アートの聖書

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木村拓哉と吉岡里帆の共通分母

木村拓哉

ある映画メディアの編集長とお酒を飲む機会があった。好きな女優を聞かれ、吉岡里帆と答えたのだが、容姿が美しすぎるせいで過小評価されている。

吉岡里帆の演技の質は木村拓哉と同じ。多くの役者は役に近づこうとするが、吉岡里帆木村拓哉は自分の中に役を飲み込む。そして木村拓哉という畑、吉岡里帆という畑で役を育てアウトプットする。

その証が眼だ。木村拓哉吉岡里帆は役によって眼が違う。ふたりは眼に役を宿している。木村拓哉吉岡里帆の眼はマエストロの指揮棒であり、我々をキャラクターの人生や生き様に導く。

木村拓哉が他のアーティストの歌をカバーしている映像を見ればわかる。木村拓哉は歌い方、テンポ、リズム、時に歌詞までも変える。自分から歌に近づくのではなく、歌を飲み込み、自分の歌にしている。そうやって歌はいっそう輝く。

映画は暗闇の芸術であり、地上の宇宙。スクリーンは星を映すプラネタリウムであり、我々はスターを観に映画館に足を運ぶ。我々が見上げている星は、星そのものの姿ではなく、太陽の光を浴びた姿。

吉岡里帆木村拓哉という太陽の光を役に放射することで役が一層輝く。他の役者は、市井の人々を演じるとき役に近づいてしまうから、せっかくのスターとしての輝きを消してしまう。役を最大に輝かせることができるのが木村拓哉吉岡里帆なのである。日本の俳優でこの質の演技ができるのは、この2人しか知らない。