
SOMPO美術館で『藤田嗣治 7つの情熱』の企画展が始まった。2025年4月12日から6月22日まで。年間パスポート(6200円)を買い、最終日も含めて10回ほど訪れた。

企画展は81歳で亡くなったレオナール・フジタこと藤田嗣治(1886〜1968年)の作品を、7つの視点に分けて紹介。「自己表現」「風景」「前衛」「東方と西方」「女性」「子ども」「天国と天使」に分類している。藤田は新宿生まれの画家なので、地元凱旋。
藤田と比肩するのが、普段はSOMPO美術館の倉庫で眠っている東郷青児の作品。それだけでも観に行く価値がある。他の画家も合わせて、合計150点ほど展示。

残念ながら館内は写真撮影不可の鎖国。《パラダイスのアダムとイヴ》はネット上にも画像がない。せっかく藤田嗣治のアートを世界に広めるチャンスだが、撮影禁止の理由を尋ねると以下の回答を頂いた。原文のまま掲載する。
撮影禁止にしている当館収蔵作品は、いずれも紙に描かれた作品です。紙に描かれた作品は、どの作家の作品であっても、油彩に比べて光に弱いため、万が一のことを考え(フラッシュ禁止でお願いはしていますが、誤って撮影の際にフラッシュをたいてしまわれることが多々あります)撮影禁止にしています。また、小型の作品はどうしても作品に近寄って撮影することになります。作品の保全と撮影をされないお客様の鑑賞環境を考慮し、《窓》以外は撮影禁止とさせていただきました。なお藤田展に関しては、著作権の関係で、全作品撮影禁止としています。
藤田嗣治
《アトリエの中のキュビスムによる静物》

藤田嗣治が1913年に渡仏しモンパルナスに居を構えていた頃の作品。《アトリエの中のキュビスムによる静物》グアッシュ・水彩。
藤田はエコール・ド・パリの時代、最も描きたかった女性の裸体を7年間も封印し、静物画や風景画を描いてきた。「乳白色」を生み出す前、キュビズムの練習で描いた静物画。これらの作品が、のちの最高傑作の室内がにつながっていく。
《Y夫人の肖像》

藤田嗣治《Y夫人の肖像》1935年、三井住友銀行
異彩を放っていた一枚。猫が歌舞伎役者のように睨み、決めポーズをとっている。天守閣から城(女性)を守る金のシャチホコのようだ。近づこうとする者を遠ざける。女性はキリッとしているが、孤独の甲冑(ドレス)を着ている。きっと旦那とうまくいっていない。だから、高貴な姿なのに着せ替え人形に見える。その孤独に猫が寄り添う。女は内面と戦い、猫は世界と戦う。藤田嗣治にとって「猫」は、パリの異邦人である自身の“心の分身”である。
《ヴォジラール、パリ》

見事な旅愁。写実的な描写だけでなく、この絵を前にすると、“質感”に引き込まれる。絵の中から街の空気がそのまま流れ出てくる。
使われている色は、主に白と茶。淡い。特定の場所ではなく、旅の途中でふと出会うような、どこか懐かしい路地裏の風景。視界を大きく広げたパノラマではなく、あえて中途半端な位置で切り取ることで、その場の“空気感”をギュッと閉じ込めている。
《赤い服の自画像》《緑の服の自画像》

60代で描いた緑と赤の補色を用いた自画像。どちらも老人の顔であり、背景には母と父、母と6歳の藤田嗣治を描いている。還暦になり、人生を振り返ったか。振り返れば奴がいる。それが両親と幼き自身だった。
《自画像》

70代半ば、老境に差しかかった自画像。ゴッホの《タンギー爺さん》と同じ構図。自画像の背景は、もうひとつの自画像。レオナール・フジタが後年に描いた子どもの絵。
首まで隠れた地味なセーターと肌が露出した派手な服、白髪とブロンド、男と女。老人と子ども。何から何まで対照的に描きながら、両者は一体化している。運命共同体に見えてくる。
なぜ子どもなのか?自身が欲しかったものなのか?近づきたい存在なのか?守護天使なのか?フジタが描く子供には「無垢」という言葉はふさわしくない。そこには純粋の仮面をかぶった知性があり、天使のまなざしに潜む悪意がある。
子どもとは、世界の最も深い矛盾を孕んだ存在。大人を欺く狡猾さを持っている。子どもは純粋な「ピュア」ではない。子どもの「ピュア」には天使も悪魔も棲んでいる。子どもを愛しつつも、決して溺れることはない。敬意も畏れも抱いている。そんな画家としての自負が、この自画像に宿っている。
藤田は過去に回帰しているのではなく、その眼差しは未来に向けられている。自分は終わっていない。第二の画家人生を生まれ直す決意が宿っている。

東郷青児

《ベッド》という裸婦画が凄く、藤田嗣治との対比に良いのだが、残念ながらネットに画像がない。所蔵しているSOMPO美術館ですら公式サイトで紹介していない。もったいない。他にすごかったのが《子供》
眼の不気味さと、下半身。ズボンを履いていないように見える。裸眼と裸身。何かに怯え、何かを訴え、何かと戦っている。ポケットから剥き出しになっているパンは心の剣か。
両手は祈りであり、何かを探しているように見える。この子供は、何かを失った直後、あるいは失ったことに気づき始めた瞬間。その喪失に言葉が追いつかない。手が、その感情を捜索している。思い出は、いつも指先に宿る。記憶の裂け目をなぞるように。東郷青児は、愛情と冷徹の両眼で子どもを射抜いている。
美術館メシ:Café Du Musée

レモンケーキとマンゴージュース、450円。良い作品は、ほぼ個人蔵。苦しい企画展だったに違いない。藤田嗣治のファンからすれば、ガッカリした部分も多いだろう。
それでも、藤田嗣治とは何かを探る良いきっかけとなった。いつか再び、新宿出身の画家である藤田嗣治が、地元のSOMPO美術館に凱旋することを願っている。
|
藤田嗣治の絵画に逢える美術館
《ドルドーニュの家》

《裸婦と猫》
《舞踏会の前》

《坐る女》

《聖母子像》

|
藤田嗣治の傑作絵画
SOMPO美術館の紹介
SOMPO美術館の企画展
日本の美術館ランキング
東京のおすすめ美術館
