アートの聖書

絵画、映画、ときどき音楽

ジム・ジャームッシュを漂流する

ジム・ジャームッシュを漂流する

梅雨が早々に明けた令和三年7月の東京。
緊急事態宣言中でも、ようやく映画館の20時以降の上映が解禁。映画は暗闇の中で観るものであり、夜の芸術。映画館はブラックホールであり、役者は星であり、スクリーンはプラネタリウム。本来、休日は登山に出かけるはずが、足首の捻挫が治らない。ひょんなことから、ジム・ジャームッシュの漂流が始まる。

コーヒー&シガレッツ』 新宿武蔵野館

画像1

7月17日(土)、ジム・ジャームッシュを巡る旅は『コーヒー&シガレッツ』で幕を開けた。池袋で髪を切り、家系ラーメンを食べたあとに向かった新宿武蔵野館。どうせガラガラだろうと予約なしで行ったが、ロビーは人で溢れかえっている。しかもリアルタイムではない20代の男女が多い。この謎がジャームッシュ欲に火をつけた。

画像2

新宿武蔵野館の喫煙所は本作がモチーフ。テープカットにふさわしい。『コーヒー&シガレッツ』は2003年公開のモノクロ映画。昼飯はコーヒーとタバコという不健康極まりない会話劇。市松模様のテーブルが欲しくなる。

誰もがマスクをし、糖質フリーだ、アルコールフリーだ、グルテンフリーだと健康の奴隷だらけの世の中と対極。映画は浮世離れしてこそ。

キレイな肺をニコチンで汚し、サラサラの血液に大量のカフェインをぶち込む。貴重な時間をたわいものない話に溶かす。人生はコーヒーやタバコと同じ。苦くて上等だ。

ジム・ジャームッシュの映画を観るときは、不思議とジャンクな食い物が欲しくなる。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

コーヒー&シガレッツ【Blu-ray】 [ ロベルト・ベニーニ ]
価格:3,696円(税込、送料無料) (2024/7/7時点)

『デッドマン』 新宿武蔵野館

画像3

7月22日(木・祝日)。本来、観る予定はなかったがジャームッシュ特集のパンフレットでオダギリジョーが「完璧な映画」と讃えていた。これが着火剤。

『デッドマン』は1995年のモノクロ映画。ジャームッシュには白と黒が似合う。この二色は生と死。人生は死に到着するための旅であり、そのプロセスで何者であるか。ウィリアム・ブレイクジョニー・デップ)は若くして労働を喪失し、魂のふるさとに向かう旅に出る。

その過程で何者でもないノーバディ(ゲイリー・ファーマー)と出逢い、違う自分になってもうひとつの人生を歩む。人は現世で生まれ直す。ジム・ジャームッシュの根幹は人間愛、人生讃歌であり、形を変えたミュージカルなのだ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【中古】DVD▼デッドマン レンタル落ち
価格:325円(税込、送料別) (2024/7/7時点)

ダウン・バイ・ロー』 新宿武蔵野館

画像4

休憩を挟んで、この日、2本目。1986年公開の『ダウン・バイ・ロー』は自主制作映画。トム・ウェイツ 、ジョン・ルーリーロベルト・ベニーニと劇薬ぞろい。普通の監督なら、ただの毒になるが、ジャームッシュだからこそ料理できる。

今作は、あらゆるクリエイターがジム・ジャームッシュに熱狂する理由が集約されている。衝撃とは、強いメッセージでも奇想天外なアイデアでもなく、日常をヒョイとすくいとり、そこに少しのスパイスを加えたもの。

3人組のロードムービーは男2人、女1人が多いが、これは男3人だから活きる。ジャケットを交換し、それぞれの道を征くラストシーンの爽快感と寂寥感。

映画は観るものではなく食べるもの。記録や思い出にするものではなく、作品を味わうことで自分の血肉にし、明日への栄養にする。

本来、この作品で最後にするつもりだったが、徹底的にジャームッシュ作品に噛みつき、その才能を味わい尽くすことに決めた。

『ミステリー・トレイン』 渋谷WHITE CINE QUINTO

画像5

7月24日(土)。WHITE CINE QUINTOは渋谷パルコの8階にある。上映前に、センター街で煮干しラーメンを食べたが、お腹が寂しかったのでポップコーンとコカ・コーラを相棒にした。20代の女性のおひとり様が多い。

