
- 英題:Self-Portrait with Glass
- 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
- 制作:1887年1月
- 寸法:61.1 cm x 50.2 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)
グラスに注がれた飲み物を片手に座っている自画像。テオのアパートなのか、友人宅なのか、バーにいるのか。ゴッホは、パリのカフェの常連だった。
お金がなかったゴッホは、費用を節約するために、他の絵の上に重ねて、この自画像を描いている。前は、裸の女性が描かれていた。
絵画レビュー:くすぶる自画像
この自画像、かなり荒れている。きれいに仕上げる気が最初からないように見える。むしろ、絵具をこすりつけ、削り、また塗り直しながら、「今の自分」を無理やり画面に引きずり出している感じがある。
背景が茶色い。赤茶、焦げ茶、黒、少しの緑。壁なのか空間なのか分からないが、全体が古い酒場の壁みたいに濁っている。明るいパリの空気というより、煙草と絵具と酒の匂いが染みついた部屋だ。
その中から、ゴッホの顔が浮かぶ。顔は中央より少し上。体は斜めに構え、こちらをまっすぐ見るというより、少し横から睨むように視線を投げている。どこか警戒している。こちらを信用していない。でも、逃げもしない。距離が近いのに、簡単には近づけない。
色彩は全体に暗いが、顔だけには赤、黄、白が集まっている。特に髭の赤みが強い。画面全体が沈んだ茶色の中で、この赤い髭だけが小さく燃えている。派手な炎ではない。湿った薪が、じりじり煙を上げながら燃えているような火だ。
口元から斜めに突き出したパイプが、ゴッホの無言をさらに濃くする。話す気はない。説明する気もない。ただ吸っている。煙があるだけで、部屋の空気まで重くなる。
顔は比較的しっかり描かれているが、服や背景はほとんど崩れている。輪郭線できっちり囲うのではなく、暗い色面の中に青や緑や赤を差し込みながら、形を浮かび上がらせている。
服は黒い上着のはずなのに、よく見ると黒一色ではない。青、緑、茶、赤の筆跡が縦横に走っている。布を描いているというより、体のまわりにまとわりつく空気や疲労を描いている。胸元の花のような色のかたまりも、装飾なのか、絵具の残響なのか、判然としない。その曖昧さが、画面にざらつきを与えている。
筆触は荒い。でも、雑ではない。顔の部分には、赤や黄色の短いタッチが細かく入り、頬や額の血の気、髭のざらつき、目元の緊張を作っている。背景は大きく擦るように塗られていて、人物を包む暗い空気になっている。細かいところと粗いところの差があるから、顔だけがぐっと前に出てくる。
そして、珍しく左上にゴッホのサインがある。この自画像には、爽やかさがない。優雅さもない。成功者の余裕もない。
あるのは、疲れた人間の意地と、絵具の匂いだけだ。ゴッホは、かっこ悪さまで含めて差し出している。目の鋭さ、口元の硬さ、くわえたパイプ、沈んだ服、汚れたような背景。全部が「今日もまだ終わっていない」と言っている。
この絵の良さは、画面の温度にある。
冷えているのに、どこか熱い。暗いのに、まだ火がある。荒れているのに、崩れきっていない。
ゴッホはここで、自分を完成された人物として描いていない。不完全で、疲れていて、くすぶっていて、それでも画面の中に居座る人間として描いている。
これは「画家の肖像」ではなく、絵具でできた生存報告である。
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