
- 蘭題:De sterrennacht
- 仏題:La nuit étoilée
- 英題:The starry night
- 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
- 制作:1889年6月
- 寸法:73.7 cm × 92.1 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ニューヨーク近代美術館
1889年6月、フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール・ド・モゾール修道院の精神病院で療養中に描かれた一枚。
原田マハの小説『たゆたえども沈まず』の表紙となり、ゴッホが最も描きたかった絵として登場。原田マハも生涯ベスト絵画の10傑に《星月夜》を入れ、著書『いちまいの絵』では、「星に照らし出された明るい空が、明日への希望に満ちている」と語る。
邦題は《星月夜》だが、絵には月が出ており、間違ったタイトルになっている。「星月夜」は、月が出ていないが星の輝きだけで月夜のように明るい夜の意味。フランス語の「La nuit étoilée」は、「星降る夜」や「星の輝く夜」の意味であり、正確な邦題は《星夜》になる。
絵画レビュー

糸杉がバベルの塔のように天に召そうとしている。「来れるものなら来てみよ」と、龍のような雲の使者が挑発的に渦巻く。星だけがゴッホの味方。虚無の世界。虚無への産道。ゴッホは虚無に旅立つ。
死への旅ではない。糸杉はゴッホのペニスであり、跳躍する精子。孤独な精子は新たな生命を求めている。夜空は「受け入れ」とも「拒絶」ともつかない、無音の母性。
夜という母胎、精子の炎。《星月夜》は「再誕」の絵画。ゴッホは、宇宙との交歓によって、生まれ直そうとしている。ここからもう一度、人生をやり直したいと願っている。
《星月夜》は、ゴッホの受胎告知。ゴッホは神に、運命に向かって向かって精子を撃った。
月は最も遠くで静観する。しかし、最も明るい光を放っている。夜の月だけがゴッホに期待している。これは三日月ではなく、夜の太陽。再誕の兆し、月はまた昇る。
発狂しても創作はできない、まともな精神でも描けない。究極の綱渡りで描かれた一枚。剥き出しの魂、泥だらけの透明、傷だらけの自由。魂が魂になる前の魂を描く画家ゴッホの真骨頂。
もう一つのレビュー
空が動いている。いや、空がこちらを動かしてくる。《星月夜》は、風のエンジンを丸見えにした夜だ。
蜂蜜色の星が遠心力でふくらみ、渦が夜空の心拍を描く。月はレモンの舟、静かに潮をつくる。黒をほとんど使わず、青の階調だけで闇を立ち上げるから、光は刺さるよりも「湧く」。
左の糸杉は、地上と宇宙をつなぐ避雷針。指揮者のタクトのように立ち、渦巻く合唱をまとめあげる。丘の向こうの村は毛布の下で寝息を立て、尖塔だけが夜のメトロノームとして時を刻む。
ゴッホは景色を写したのではない。胸のざわめきを天体語に翻訳した。筆致は風、渦はめまい、光は体温。見上げると、世界はまだ回っている。だから、まだ回れる。
岡本太郎が語る《星月夜》

岡本太郎は1971年に刊行された著書『美の呪力』のなかで記している。
ゴッホは絵描きとしてというより、人間として夜だったのだ。今日なおゴッホは我々によるを突きつけている。私は彼の作品を「絵」思って見たことはない。絶望的な呪文、その生々しい傷口。
|
|
もう一枚のゴッホの《星月夜》

- 画題:ローヌ川の星月夜
- 仏題:La Nuit étoilée
- 英題:Starry Night Over the Rhône
- 制作:1888年9月
- 寸法:73cm×92cm
- 所蔵:オルセー美術館(フランス)
《星月夜》より約1年前に描かれた《ローヌ川の星月夜》
こちらの絵には月が出ておらず、《星月夜》のタイトルに正確である。
《星月夜》(1889年)はサン=レミの療養所で描かれた心象風景であるのに対し、《ローヌ川の星月夜》(1888年)はアルル滞在期に実際の川辺から夜空を観察して描いた作品。
《ローヌ川の星月夜》では、水面に映るガス灯の明かりと星の輝きが縦に伸び、静かな都市の夜景が詩的に表現されている。空は深い群青に包まれ、点在する星は小さく、あくまで「現実の空気感」を伝える描写にとどまっている。
一方、《星月夜》の空は現実の観察を超えて渦を巻き、巨大化した星や月が画面の主役となる。観察的な風景画から、精神の内部に広がる宇宙的なイメージへと飛躍している点が決定的な違いである。
《夜のカフェテラス》との比較

- 原題:Place du Forum(フランス語)
- 英題:Terrace of a Café at Night
- 制作:1888年9月16日
- 寸法:80.7 × 65.3 cm
- 所蔵:クレラー・ミュラー美術館(オランダ)
《夜のカフェテラス》(1888年)は、アルルの街角を舞台に描かれた。ガス灯の黄色い光と夜空の星を同じ画面に収め、黒を使わず色彩で夜を描こうとした実験的な作品である。そこには人々の気配や生活の温度が宿っており、都市の夜を「観察的」に切り取った雰囲気が漂う。
それに対し、《星月夜》は人の営みを最小限にとどめ、村の家々は小さく描かれている。主役はあくまで天空であり、渦巻く筆致が夜空全体を支配する。ここでは夜はもはや観察の対象ではなく、画家の内面を映す「心象的」な舞台へと変わっている。
夜の探究シリーズにおける頂点

ゴッホはアルルからサン=レミにかけて、夜をテーマに連作を試みた。《夜のカフェ》《夜のカフェテラス》《ローヌ川の星月夜》といった作品群は、それぞれ都市の不安、街角の光、川辺の詩情を描き分け、夜を「観察の対象」として探究していた。その集大成として登場するのが《星月夜》である。
この作品では、観察を超えて夜を精神世界の象徴に変換し、宇宙的な広がりを持つビジョンとして描き切った。夜を光や空気としてとらえる段階から、夜を「人間の感情や信仰、存在そのものを映す風景」として提示した点において、《星月夜》は夜の探究シリーズの頂点に位置づけられる。
ゴッホのサン=レミ時代
そのほかのゴッホの絵
その他の「いちまいの絵」
日本の美術館ランキング
東京のおすすめ美術館