画像6

『ミステリー・トレイン』は1989年のカラー映画。3つの物語が列車のように数珠つなぎで進行する。登場人物たちはクロスロードすることなく、平行線で進む。

ジャームッシュはニューヨークやニューオリンズなど、音楽の街を撮る監督だが、80年代の最後もメンフィスというエルヴィスの故郷を舞台にした。日本人カップル、イタリア人旅行者、この街の住人、ホテルのフロントマン。それぞれでメンフィスという街の捉え方が違う。

画像7

街はただ存在するのではなく、訪れる人、住む者によって大きく変わる。巨大なミステリー・トレインだ。ラストで列車に乗った永瀬正敏工藤夕貴は、ディディから「この列車って〇〇に行く?」と聞かれたのに「マッチある?」と聞かれたと勘違いする。

これこそ本作を凝縮する「すれ違い」であり、ジム・ジャームッシュの本領。人と人は違うからこそ面白い。違うからこそ世界は愛し合う。

ジム・ジャームッシュは半径数メートルの、たった数時間を切り取っただけで、世の中を描き切った。ジム・ジャームッシュという線路は続く、どこまでも。

パーマネント・バケーション』 吉祥寺アップリンク

画像4

7月25日(日)。仕事を昼で切り上げ、中央線で吉祥寺に向かう。マスクの汗で顔が蒸れてしまいそうだ。吉祥寺アップリンクは、パルコの地下2階にある。アンダーグラウンド。今作はニューヨークの映画だからホットドッグとコカ・コーラを買った。

画像9

入場時にチケット確認がない。座席はすべて真っ赤。レザーで角度がついている。座席にもたれるとスクリーンを見上げる格好になる。

パーマネント・バケーション』はアメリカン・ニューシネマが終わりを迎え、新しい時代が始まる1980年公開。ジャームッシュは80年代を託され、時代に迎えられた監督。

社会に適合できないアリーは孤独を消すため街を彷徨うが、アウトサイダー同士は磁石のマイナスとマイナス。誰ともセッションできない。夜に出逢うサックス奏者(ジョン・ルーリー)と同じ。

だから常に不吉な鐘の音が鳴り響く。旅立ちの前にようやく意気投合できそうな若者に出会うが、時すでに遅し。すれ違いこそ、ジム・ジャームッシュの魂。

アリーが語る「ここ」から「ここ」への物語とは、自分は自分以外の何者でもないということ。アリーは自分に受け身をとりつつ、「ここ」ではない何処かへ向かう。

ニューヨークを離れ、虹の彼方へ向かうアリーは、映画という”永遠の漂流”であるジム・ジャームッシュ自身である。

『ナイト・オン・アース』 吉祥寺アップリンク

画像5

パーマネント・バケーション』を観たあと、武蔵家で家系ラーメンを食べ、井の頭公園ひぐらしの音をBGMにパンフレットを読む。夜がふけて蚊が活動を始めると、追い出されるようにアップリンクに戻った。

画像11

今度はポップコーンにカフェ・オ・レ。「ポップコーンにはコーラだろ」と自分にツッコミながらも、一度この組み合わせを試してみたい。

『ナイト・オン・アース』は5組のタクシードライバーのオムニバス。物語が始まる前の物語。続きが気になり、本来なら1人1本の映画にできるところを、ジム・ジャームッシュは”その後”を観客に託す。

タクシーの移動も小さな旅であり、その中には人間ドラマがある。あの狭い車内は千利休の茶室。小さな宇宙空間なのだ。

今作はこれまで描いてきた人と人のズレではなく、時差という地球のズレを描き、世界の面白さを抽出した。オムニバスの最後、ヘルシンキは夜明けで終わる。世界が目覚め、地球の物語が始まる瞬間。その曙光を観客が受け取り、それぞれのドラマを進行させる。

ストレンジャー・ザン・パラダイス』 有楽町ヒューマントラストシネマ

画像6

7月31日(土)。ラストショーは『ストレンジャー・ザン・パラダイス

21時25分の上映前、有楽町駅の中華料理屋でラーメンと餃子を頼む。1,300円。映画のチケットと同じ。なぜかジム・ジャームッシュを観る前はラーメンが食べたくなる。中毒性が似ている。

