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100年に一度の「大ゴッホ展」〜夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋、クレラー・ミュラー美術館、全力投球

100年に一度の「大ゴッホ展」〜夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋、クレラー・ミュラー美術館、全力投球

3つの大きな個展が開催される"ゴッホ・イヤー"の2025年。箱根ポーラ美術館の『ゴッホ・インパクト』、大阪市立美術館で幕を開けた『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』、そして大トリを飾るのが神戸市立博物館から始まる『大ゴッホ展』である。

国立クレラー・ミュラー美術館(Kröller-Müller Museum)

2026年と2027年の前期・後期に分け、オランダのクレラー・ミュラー美術館が全面協力し、100点もの作品が来日する。その中には、世界的スーパースター《夜のカフェテラス》も来日する。

大ゴッホ展の魅力

「大ゴッホ展」夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋が来日

100年に一度の大規模開催

大ゴッホ展は、神戸、福島、東京を巡回する。特に神戸は《夜のカフェテラス》を約5ヶ月も展示するので、かなり贅沢な企画展だ。

Ⅰ. 夜のカフェテラス展

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Ⅱ. アルルの跳ね橋展

前期はゴッホの画業の前半を中心にし、後期は晩年の作品を中心に展示する。

《夜のカフェテラス》《アルルの跳ね橋》来日

国立クレラー・ミュラー美術館

《夜のカフェテラス》は《ひまわり》《星月夜》と並ぶ、ゴッホの三大人気作であり、世界的に有名なスーパースター。クレラー・ミュラー美術館にとっては顔であり、野球チームで言えば、四番でエースを1年以上も貸してくれることになる。

アルルの跳ね橋》も同館において、目玉作品。オランダ国外に貸し出されることが非常に稀で、日本での公開は約70年ぶり。この2つを貸してくれるだけでも信じられない協力である。

さらには、《糸杉と星の見える道》も来日するなど、大盤振る舞い。いかに日本とオランダが親密であるかがわかる。

クレラー・ミュラー美術館が全面協力

クレラー・ミュラー美術館の展示(内観)

今回の企画展が凄いのは、オランダのオッテルローにある国立クレラー・ミュラー美術館が全面協力し、モネの作品など含め、なんと100点もの作品が来日すること。

同館の所蔵はゴッホの絵画88点、素描172点なので、ほぼ丸ごと貸してくれるようなもの。《夜のカフェテラス》や《アルルの跳ね橋》以外にも、傑作が多く来日する。

4月にオランダを訪れたときに展示させていなかった作品も多い。こんな機会は滅多にないので、ぜひ一度は観てほしい。

大ゴッホ展の注目絵画(前期)

《夜のカフェテラス》

ゴッホ《夜のカフェテラス》

  • 制作:1888年9月16日
  • 寸法:80.7 × 65.3 cm

ゴッホの中でも最も人気の高い三大作品のひとつ。アルルのカフェの一夜を描いたもので、ゴッホが初めて夜空を「青」で表現した作品でもある。

ゴッホは、夜光浴の画家。夜の光を愛し、その先に訪れる夜明けを見ていた。黄色のガス灯は月のように世界を照らす。ここは宇宙。ゴッホは地上の宇宙を描いた。喧騒ではなく、祈りに似た静けさと光が満ちている。

黄色の光に包まれたテラスは「大丈夫、夜は楽しいものだ」と保証してくれる。星空もまた、その上から同じことを言っている。

この絵は「夜のエンタメ招待状」。外に出る理由がなくても、ゴッホが差し出すこの一枚を見たら、思わず石畳を歩き出したくなる。今夜はまだ始まったばかりだ、と。夜は、カフェから始まる。

《麦わら帽のある静物》

  • 制作:1881年11月-12月
  • 寸法:36.5×53.6 cm

何が貴重って、ゴッホが画業をスタートさせた1881年、20代の作品。

素朴な日用品ばかり。まるで舞台裏。華やかな劇の幕が降りたあと、役者が脱ぎ捨てた小道具が光を浴びている感じ。普段は目に留めない物たちが、絵の中で「俺たちも主役になれるんだ」と主張している。

