高速バス夢街道会津号に揺られ新宿から4時間半。バスは10分遅れで猪苗代駅に到着。諸橋近代美術館への会津バスに間に合った。ここから25分。山道を縫って走る。
チュッパチャプスの水玉模様のような小雨が降る諸橋近代美術館。この日は雲に隠れていたが雄大な磐梯山が望める。登山と美術館の合わせ技も豪華だ。
馬蹄形の窓が10個並ぶワインのシャトーのような諸橋近代美術館は1999年の開館。2024年の今年で25歳を迎えた。1894年に生まれたダリは生誕120年。
諸橋近代美術館はダリの絵画、彫刻、版画作品など約330点を所蔵。トップのダリ美術館は別として世界で4番目の多さ。東京ではなく福島の山奥にあるのがすごい。
ダリもここまで愛されてうれしいだろう。他にも印象派からシュルレアリスム期までの絵画作品約40点、英国現代作家PJ・クルックの絵画約30点などを保有している。
美術館に入らずとも、庭でダリを堪能できる。ただしアクセス不便な山奥なので、地元の人でも簡単には来られない。
入り口もワイナリー、シャトーのよう。外から中は見えない。煉瓦造りがやさしさに包む。
館内に入ると、これ以降は撮影禁止。カウンターとミュージアムショップが併設。商品も撮ってはいけない。右手にカフェがある。
作品は一点を除いて撮影不可。館内もこの部分とカフェだけOK。1989年に亡くなったダリをはじめ、著作権が切れていない作品が多い。その分、ゴッホやセザンヌなどは撮影OKにしても良いのではないか。OKとNGの線引きが難しいのかもしれない。
庭には睡蓮の花。少しモネの気持ちがわかった。せめてモネの《睡蓮》を1枚所有してほしいところ。最高のコラボになったのに。
唯一、撮影が許されたサルヴァドール・ダリ《テトゥアンの大会戦》1962年。ダリの最高傑作ではないかと思って、この絵を観に来た。最高傑作ではなかったが素晴らしい作品。戦争画のようで時間を描いている。時計のような円の構図。「伝統とは再生である」と言ったダリらしく、変人でも奇人でもなく偏人。自分というルールに一途に規則正しい常識人であることが分かる作品。
※撮影不可
オランダ時代に描いたといわれる作品。同じ白いフードをかぶった農夫をゴッホは何枚も描いた。ゴッホの力強さはなく、やさしい。背景や服、瞳のブラックと対照にフードの白が農夫を包む光のようである。ただし、出来としてイマイチ。
※撮影不可
「青の時代」に描かれた作品。傑作とはいかないが並の画家では描けない。痩せ細った男の手と貧しげな表情。しかし帽子の着こなしがオシャレ。男と女は違う方向を向いているが、両手はしっかりと添えられている。頬杖をつく女の顔には気品があり、タイトルに反して気高い。濃厚な貧乏をピカソは描いた。
※撮影不可
鮮やかな積みわら。心が晴れやかで温かくなる。しかし、ポーラ美術館や埼玉県立近代美術館にあるモネの《積みわら》に比べると、何かが足りない。
※撮影不可
ダリを含めて名だたる画家を押さえて最も良かったのがイギリスのアーティストPJ クルック。初めて聞いた。男性が描いたと思ったら女性画家。額縁まで絵を拡げるので実物で観ないとわからない。現場主義。最も良かったのが《ベッドでの朝食》。絵師が朝を描くときは爽やかで静かで光を描く。しかし、この絵はゴチャゴチャしている。そこには人間がいる。生活がある。生命力がある。これなら写真でいいかもしれない。でも、絵だからこそ表現できる色と柔らかさがある。
美術館メシ
ミュージアムカフェ『Mustache(マスターシュ)」。意味は「口ひげ」。ダリへのオマージュ。こうして優雅に美術館巡りをしているが、日に日に生活は苦しくなっている。動くのは動かないと不安で死んでしまうから、その恐怖を紛らわせているだけ。自分を信じているのではなく、自分を疑いながら、なんとか生きつないでいる。「天才を演じ続けよ、そうすれば、おまえは天才となる」と言ったダリ。そう思えたら。
オリジナルブレンド「シュール」750円、ハムチーズバゲットサンド800円。ダリに思いを巡らす。諸美は絵画より彫刻の多さに素晴らしさがある。ハーモ美術館にある彫刻と同じものにヒントがある。
ダリにとって髭は絵筆であり時計を動かすゼンマイであり、時計は十二使徒であり、自身はキリストであり、ガラは聖母マリア。ダリが時間を溶かしたのは、ガラという母に出逢ったことで、もう一度自分を生まれ直すメッセージに違いない。