20時で映画館の飲食の販売は終了なので、セブンイレブンコカ・コーラとグリコのチョコを買って劇場に向かう。観客はまばら。明日から始まる日常の退屈を吹き飛ばすには映画がいちばんだ。

映画とは2時間ちょっとで人生を縫うのだから粗暴なもの。理路整然ではダメ。荒々しく、頭を殴られるような衝撃が欲しい。

音楽や絵画が映画より優れたアートであると信じている人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観ないほうがいい。その幻想はジム・ジャームッシュという”濁流”に洗い流されてしまう。

一つ一つのシーンが絵画のように美しく、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの歌が大地震のように揺さぶる。I put a spell on you。まさに我々を魔法にかけてくる。

強烈なインパクトの曲を”映画音楽”に飲み込んでしまうジャームッシュの凄さ。画とタイミングが完璧に調和している。ジャームッシュはディレクターではなくマエストロ。

恋愛も大事件にも発展しない、何でもない冬の物語。名画や名曲と同じく、何気ない一瞬や日常を切り取っている。そこにドラマを見出すのは映画ではなく観客の仕事だ。

ブラックアウトによるぶつ切りのシーンは、食材を粗く切った男の鍋料理のよう。エヴァを子供扱いするウィリーの態度と並走している。けど、現実はそんな雑な味付けほど美味しかったりする。

この映画はどこまでも視覚的に日常や人物を捉えているのに、ドラマチックな競馬や”3人のその後”といった肝心な場面は映さない。

これこそジム・ジャームッシュが仕掛けた魔法であり、観客に映画を託している証。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のタイトルには主語がない。それを見つけるのは観客自身なのである。

幕間と余韻

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』Amazonプライムビデオ

画像9

7月26日、週初めの月曜日、疲労感が強い。ジム・ジャームッシュ疲れだ。心地いい。仕事が終わった20時から布団に寝転んで観ようとしたが、集中力が出ない。仮眠をとり再開したのは夜中の1時。終わったのは深夜3時だった。いよいよ、ジム・ジャームッシュのヴァンパイアになりつつある。

冒頭のレコードの回転と映像の流転。結局、人生は同じ場所をグルグル彷徨する。ラストは気高いヴァンパイアは生き延びるために、忌み嫌うゾンビ、吸血鬼のエヴァになる。オープニングとエンディングのギャップの振り幅。

しかし、世を忍ぶ吸血鬼の話なので、デトロイトという街が生きていない。エデンの東であるモロッコも感性がスウィングしなかった。ジャームッシュは”街”の監督でなければいけない。

セリフに壮大な歴史の話が出てくるのも違和感がある。ジム・ジャームッシュは「ここ」から「ここ」のスモールワールドを描いてこそ。

これまでの作品は一貫してストーリーに意味のないことに真価があった。だから観客はその作品を観たことに意味を持たせることができる。「それでも人生は続く」を感じさせてくれた。

しかし、今作のラストは、生きることに無理やり意味を持たせてしまった。ジャームッシュ作品で初めて馬が合わなかったが、自分にとってのジム・ジャームッシュがなんたるかを再認識させてくれた。

『パターソン』

画像10

7月28日(水)。アーティストは売れる前が全盛期だが、ジム・ジャームッシュには全盛期がない。1980年代、90年代、2000年代のすべてに爪痕を残す。

牧歌的なテンポになっても、柔らかな映像美になっても、”ズレ”の美学を描いてきたジム・ジャームッシュはブレていない。

街と同じ名を持つパターソン(アダム・ドライバー)。調和を描きながら、違和感を覚える設定。今作は一つの街に不自然なほど詩人が登場する。バスの運転手、コインランドリーの黒人ラッパー、母と姉を待つ少女、そして日常に溶け込みすぎているサラリーマン風の日本人旅行者。

しかし、本来は街の誰もが詩人であり、なんでもない日常にこそ詩情は息づく。

変化を拒否してきた主人公が愛犬によって日常を動かされるが、イソップ寓話の金の斧の話のように日本人(永瀬正敏)からノートを与えられ、詩人として生まれ直す。

何も変わらないように見えるものほど、実は変化している。常に新しいものを生み出す主婦(ゴルシテフ・ファラハニ)がその触媒。

この映画を観たあと、最果タヒの『夜空はいつでも最高密度の青色だ』をAmazonで注文し、眠りについた。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

