1904年から1906年頃までの短い期間を指す。この時期は、ピカソがスペインからパリに定住し、モンマルトルを拠点として活動を始めた頃にあたる。青の時代の陰鬱な色調から一転し、画面には明るいバラ色やオレンジ色が多用され、画風そのものに変化が生じた。

モンマルトルの洗濯船(バトー・ラヴォワール)

「バラ色の時代」が始まった背景には、生活環境の改善と恋愛の影響が大きい。1904年、ピカソはパリに腰を落ち着け、モンマルトルの「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」と呼ばれる集合アトリエに入居した。ここで芸術仲間と交流を深め、新しい刺激を受けるようになった。

さらに、恋人フェルナンド・オリヴィエとの出会いと同棲は精神的な安定をもたらし、作品に柔らかさと温かさをもたらした。人間や人生に対する肯定的な視線を取り戻したピカソは、色彩をバラ色に変化させ、新しい創作期へと入ったのである。

「ばら色の時代」の名前の由来

《母と子》1905年、個人蔵

《母と子》1905年、個人蔵

「バラ色の時代」という呼び名は、その色彩傾向に由来する。画面には赤やピンク、オレンジといった暖色が使われ、以前の「青の時代」の寒々しい印象と対照的である。色調の変化は、ピカソ自身の精神状態や生活環境の変化を反映していると考えられている。

青の時代からの転換点

パブロ・ピカソ 《青い肩かけの女》1902年

パブロ・ピカソ 《青い肩かけの女》1902年

ピカソの初期を語るとき、必ず並べて語られるのが「青の時代」と「バラ色の時代」だ。「青の時代(ブルー・ピカソ)」の3年間で100点ほどの絵画を残した。どちらもわずか数年の短い時期だが、その対照は鮮やかで、まるで画家の心の気候が目に見えるように変わっている。

色彩の違い:寒色から暖色へ

《自画像》1901年、ピカソ美術館(パリ)

《自画像》1901年、ピカソ美術館(パリ)

「青の時代」(1901〜1904年)の画面は、名の通り冷たい青や緑に沈んでいる。暗い影のような色調は、孤独と貧困、そして死の匂いをまとっていた。これに対し「バラ色の時代」(1904〜1906年)は、ピンクやオレンジ、赤が主役になる。色が変わると、絵から立ちのぼる空気も変わる。陰鬱な静けさから、明るい光と温かさがにじみ出る。

モチーフの違い:乞食や盲人から、サーカス芸人や母子へ

《盲人の食事》1903年、メトロポリタン美術館

モチーフの選択も大きく変わる。青の時代では、乞食や盲人、牢獄の人々など、社会の片隅に追いやられた人間たちが描かれた。苦しみを背負った人物像は、見る者の胸を締めつける。

《花かごを持つ少女》1905年、個人蔵

一方、バラ色の時代に現れるのはサーカスの芸人や曲芸師たちだ。青の時代に描かれた暗く冷たい孤独から一歩進み、「バラ色の時代」では人間の弱さを抱えながらも、かすかな希望や人のつながりを探るまなざしが表れている。

2018年にはロックフェラー家が所蔵していた《花かごを持つ少女》が、ニューヨークでのクリスティーズ主催のオークションで1億1500万ドル(約125億円)で落札された。

ピカソのバラ色の時代の代表作・有名絵画

《手を組んだ裸婦》1906年、オンタリオ美術館

ピカソはバラ色の時代に、ひとつの到達点に達する。西洋の人間でありながら、菩薩のような東洋思想の絵画も表現できるほどの怪物になる。バラ色の時代のピカソの特徴は「眼」である。多くが「半眼」。虚無を抱え、地平を見ている。

《パイプを持つ少年》

パブロ・ピカソ《パイプを持つ少年》

  • 原題:Garçon à la pipe
  • 英題:Boy with a Pipe
  • 制作:1905年
  • 寸法:100 cm × 81.3 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:個人蔵

ピカソが24歳のときに描いた《パイプを持つ少年》(1905年)は、頭に花輪を載せパイプを持つパリの少年「プティ・ルイ」をモデルにした作品である。少年は過酷な生活を送り早逝したが、絵の中では花々に囲まれ、青春の孤独と儚さが表現されている。

青い作業着に無表情の眼差しは病人や囚人を思わせ、背景の花は献花のようにも見える。2004年のサザビーズで当時の史上最高額1億400万ドルで落札され、落札者はバリラ社のグイド・バリラとされる。この作品は、孤独や痛みをも祝祭の彩りへと変え、「生まれてきたこと自体が祝福である」という東洋思想的な視点を宿している。

《玉乗りの曲芸師》

パブロ・ピカソ《玉乗りの曲芸師》

  • 英題:ACROBAT ON A BALL
  • 別題:ボールに乗る若い曲芸師
  • 制作:1905年
  • 寸法:147 x 95 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:プーシキン美術館(ロシア)

《玉乗りの曲芸師》(1905年)は、モンマルトルのメドラノ・サーカスの芸人たちを題材とした作品である。画材不足のため、別の肖像画のカンヴァスに上から描かれている。前景には屈強な男が配置されるが、その表情は陰鬱で、生活に満足していない様子がにじむ。対照的に、玉の上で軽やかに立つ女性は明るく、自由で幸福を体現している。その姿は男性を手玉に取るようにも見え、肉体の重苦しさと精神の軽やかさの対比を際立たせている。ピカソが追い求めたのは力や肉体ではなく、日常の重さを超えて生きる「心の自由」であり、この絵はその思想を象徴している。

