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レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》屍に降る光、生を灯す

レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》

  • 原題:De anatomische les van Dr. Nicolaes Tulp(オランダ語)
  • 邦題:テュルプ博士の解剖学講義
  • 作者:レンブラント・ファン・レイン
  • 制作:1632年
  • 寸法:16.5 cm × 169.5 cm
  • 所蔵:マウリッツハイス王立美術館(オランダ)

26歳のレンブラントがアムステルダムの外科医師の組合から依頼され、一躍その名を有名にした作品。レンブラントの十八番であり、10年後の《夜警》へと繋がる集団肖像画。若き画家は、生と死を同じ光の中に並べた。

テュルプ博士、七人の弟子、処刑された犯罪者の遺体。医師や美術研究者は、遺体の筋肉や腱の正確な描写を高く評価する。だが、レンブラントが本当に主役に据えたのは、別のもの。画面に漂うのは、技術の誇示でも、権威の賛美でもない。

まばゆい光が注ぐのは、横たわる遺体。罪人であるはずの体は、十字架から降ろされたイエス・キリストのように神々しい。

そして、弟子たちは好奇心と感嘆の眼で死を見つめる。ある者は凝視し、ある者は耳を澄まし、ある者はそっと目を逸らす。

その緊張と好奇心に満ちた空気のなか、テュルプ博士は生き生きとした表情をたたえている。

レンブラントは、弟子たちも、遺体も、ただのエキストラにはしなかった。

死も生も、同じ重さで、同じ尊さで描いた。

死者を敬い、生者を讃える。それこそが、若きレンブラントが放った、本当の光。

マウリッツハイス美術館の展示

レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》

オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス王立美術館の展示室9はレンブラントのための特別ルームであり、最も目立つ場所に《テュルプ博士の解剖学講義》が展示されている。日本でもレンブラントの画集を持っていたが、ここまで凄い画家とは思わず、度肝を抜かれた。

レンブラントが描いたもう一枚の解剖学

レンブラント《デイマン博士の解剖学講義》1956年

《デイマン博士の解剖学講義》1956年

24年後、50歳前後のレンブラントが描いた脳解剖の場面。テュルプ博士の後任がデイマン博士。本来、この絵は他にも7人以上いる集団肖像画だが、1723年の火災で焼失し、大部分が切断された。その後、アムステルダム国立美術館に寄贈され、この絵を観たゴッホが、肌の土色に圧倒されている。

レンブラント以前の解剖肖像画

ミヒール・ファン・ミーレフェルト《ファン・デ・メール博士の解剖学講義》1617年

ミヒール・ファン・ミーレフェルト《ファン・デ・メール博士の解剖学講義》1617年

レンブラント以前の集団肖像画は、陰影や強弱をつけず、公平に描くのが典型だった。いかにレンブラントの試みが大胆で、飛び抜けているかがわかる。

レンブラントに逢える美術館

レンブラントの絵画

レンブラントの映画

オランダ黄金時代:フェルメール絵画

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