アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

ゴッホと素描の世界〜色彩の爆発はここから始まった、絵画以前にして絵画以上

11歳のゴッホが父の誕生日にプレゼントした素描

素描の魅力は、完成した作品では見えにくい作者の思考や筆の跡がそのまま伝わる親密さにあり、さらに創造の流れや着想の瞬間を覗き見るような生々しさにある。素描(そびょう)とは、木炭や鉛筆、ペンなどの単色画材で表現した、平面作品。フランス語の「デッサン(dessin)」や英語の「ドローイング(drawing)」、スケッチと同義である。

ゴッホの自画像の素描
ゴッホは史上最高の素描画家だった。素描があるから色彩が爆発する。ゴッホの道は素描に通ずる。

オランダ時代のゴッホの素描

《ミレー種まく人の模写》1881年4月

ミレー《種をまく人》の模写、1881年4月、ゴッホ美術館

ゴッホは、24歳でロンドンの神学校に通い、ベルギーで聖職者の道を挫折したゴッホ。本格的に画家を志したのは27歳から28歳ごろ。最初は実家のあるエッテンで、敬愛するミレーの作品などを模写し、デッサンを学んだ。その後、ゴッホは何度も《種まく人》を描いている。

《庭の片隅》1881年6月

《庭の片隅》

  • 寸法:44.5 × 56.7 cm
  • 技法:鉛筆、黒ペン、紙

《庭の片隅》はゴッホが画業を始めた20代後半の故郷エッテンで描いた一枚。

最初に見ると「ただの庭じゃん」と思う。テーブルと椅子、ベンチ、ぶどう棚。人もいないし、色もついてない。なのに、じっと見ている、何かが起きそうで起きないサスペンス映画のワンシーンみたいにと妙にドキドキしてくる。

秘密はゴッホの線にある。木の幹や枝葉をびっしりと刻み込んで、空気まで密度を帯びさせている。家具の直線と木々の曲線がせめぎ合い、不思議な緊張感を生んでいる。

ベンチや椅子を見ていると「さっきまで誰かが座っていたんじゃないか?」と思えてくる。不在なのに存在を感じさせる。そこがこの素描の面白さだ。

ゴッホといえば鮮やかな色彩が有名だが、その爆発の前には“静かなスリル”が隠れている。

《暖炉の傍にいる老人》1881年11月

ゴッホ《暖炉の傍にいる老人》1881年1月

  • 英題:Old Man at the Fireside
  • 寸法:56×45cm
  • 技法:紙、水彩、チョーク
  • 所蔵:クレラー・ミュラー美術館

力強さに満ち、ゴッホ美術館の《ジャガイモを食べる人々》を観るまで、これがゴッホの最初期の最高傑作だと思っていた。エッテン時代の絵。ゴッホが1881年4月から12月までを過ごした場所。両親が住んでいた。

手にした火種の紙袋から、温もりや生活の匂いまでが伝わってくる。顔が、労働と孤独の重みを物語り、人間の存在そのものを深く突きつけてくるところに凄みがある。

《大工の仕事場と洗濯場》1882年5月

《大工の仕事場と洗濯場》 
  • 寸法:28.6×46.8cm
  • 技法:鉛筆、黒チョーク、黒インクのペンと筆、茶色の淡彩、不透明水彩、ひっかき傷、升目状の跡/簀の目紙

親戚の画家アントン・モーヴに絵を教わっていた頃に描いた素描。画家の仲間から「べらぼうにうまい。見本にしたいくらいだ」と絶賛されている。

遠近法が巧みで、左右に広がる屋根や板塀の線が消失点に向かって収束し、奥行きが強調されている。

線描は力強く、木造の壁のざらつきや地面の湿り気をリアルで輪郭を明快に捉えながらも硬さを感じさせない。板塀の陰影は木の厚みを、地面のかすかなトーンは湿った空気を感じさせる。