《サルタンバンクの家族》

パブロ・ピカソ《サルタンバンクの家族》1905年,ワシントン・ナショナル・ギャラリー

  • 英題:Family of Saltimbanques
  • 制作:1905年
  • 寸法:212.8 x 229.6 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー

《サルタンバンクの家族》(1905年)は、モンマルトルのサーカス「シルク・ド・メドラノ」の芸人たちを題材にしたとされる。荒涼とした砂漠に立つ一座は、互いに寄り添いながらも倦怠に包まれ、孤独を抱えている。ただ一人、少し距離を置いた女性だけが生気を宿し、地平線を見つめている。彼女の瞳には「自立」と「独立」の気配が漂い、沈黙と空虚の中に小さな希望の泉を示している。ピカソが描きたかったのは、共同体の孤独ではなく、その中に芽生える個人の「生きる意志」だった。

《母と子、曲芸師》

ピカソ《母と子、曲芸師》

  • 原題:Les Baladins
  • 英題:Mother and child
  • 制作:1905年
  • 寸法:90 x 71 cm
  • 技法:グアッシュ(水彩)、カンヴァス
  • 所蔵:シュトゥットガルト州立美術館(ドイツ)

母子画《Les Baladins》(1905年)は、孤独と愛情が交錯する傑作。母親は疲労に沈み、子は横を向いて自立心を示し、二人は視線を合わせず沈黙している。食卓にはわずかな食べ物しかなく、母は与えられない自分を嘆き、子は母を思って譲ろうとする。背を向け合う構図は断絶ではなく、言葉にならない思いやりと沈黙の愛を表している。赤みを帯びた背景は温かさを添え、ピカソは孤独の奥に潜む愛の温度を描き出している。

《アルルカンの死》

パブロ・ピカソ《アルルカンの死(ハーレクインの死)》

  • 英題:La Mort d'Arlequin (Death of Harlequin)
  • 制作:1906年
  • 寸法:68.5 × 96 cm
  • 技法:板にガッシュと鉛筆
  • 所蔵:個人蔵

《ハーレクインの死》は、道化師を主題にした作品である。かつて「青の時代」に描いた《カサジェマスの死》が重苦しい死を表現していたのに対し、本作は柔らかいタッチで安らぎを漂わせる。淡い土色の背景は後光のように輝き、横たわるアルルカンの祈る手と衣装が静かな成仏を示している。背後の二人の人物は霊のように死者を迎える存在に見え、ピカソは「死」と「成仏」を同時に描き出した。西洋絵画でありながら、東洋的な宗教観を思わせる象徴的な一枚である。

《フェルナンド・オリヴィエの肖像》

ピカソ《フェルナンド・オリヴィエの肖像》

  • 英題:Porträt von Fernande Olivier
  • 制作:1906年
  • 寸法:61×47  cm
  • 技法:紙、グアッシュ、木炭
  • 所蔵:不明

ピカソ「バラ色の時代」の最高傑作《フェルナンド・オリヴィエの肖像》は、恋人オリヴィエを描いた作品である。ピカソは彼女を60点以上描き、無名時代を支えられたことから「ピカソを出世させた女性」とも言われる。

背景から肌までオレンジに染められた画面は、日の出のような新しい光を象徴し、温かく透明感のある色彩で包まれている。白いスカーフが知性を示し、抑制の効いた表現が絵に清らかさを与える。オリヴィエの眼差しと微笑みは未来への希望を伝え、女神ではなく母のような存在感を放つ。ピカソは彼女を支配するのではなく、色で抱きしめるように描いている。

ピカソが掴んだ人間を抱きしめる色彩

1906年の自画像

「バラ色の時代」(1904〜1906年)は、わずか3年ほどの短い時期だが、ピカソの画業の中で特別な輝きを放っている。

この時期のピカソの凄さは、人間存在の二面性を掬い取る力にある。《玉乗りの曲芸師》では、力に沈む男と軽やかに舞う女を対比させ、《サルタンバンクの家族》では孤独を抱える一座の中に、未来を見据える女性の瞳を描き込む。そこには「肉体の重さ」と「精神の軽さ」、「共同体の孤独」と「個人の意志」という人間の矛盾が、見事に浮き彫りにされている。

《パイプを持つ少年》に代表されるように、貧しく孤独な少年に「生きてきたこと自体が祝福である」という普遍的な意味を与えた。オークションで史上最高額を記録したのも、単なる美術的価値だけでなく、この絵が放つ人間存在への深い洞察が、現代にも強く響くからだ。

極めつけは、《フェルナンド・オリヴィエの肖像》に見られるような色彩による抱擁だ。背景も肌もオレンジに染め上げ、未来を見据える眼差しに光を宿す。ピカソは女性を支配するのではなく、色で包み込み、母のような存在感として描いた。そこにあるのは、若き画家が人生の苦悩を経てたどり着いた「人間を肯定するまなざし」だった。

「バラ色の時代」のピカソは、悲しみを経た者だけが知る希望の温度を描いた。わずか数年でありながら、青から抜け出させ、次のアフリカ彫刻の時代への飛躍へ導いたこの時期こそ、ピカソが“人間を描く怪物”として成熟し始めた瞬間である。

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