光の使い方もドラマチックだ。暗い背景からテーブルの上だけがスポットライトを浴びる。おしゃれなインスタ投稿ではなく、むしろシネマのワンシーン。帽子の丸みに沿って柔らかい光が回り込み、壺の縄目までが鮮やかに浮かび上がる。観客は、モノが持つ「存在感」に否応なしに引き込まれる。

この絵は「地味なものをスターにする装置」。役者はいないが、舞台は成立している。生活の余韻や体温が染み込んだ道具たちを前にすると、鑑賞者自身が物語を補完してしまう。帽子を脱いだのは誰なのか、布を投げたのはどんな気分だったのか。描かれていない人間の影が、静物を通して立ち上がってくる。結局、絵の前で立ち止まるのは「物」じゃなく「自分の一日」を覗き見ているからなのだ。

《モンマルトルの丘》

ゴッホ《モンマルトルの丘》

ゴッホの心の奥を覗く重要な絵画が、モンマルトルを描いた作品。

ゴッホがパリに住んで、すぐに描かれたもの。時季は春だが、赤褐色と茶黄色を基調とした落ち着いた秋の色はオランダ時代の色調を思わせる。

構図は安定していて、空と地面のバランスが心地よい。
光の描写に派手さはないが、静けさと確かさがあり、見ていて落ち着く風景画。

《自画像》

ゴッホ《自画像》、クレラー・ミュラー美術館

  • 制作:1887年4月~6月
  • 寸法:32.4 × 24 cm

淡い色彩で描かれた自画像。ゴッホの人柄、春のやさしさが色に出ている。立派な服で凛々しいが、眼が緑色で悲しげ。外見と内面のギャップ。その眼差しは不安げであり、自分は何者なのかを未来の自分を捜索しているようである。2016年の『ゴッホとゴーギャン展』で来日した。

《レストランの内部》

ゴッホ《レストランの内部》

  • 制作:1887年夏
  • 寸法:45.5 cm x 56 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

ゴッホが点描技法を駆使した作品の中で、最もよく知られる一枚。

レストランの室内なのに、音がする。壁紙がしゃべっている。小さな点の合唱が「いらっしゃいませ」とささやき、床の粒がフォークみたいにきらりと鳴る。テーブルクロスはふわっと泡立つメレンゲ、椅子は焼き立てのフィナンシェ色。料理はまだ来ていないのに、もう満腹になりそうな情報量だ。

《日没の柳》

ゴッホ《日没の柳》

  • 制作:1888年3月
  • 寸法:31.6 × 34.3 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

この絵は、太陽をバックにしたライブ会場だ。オレンジ色の夕陽がスポットライトのように空を染め、手前の黒々とした木々がステージに立つシルエットダンサーに見えてくる。枝を広げている様子は、両手を掲げて観客を煽るロックバンドのフロントマン。

これは「黄昏の大合唱」。静かな夕暮れではなく、全員が全力で今日を歌い切ろうとしている時間の記録だ。

大ゴッホ展の注目絵画(後期)

《アルルの跳ね橋》

クレラー・ミュラー美術館のゴッホ《アルルの跳ね橋》

  • 制作:1888年3月
  • 寸法:54 × 64 cm

ゴッホがアルルに到着した翌月、アルル中心部から南西約3キロほどの運河に架かる跳ね橋(ラングロワ橋)を描いた作品。《夜のカフェテラス》と同じく、鮮やかな青と黄の色彩。ゴッホはこの《アルルの跳ね橋》のモチーフに深く魅せられ、油彩で4点、デッサン2点、水彩1点、スケッチ1点を制作した。

ゴッホは、この風景に「完成」よりも「始まり」を見出した。景色の美しさではなく、何かが始まる前の予感に胸を躍らせた。ゴッホは未熟を、未完を、未来を愛し、描くことで祝福した。