人物の配置も巧みで、手前で洗濯をする女性、奥で作業をする人々、それをつなぐ中景の建物と道。遠近のリズムの中で人間の営みが散りばめられており、画面のスケール感を出している。

《悲しむ老人(永遠の門)》1882年11月

ゴッホ《悲しむ人(永遠の門)》1882年

  • 英題:Sorrowing Old Man
  • 技法:リトグラフ

左下に「Eternity-gate」のサインがあることから《永遠の門》というタイトルでも知られる。悲しい人の顔を描く際、ゴッホは顔を見せない。それは同情ではなく、リスペクトの証。表情(人間の一部)だけでなく、全身で何かを感じてほしいからだ。ここにゴッホの眼差しがある。

《ポラードの木々》1884年3月

ゴッホ、ポラードの木々、1884 年 3 月

ペンとインクの素描。30歳になったゴッホは家族がいるニュネンに戻る。繊細で細密。ゴッホはドローイング(下書き)に全身全霊を込める。この気合いがあったからこそ、ゴッホの油彩画は爆発した。

オランダ時代のゴッホの最高傑作《ジャガイモを食べる人々》の素描。インク・紙のリトグラフ。オランダのハーグ美術館に所蔵されている。

もはや完成品と言ってもいいクオリティ。食卓の会話や息遣いまでが聞こえてくる。

ベルギー時代の素描

《円盤投げ選手》1886年2月

《円盤投げ選手》1886年2月、ゴッホ美術館

《円盤投げ選手》1886年2月、ゴッホ美術館

ゴッホがベルギーのアントウェルペン王立芸術学院に通っていたとき、授業の課題で描いた素描。

32歳のゴッホは1885年11月にベルギーのアントウェルペンに向かう。テオの仕送りを画材とモデル代につぎ込み、パンとコーヒーで凌ぎながら絵を学ぶ。

 

アルル時代の素描

《黄色い家》1888年

テオに送った「黄色い家」のスケッチ画、

活黄色い家は、1888年5月1日にゴッホが借りたフランスのアルルにあるラマルティーヌ広場2丁目の右角にあった4フロアの家屋。ゴッホは、日本の絵師の集団や修道院的コミュニティに憧れ、ゴーギャンら仲間と理想の工房をつくる夢を抱いた。

家賃は月に15フランで、中古家具屋からベッド、椅子、テーブル、鏡などをテオが購入。10月からはゴーギャンも9週間だけ住んだ。

ゴッホにとっての素描の大きさ

《ミレーの晩鐘を模して》 1880年10月、鉛筆とチョーク

素描は、目に映るものを正直に記録する行為であると同時に、存在の尊さを確認する営み。農民が畑で手を合わせる姿を描いた《種まく人》や《晩鐘》の素描には、単なる写実を超えて、祈りや労働の中に宿る人間の精神性が滲み出ている。

後年、ゴッホの油彩画が強烈な色彩と筆触で知られるようになっても、その根底には素描で培った観察力と対象への畏敬が流れている。線の確かさがなければ、うねるような筆致や鮮烈な色彩は空中に散ってしまった。素描はゴッホにとって、土台であり、約束であり、絵画を支える骨格であった。

ゴッホの素描は、絵画以前にして絵画以上である。

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日本で観られるゴッホの素描

喜多美術館

奈良県桜井市金屋にある喜多美術館

かつて邪馬台国があった奈良県桜井市。中でも人口1,405人の小さな村・金屋(かなや)にある喜多美術館は、ゴッホの素描を常設展示している。

ゴッホ《網干し場》1882年
  • 制作:1882年
  • 寸法:28.5×45cm
  • 技法:鉛筆・ペン・白の絵の具
  • 所蔵:喜多美術館(奈良)

人気のない日常風景。小屋や樽の質感が細やかに表現され、暮らしの匂いまで伝わってくる。雲の白いハイライトが生命を吹き込み、静けさの中に動きを与えている。人々の生活の温もりを見つめるゴッホの眼差しが伝わる一枚。

ゴッホの画業と炎の伝説

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