パターソン [ アダム・ドライバー ]
価格:3,364円(税込、送料無料) (2024/7/7時点)

『デッド・ドント・ダイ』

画像12

8月1日、深夜1時。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』から帰った直後に観た。ゾンビ映画というデザート。

一流のトップランナーは、世間より早く未来を察知するアンテナを持っている。今作を古臭いホラー、ステレオタイプのコメディと思うならジム・ジャームッシュを観る才能はない。

ゾンビはワクチンを開発しても蘇る例のウイルスであり、世界の縮図がセンタービル。我々は神様から与えられた台本を生きている。ひどい結末であろうが「ベストショット」すなわち全力で眼の前にフルスイングするだけ。

ビル・マーレイアダム・ドライバーの2人は最期まで前のめりに立ち向かっていった。だからバッドエンドに見えるラストも清々しさの残照が射し込む。

『デッド・ドント・ダイ』とは、肉体は死んでも自分を貫けば魂は決して死なないメッセージ。

映画のストーリーやジャンルは変われど、ジム・ジャームッシュは『パーマネント・バケーション』から何ひとつブレていない。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

デッド・ドント・ダイ [ ビル・マーレイ ]
価格:3,344円(税込、送料無料) (2024/7/7時点)

ゴースト・ドッグ』吉祥寺アップリンク

画像16

本来、『デッド・ドント・ダイ』をフィナーレにするつもりだった。しかし、ジム・ジャームッシュは"完結"を拒否した。いったい何度目の予定変更なのか?やっぱりこの世は天国よりもストレンジャーだ。

8月15日(日)、20時25分。明日から退屈な日常が始まる。そんな闇夜にこそ、ジム・ジャームッシュは輝く。

晩飯はポップコーンとコカコーラ。『コーヒー&シガレッツ』から始まったジャンキーな旅にふさわしい最後の晩餐。

武士は自分という主人に仕え、「侍」は主君に忠誠を誓う。異国にいるジム・ジャームッシュはこの違いを日本人以上に理解していた。

画像17

ゴースト・ドッグフォレスト・ウィテカー)が出逢う人々に本を読んでくれと頼むのは、古き日本を知って欲しいという、世界中の観客(日本人を含む)へのメッセージ。

遠い国アメリカの、平成という時代に、アメリカ人と拳銃とラップだけで「侍」を表現した。何という才能。何という情熱。

職人であり、魔法使い。日曜の夜に輝く月。月は太陽の化身。ジム・ジャームッシュとは夜の太陽なのだ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ゴースト・ドッグ 【Blu-ray】
価格:4,510円(税込、送料無料) (2024/7/7時点)

ジム・ジャームッシュTOP10

画像18

1位:ストレンジャー・ザン・パラダイス
2位:ダウン・バイ・ロー
3位:ミステリー・トレイン
4位:ナイト・オン・アース
5位:ゴースト・ドッグ

6位:デッドマン
7位:パターソン
8位:コーヒー&シガレッツ
9位:デッド・ドント・ダイ
10位:パーマネント・バケーション

不思議な1ヶ月間だった。本当なら土日は山登りに駆り出すので、ジム・ジャームッシュに触れることはなかった。しかし、5月末に原因不明の捻挫をし、2ヶ月経っても治らなかった。映画館しか行くことができず、導かれたのがジム・ジャームッシュ

80年代のはじまりに颯爽と現れた彗星は、ジェームズ・ディーンの生まれ変わりに思えてならない。根底にあるのは"反抗"であり、その先には真の"友愛"を求めている。

ジャームッシュは夜の太陽だ。月という表現より、観客を照らしてくれる太陽。ただし、日中の強烈な陽射しではなく、やさしい光で包んでくれる。この稿をリリースした8月17日、嘘のようなホントの話で捻挫の痛みが消えた。この1ヶ月を、シネマの神様が演出してくれた気がしてならない。

サマーフィルムにのってジム・ジャームッシュの11作品を漂流した。終着点はない。ジム・ジャームッシュという旅は、永遠に未完なのだから。