《糸杉と星の見える道》

ゴッホ《糸杉と星の見える道》クレラー・ミュラー美術館

  • 制作:1890年5月
  • 寸法:90.6×72 cm

《夜のプロヴァンスの田舎道》とも呼ばれる。糸杉が中央にそびえ立ち、星と月とを分かち合う。それは、夜空と夜道を照らす蝋燭であり、地上から天へと祈りを運ぶ煙突、魂の導管。足元には黄金の麦畑。波打つように道をつくり、波動拳のように曲がりくねって人々を導く。その道を、歩行者と馬車が静かに行き交う。

ゴッホはこの絵に、自らの再出発の意志を込めた。これから新たな道に進もうとしている。道を繕うとしている。糸杉は「人生を縫う糸」。星と月が同時に空に浮かぶのは、新しい朝が始まろうとしているから。ゴッホの次のステージの夜明けである。

大ゴッホ展(前半)・初日レポート

100年に一度の「大ゴッホ展」〜夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋、クレラー・ミュラー美術館、全力投球

2025年9月20日(土)、10時の回を予約。9時30分のチケットは売り切れだった。神戸三宮駅から伸びる京町筋は長蛇の列。多くの係員が整理にあたる。

100年に一度の「大ゴッホ展」〜夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋、クレラー・ミュラー美術館、全力投球

そのおかげで、9時半には入館でき、すぐに展示を観ることができた。こういうアバウトさは大歓迎だ。

100年に一度の「大ゴッホ展」〜夜のカフェテラスとアルルの跳ね橋、クレラー・ミュラー美術館、全力投球

3階の展示からスタートし、2階に降りる。全部で74点と数は多くないが、ゴッホは一枚一枚が力強いので、これくらいでちょうどいい。3階の作品は撮影不可。

3階の見どころ:素描

《庭の片隅》

  • 制作:1881年6月
  • 寸法:44.5 × 56.7 cm
  • 技法:鉛筆、黒ペン、紙

ゴッホは史上最高の素描画家でもある。これがあるから色彩が爆発する。オランダ時代は、基礎工事の時代。《庭の片隅》はゴッホが画業を始めた20代後半の故郷エッテンで描いた一枚。

最初に見ると「ただの庭じゃん」と思う。テーブルと椅子、ベンチ、ぶどう棚。人もいないし、色もついてない。なのに、じっと見ている、何かが起きそうで起きないサスペンス映画のワンシーンみたいにと妙にドキドキしてくる。

秘密はゴッホの線にある。木の幹や枝葉をびっしりと刻み込んで、空気まで密度を帯びさせている。家具の直線と木々の曲線がせめぎ合い、不思議な緊張感を生んでいる。

ベンチや椅子を見ていると「さっきまで誰かが座っていたんじゃないか?」と思えてくる。不在なのに存在を感じさせる。そこがこの素描の面白さだ。

ゴッホといえば鮮やかな色彩が有名だが、その爆発の前には“静かなスリル”が隠れている。

《大工の仕事場と洗濯場》 
  • 制作:1882年5月
  • 寸法:28.6×46.8cm
  • 技法:鉛筆、黒チョーク、黒インクのペンと筆、茶色の淡彩、不透明水彩、ひっかき傷、升目状の跡/簀の目紙

親戚の画家アントン・モーヴに絵を教わっていた頃に描いた素描。画家の仲間から「べらぼうにうまい。見本にしたいくらいだ」と絶賛されている。

遠近法が巧みで、左右に広がる屋根や板塀の線が消失点に向かって収束し、奥行きが強調されている。

線描は力強く、木造の壁のざらつきや地面の湿り気をリアルで輪郭を明快に捉えながらも硬さを感じさせない。板塀の陰影は木の厚みを、地面のかすかなトーンは湿った空気を感じさせる。

人物の配置も巧みで、手前で洗濯をする女性、奥で作業をする人々、それをつなぐ中景の建物と道。遠近のリズムの中で人間の営みが散りばめられており、画面のスケール感を出している。

