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シンドラーのリスト

シンドラーのリスト

子どもの頃からアニメや戦隊モノを見ても、主人公よりライバルに惹かれていた。双子に生まれ、マジメな弟と比較され、劣等感を抱えていたことが影響したのだろう。主役の引き立て役となる影に、自分を重ねていた気がする。

シンドラーのリスト』を見ても、方舟を作った英雄ではなく、寂しさを滲ませるアーモン・ゲート少尉に眼がいってしまう。

恋慕を抱くユダヤ人のヘレンを家政婦にしながら、暴力でしか愛を表現できない。シンドラーを兄弟のように慕いながらも、権力を殺人の凶器にしか使えない。「ハイル・ヒトラー」を遺して絞首刑になった最期は、自分も他者も処刑することでしか解決を得られない不条理を浮き彫りにする。

この映画がモノクロなのは、時代を反映したのではなく、アーモン少尉に光を当てるわけにいかなかったからだ。劇中に流れるバイオリンの悲音は、ユダヤ人やシンドラーだけでなく、アーモンの悲運を鎮めている。アーモンという名は「アーメン」の祈り。

オスカー・シンドラーが本当に救えなかったのは、何万というユダヤ人でも赤い服の少女でもシンドラー自身でもなく、アーモン少尉。

そして、アーモン少尉こそスピルバーグその人である。富と地位を持ちながら、誰より劣等感を抱いていたアーモンとスピルバーグ

サメに人を襲わせ、恐竜に人を喰わせ、無慈悲な殺人をスクリーンに刻んできた自分の業が、アーモンに重なったのかもしれない。あの残忍な所長を主人公のシンドラー以上に冷静に捉え、俯瞰し、その内面に迫った理由はここにある。

ユダヤの血が流れている監督が、救世主ではなく殺戮者に伴走した。その屈折性にこそ、スピルバーグの映画人としてのパワーの一端が隠れている。