アートの聖書

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ドラゴンボール 魔神城のねむり姫

ドラゴンボール 魔神城のねむり姫

 

人生で初めて映画館で観たのが『魔神城のねむり姫』である。記憶はないが思い出はある。橿原だったのか奈良だったのか、それとも地元の桜井だったのか。事実は迷子。記憶から家出した。でも初めて観た映画は『魔神城のねむり姫』。そうあって欲しい。それだけが真実だ。

スケベなジジイがスケベな悪魔から美女を強奪する。自分の手をくださない。ガキたちを派遣する。パチンコ玉の頭をした少年はハゲジジイにエロ本の賄賂を使う。汚いものには姑息で対抗する。とんでもない脚本。

これが少年マンガ、少年アニメ。これから汚い大人たちの社会に出ていくガキどもに一歩先の世界を覗かせる。映画は覗き穴である。

夕陽に染まる悪魔の手、魔神城の怪獣たちのラッパ、中世ヨーロッパのようなBGMの死の音楽。怖かった。でも観てしまう。何度も覗いてしまう。

太陽を吹き飛ばし、闇の世界を創造しようとする悪魔ルシフェルにブルマが叫ぶ。

海水浴いけないじゃない!

なんという名台詞。ブルマはO型に違いないが、これほど女という生きものを表した台詞はない。最後のランチさんがぶっ放すマシンガンはアメリカン・ニューシネマの蜂の巣。クリリンや悟空の頭にもぶち込む。女は悪魔より強し。銃弾はモールス信号であり、少年たちへのメッセージ。

もっとワイルドに、もっとたくましく生きてごらん。

これを4歳で観た。人生が変わった。幼稚園で教えてくれないことをいっぱい見せてくれた。ドラゴンボールはもうひとりの育ての親。