
- 原題:長岡の花火
- 作者:山下清
- 制作:1950年(昭和25年)
- 寸法:32x44cm
- 技法:貼り絵
- 所蔵:山下清作品管理事務所
放浪の画家・山下清の最高傑作《長岡の花火》。この絵の前に立ったとき、涙が出そうになった。クロード・モネ《印象、日の出》やヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《ドービニーの庭》のときのような感涙が押し寄せてきた。
この絵は半眼で見るとよく分かる。《長岡の花火》は死の世界を描いた絵である。花火の観客は墓場のようであり屍のようであり地蔵のようである。花火が水面に映り舟が浮かぶ信濃川は三途の川。夜空は冥土の世界。そこに儚く燃え尽きようとしている命の炎が花火。3部構成の絵になっており、この世(墓場)、この世とあの世の境(三途の川)、あの世(黄泉の世界)が描かれている。
決して哀しい絵ではない。燃え尽きる瞬間こそが最も生命力に溢れ、命が輝く瞬間である。死は新たな運命が生まれる循環であり、花火とは太陽の誕生である。山下清は花火の本質を色と構図で捉えた。黄泉の世界は黄色の泉と書く。まさに、この絵の世界である。その圧倒的な画力に涙が押し寄せたのだ。
《長岡の花火》は、三途の川に咲く太陽、冥府の祝祭である。
長岡の花火とは

長岡の花火は正式名称「長岡まつり大花火大会」。毎年8月1日から3日に新潟県長岡市で行われる長岡まつりの行事の一つ。前夜祭・昼行事・大花火大会の3つにわかれ、祭りのフィナーレを飾る。秋田県大仙市の「大曲の花火」、茨城県土浦市の「土浦全国花火競技大会」と並び日本三大花火大会に数えられる。始まりは1879(明治12年)で350発の花火が打ち上がった。昭和21年8月1日には前年の長岡空襲を偲び「長岡復興祭」が行われ、今に続いている。
放浪の画家・山下清

1922年(大正11年)3月10日、東京浅草区田中町に生まれ、1971年7月12日に49歳で亡くなった。知的障害児施設である「八幡学園」で「ちぎり紙細工」に出逢い、すでに8歳の頃から花火の絵を描いている。10代の頃から天才性を発揮。ドラマ『裸の大将』や最高傑作《長岡の花火》の影響で、山下清=貼り絵のイメージが強い。しかし、ペン画、油彩画、水彩画など多彩。遺作は《東海道五十三次》の版画である。
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