2階の見どころ:ゴッホ以外の画家

ポール・セザンヌ《湖に続く道》1880年

ポール・セザンヌ《湖に続く道》1880年,クレラー・ミュラー美術館で撮影

2階の展示はゴッホ以外の画家が充実。マネやルノワールも良いが、最も凄いのがセザンヌ。

なんの変哲もない風景なのに、胸を締めつける。一瞬で「旅」に連れて行ってくれる。道は大きくカーブしながら遠くの町へ続き、木々はスクリーンのように視界を区切る。ロードムービーのオープニングカット。

筆のタッチはゴツゴツしているのに、全体は不思議と軽やか。光が差し込む道の上を歩き出したくなる。どこへ続くかわからない、そのワクワク感こそがセザンヌの風景画。

クロード・モネ《水上のアトリエ》1874年

クロード・モネ《水上のアトリエ》1874年,クレラー・ミュラー美術館で撮影

モネは、ただの船を「夢の仕事場」に変える。

緑の小屋が水面に映り、周りの景色もゆらゆらと溶け込む。描く対象と自分が水面を通じて一体化する。まさに“流れるアトリエ”。

見ているだけで、川風を受けながら絵筆を走らせるモネの姿が浮かび、ちょっとした冒険心までくすぐられる。

撮影OKの5枚

《夜のカフェテラス》

《夜のカフェテラス》

最初にラスボス登場。日本の美術館は、何百億円もするゴッホの絵をジュエリーのように扱う。濃紺の壁を背景にして高級感を出す。没入感が出るが、この絵に関しては夜空の青と同調して奥行きがわかりにくい。それに、ゴッホの色彩、開放感は白い壁のほうが合う。オランダはゴッホの絵を「ともだち」感覚で展示し、日本は腫れ物に触るように展示する。

《自画像》

日本に何度も来日している常連さん。ゴッホが「よう来たやん。ゆっくりしていきな」と言っている。ゴッホの生まれ故郷ズンデルトは、オランダ南部「ブラバント方言」で、日本の関西弁に近い。

《レストランの内部》

《レストランの内部》

初めて対面。やっと逢えた。想像したより色彩がおとなしい。難産の点描画なので、完成させることに必死なのだろう。ただし、色の会話はさすが。ミント系の緑とラベンダーの紫が店内の温度を2℃下げ、右手の黄土と相殺して居心地は保っている。

《草地》

  • 制作:1887年4-6月
  • 寸法:30.8 × 39.7 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

パリ時代の一枚。ゴッホは草を描いていない。揺れを描いている。縦に走るタッチは音符みたいで、左から右へサワサワとBGMが流れる。ピンクや黄色が一瞬だけ顔を出し、「次回予告:明日は花が主役です」とウィンクして消える。ストーリーはない。だが、視線を置くたびに“次の一コマ”が始まる。空も人も建物もゼロ。なのに画面の密度は満席。手数の多さがリズムになり、視覚が鼓動を持つ。

《石膏像のある静物》

《石膏像のある静物》

  • 制作:1887年
  • 寸法:55×46cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

パリ時代の静物画。これは机上の三角関係。石膏トルソが台座でポーズを決め、テーブルの上では二冊の本が横恋慕している。黄色は「読め、いま読め」と太陽みたいに主張し、青は「夜に会おう」とささやく。ページの端が風を待っていて、布は波になり、部屋の中なのに風景画。

バラのつぼみは、まだ物語が始まってもいない合図。トルソは口がないから、かわりに筆致が喋る。ザクッ、ザクッ、と。硬い石も、柔らかい布も、同じテンポで音を立てるから、静物なのに静かじゃない。この絵は「読書未遂」のスナップショット。開く前のドキドキごと光に置いてきた。

