アートの聖書

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入江長八と伊豆松崎〜漆喰芸術の道

ともに文章を習っている仲間が10月に伊豆松崎町で映画の上映会を行う。文章の先生がトークショーを行うので、会場の下見に同行。新宿駅9時25分発の踊り子号に乗って伊豆急下田駅へ。門人の千里と故郷の伊賀上野に向かった松尾芭蕉の『野ざらし紀行』のような西へ向かう旅。江戸に移って10年になる芭蕉は、すでに江戸が自分の故郷であると詠った。まったく同じ気持ちだ。もはや新宿が故郷になっている。

伊豆の長八美術館

公民館などを回ったあと、なぜか伊豆の長八美術館に案内された。入江長八、初めて聞く名だ。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した工芸家。なまこ壁、鏝絵(こてえ)などの漆喰を使った細工を残した。

漆喰(しっくい)ってなんだ?と思ったが、要は石灰を使った建築材料。それをアートにするとは、かなりの変わり者だろう。気難しい人だったのか。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館は1984年に竣工、なまこ壁など入江長八のアイデンティティを残しながらモダンでオシャレな外観。

展示作品はそれほど多くなく、2部屋だけ。観覧しやすい。

入江長八 《近江のお兼》 1876年

入江長八 《近江のお兼》 1876年

最も良かったのが日本画の《近江のお兼》。ロープの張り、お兼の涼しげな表情と愛嬌のある馬のコントラスト。なにより、どうでもいい鳥がお兼と同じ方向を向いて翔んでいる。この鳥は長八だろう。

階段を登って次の部屋へ。

最初、天井に漆喰の作品があると気づかなかった。

階段を降りると最後の部屋。

入江長八 《富嶽》 1877年 

入江長八 《富嶽》 1877年 

鏝絵(こてえ)の代表作《富嶽》。見事なのは手前の崖。クライマーとして、この富士山は登りたくならない。眺望したいとも思わない。むしろ切り立った崖と漆喰の凸凹がクライマー心をくすぐる。

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

入江長八は不本意かもしれないが、《八岐大蛇を退治する素戔嗚》など、漆喰芸術よりも日本画のほうが良い。翌日その直感が確信に変わる。狩野派の絵師・喜多武清から学んだという日本画のほうが力もある。

岩科学校

岩科学校

そのままの勢いで車を飛ばしてもらい、入江長八の代表作がある岩科学校へ。現在は廃校の小学校。

当時の授業の様子などが再現され、算数の問題を解けば売店の買い物が5%オフになる。ブックオフじゃあるまいしとツッコミながら座って問題をのぞいたが汗が滴り落ちて無理。余計な頭を使ったら倒れてしまう。冷房がなく雲ひとつない蒼天の真夏日。給水所のないフルマラソンを完走している感覚。

入江長八《千羽鶴図》

入江長八《千羽鶴図》

2階には入江長八の漆喰鏝絵の代表作《千羽鶴図》。地元の小学校からの依頼で嬉しかっただろう。100羽を超える鶴が1羽たりとも手を抜かず、平等に描かれている。国の重要文化財にも指定され本人に気合がうかがえる。しかし、どの鶴も平等で面白くない。人間も動物も不公平だから面白い。不格好な鶴、虚弱の鶴、飛ぶ気のない鶴がいてもいい。やはり入江長八の真髄は漆喰ではなく日本画にあると思った。

長八記念館

長八を巡る旅は終わらず、翌朝に長八記念館へ。浄感寺のお寺が記念館になっており、長八のお墓もある。間違えて別人のお墓に手を合わせた。

長八記念館

近年の作だと思うが、漆喰芸術の中では最も良かった。

入江長八《雲龍》

入江長八《雲龍

天井画の傑作《雲龍》。ミケランジェロのごとき長八。観る角度によって龍の表情が違う。ニューヨークの自由の女神像のようなもの。

雲龍の天井画は京都の寺によく見られるが、長八の龍は圧迫感がない。迫ってくるプレッシャーがない。ボクサーでいうマイク・タイソンのようなインファイターではなく、モハメド・アリのように様子をうかがうアウトボクサー。長八自身、グイグイ押すのではなく、俯瞰して物事を見る人だったのだろう。

画像

伊豆は夕景が名勝であり、入江長八も空や鶴や龍などの作品が多い。鳥も好きだった。空が好きだった。海を渡るのではく、翔んでいきたい。だから漆喰芸術の突飛な発想が生まれたのだろう。入江長八の漆喰芸術は「道」である。僕は今、借金を背負い、収入がなく負債はどんどん増えている。目の前に道はない。しかし諦めずに歩み続けた先に「道」はできる。伊豆の旅と長八の作品がそれを教えてくれた。苦しみながらも前に前に進ことで必ず道はできる。