アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

入江長八と伊豆松崎〜漆喰芸術の道

文章を習っている仲間が2024年12月に伊豆松崎町で映画の上映会を行う。文章の先生がトークショーを行うので、会場の下見に同行。新宿駅9時25分発の踊り子号に乗って伊豆急下田駅へ。刺身定食を頂き、東海バスで松崎のバス停を目指す。

松崎町は伊豆の西の端にあり、日本で最も小さい町。電車が通っておらず、日本の閑かな原風景を残している。門人の千里と故郷の伊賀上野に向かった松尾芭蕉の『野ざらし紀行』のような西へ向かう旅。江戸に移って10年になる芭蕉は、すでに江戸が自分の故郷であると詠った。まったく同じ気持ちだ。もはや新宿が故郷になっている。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

公民館などを回ったあと、伊豆の長八美術館に案内された。入江長八(いりえ ちょうはち)、初めて聞く名だ。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した工芸家。12歳で絵師を目指し、19歳に江戸に上京して狩野派の絵を学んだ。絵の他にも、なまこ壁、鏝絵(こてえ)などの漆喰を使った彫刻を数多く残した。

漆喰(しっくい)ってなんだ?と思ったが、要は石灰を使った建築材料。それをアートにするとは、かなりの変わり者だろう。気難しい人だったのか。そうに違いない。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館は1984年に竣工、なまこ壁など入江長八のアイデンティティを残しながらモダンでオシャレな外観。

伊豆の長八美術館

エントランスのベンチがオシャレ。いろんな装飾なのにゴチャゴチャしておらず、スタイリッシュに感じる。美術館のセンスがいい。こんなにアーティスティックなのに落ち着くのだ。

展示作品はそれほど多くなく2部屋だけ。観覧しやすい。

入江長八 《近江のお兼》 1876年

入江長八 《近江のお兼》 1876年

絵の傑作が日本画の《近江のお兼》。ロープの張り、お兼の涼しげな表情と愛嬌のある馬のコントラスト。どうでもいい鳥がお兼と同じ方向を向いて翔んでいる。この鳥は長八だろう。空は伊豆長八にとって大きな意味を持つ。

伊豆の長八美術館

60歳を超えてから制作した龍の鏝絵。線の流美と鋭さも凄いが、背景の白と龍の色のコントラストのうまさ。

入江長八《二十四孝図》

入江長八《二十四孝図》

伊豆の長八美術館にある漆喰芸術の最高傑作が《二十四孝図》。レーザービームのような雨。令和のゲリラ豪雨を予見していたか。背景も含めて9割が白の中で、これほどの迫力を出せるのは異様。雨に関しては広重や北斎を超えている。

教会のような階段を登り反対側のフロアへ。ゴスペルが聴こえてきそうな美しい内装。

伊豆の長八美術館



振り返れば長八がいる。

夏の日差しが両面から降り注ぎ、開放感に浸れる空間。

天井に漆喰の作品があると気づかなかった。これは入江長八の作品ではない。

階段を降りると最後の部屋。

入江長八 《富嶽》 1877年 

入江長八 《富嶽》 1877年 

鏝絵(こてえ)の代表作《富嶽》。見事なのは手前の崖。クライマーとして切り立った崖と漆喰の凸凹がクライマー心をくすぐる。そして海辺の金箔と、雲(煙)の雄大さのコントラストが見事。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

入江長八は《八岐大蛇を退治する素戔嗚》《聖徳太子》など、まだまだ日本画の傑作も多い。狩野派の絵師・喜多武清から学んだという日本画は伊達ではない。

岩科学校

岩科学校

岩科学校

そのままの勢いで車を飛ばしてもらい、入江長八の代表作がある岩科学校へ。

岩科学校

現在は廃校の小学校。庭がヨーロッパ庭園の異国情緒を醸し出し、側には冷房に効いた喫茶「開化亭」もある。

当時の授業の様子などが再現され、算数の問題を解けば売店の買い物が5%オフになる。ブックオフじゃあるまいしとツッコミながら座って問題をのぞいたが汗が滴り落ちて無理。余計な頭を使ったら倒れてしまう。冷房がなく雲ひとつない蒼天の真夏日。給水所のないフルマラソンを完走している感覚。

入江長八《千羽鶴図》

入江長八《千羽鶴図》

2階には入江長八の漆喰鏝絵の代表作《千羽鶴図》。地元の小学校からの依頼で嬉しかっただろう。100羽を超える鶴が1羽たりとも手を抜かず、平等に描かれている。国の重要文化財にも指定され本人に気合がうかがえる。

入江長八《千羽鶴図》

入江長八《千羽鶴図》

鶴も平等。本来なら人間も動物も不公平だから面白い。不格好な鶴、虚弱の鶴、飛ぶ気のない鶴がいてもいい。だが、すべての鶴を平等に描くところに長八のやさしさを見た。

入江長八の作。大空に羽ばたくのではなく、扇子のように翼を広げる。動物ではなく風。風はなにかを運んでくれる。風にはルートがない。自由気ままに吹いていく。風は長八そのもの。

長八記念館(浄感寺)

長八記念館

長八を巡る旅は終わらず、翌朝に長八記念館へ。浄感寺のお寺が記念館になっており、お墓もある。間違えて別人のお墓に手を合わせた。入江長八の作品は本堂にある。

長八記念館

近年の作だと思うが、漆喰芸術の中では最も良かった。

入江長八《雲龍》

入江長八《雲龍》

天井画の傑作《雲龍》。ミケランジェロのごとき長八。絵を描くというより、弓を引くように全身をそり、絵を放ったのだろう。

観る角度によって龍の表情が違う。ニューヨークの自由の女神像のようなもの。雲龍の天井画は京都の寺によく見られるが、長八の龍は圧迫感がない。迫ってくるプレッシャーがない。ボクサーでいうマイク・タイソンのようなインファイターではなく、モハメド・アリのように様子をうかがうアウトボクサー。長八自身、グイグイ押すのではなく、俯瞰して物事を見る人だったのだろう。

山光荘(長八の宿)

入江長八《寒牡丹》

入江長八《寒牡丹》

入江長八の最高傑作は、なんと旅館にある。漆喰芸術の極致。噴火する富士。そのマグマが寒牡丹を昇華させる神光のように降り注ぐ。なんという発想。なんという構図と構造。これぞ美術館に飾って多くの人に見てもらいたい。

画像

伊豆は夕景が名勝であり、入江長八も空や鶴や龍の作品が多い。鳥も好きだった。雨が好きだった。空が好きだった。海を渡るのではく、翔んでいきたい。だから漆喰芸術の突飛な発想が生まれた。入江長八の漆喰芸術は「道」である。目の前に道はない。しかし諦めずに歩み続けた先に「道」はできる。長八は松崎の人たちに航路ではなく滑走路を遺した。伊豆の旅と長八の作品がそれを教えてくれた。苦しみながらも前に前に進ことで必ず道はできる。