その他の展示作品

《機織る人》1884年4月-5月

ゴッホ《機織る人》1884年4月-5月

オランダのニュネン村は痩せた土地で農業に適さず、機織りを生業にした人々も多かった。ゴッホは近所の職工を多く描いた。

《機織る人》1884年6月-7月

ゴッホ《機織る人》1884年6月-7月

3つの窓と、明るい景色と室内の暗さの対比。これがレンブラント的だっと思ったと、テオへの手紙に書かれている。ゴッホは、織機を「木の怪物」と呼んだ」らしい。

《鳥の巣》1885年9月-10月

ゴッホ《鳥の巣》1885年9月-10月

オランダのニュネン時代。ゴッホは練習のために鳥の巣を5枚も描いている。静物画よりも、農村にある実際の鳥の巣に惹かれるところがゴッホらしい。テオへの手紙で「鳥の巣」を題材にした絵は売れると思っていたらしい。

《日暮のポプラ並木》1884年10月

ゴッホ《日暮のポプラ並木》クレラー・ミュラー美術館

クレラー・ミュラー美術館は、さらに日暮れが強い。夕陽が人物の背中にあり見守っている。ゴッホは《ひまわり》の影響で夏のイメージが強いが、秋を最も愛した。

《燻製ニシン》1886年 夏

燻製ニシン、通称「ボッキング」は、美しい黄金色で知られ、背景の暗さによって際立たせる。暗褐色を使うのは、「一様に明るい印象派に疑問があったから」と言われるが、そうは思わない。

ゴッホがゴッホになる前の色。背景を黒で塗るアイデンティティ。ニシンは食べたことがないが、父親がニシン蕎麦が好きだった。ニシンはオランダの国民魚であり、オランダの経済の屋台骨。ゴッホは何枚かニシンの絵を描いている。

《ばらとシャクヤク》1886年6月

ゴッホ《ばらとシャクヤク》1886年6月

背景の暗さと花の明るさの対比。徐々にゴッホの色彩が芽吹いている。背景の暗い赤は、ただの壁ではなく舞台の幕のようで、花々を前に押し出す役割を果たしている。花瓶の緑は重たく落ち着き、周囲の葉と溶け合いながらも全体の重心をしっかり支える。バラの花は開ききったもの、まだ蕾のもの、萎れかけたものが同じ空間に並び、そこに時間の流れが見える。

《青い花瓶にいけた花》

ゴッホはパリに来てから黄色、オレンジ、ピンク、柔らかい緑、鮮やかな青など明るい色を使う練習に花を多く描いた。ゴッホの「色彩のオーケストラ」といえる一枚。

青い花瓶は舞台の指揮者のように中央でどっしりと構え、その上から四方に花の音色があふれ出す。花瓶から画面の外へと続いていくような開放感は、見る者に前向きなエネルギーを与える。「生命のファンファーレ」である。

総括

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初日は、整理の行き届いた運営と、観覧者の熱気で充実した空気に包まれていた。展示は全74点と適度なボリュームで、一点一点の密度を堪能できる。特に素描で立ち上がる“沈黙の迫力”と、セザンヌやモネとの比較が光った。

グッズ売り場も大盛況。ミッフィー×ゴッホ人形はひとり5個制限がかかるほどの熱狂ぶりで、スポーツ観戦の応援グッズさながらの盛り上がりを見せていた。

ゴッホの色彩に至る前の静かなサスペンス、ゴッホになる前夜とその爆発を体感させる濃厚な一日となった。

空前絶後のアート本、登場!

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2025年のゴッホ展

『ゴッホ・インパクト』

ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢

ゴッホの炎の人生・画業を完全解説

ゴッホの有名絵画・代表作を完全網羅

オランダのゴッホ美術館の紹介

アムステルダム市立美術館

オランダの美術館

9月に来日するゴッホ《夜のカフェテラス》

ゴッホの花の傑作選

過去のゴッホ展

その他のゴッホ作品

ゴッホに逢える日本の美術館

《ひまわり》

《ドービニーの庭》

《ばら》

《座る農婦》

原田マハの本

ゴッホの映画

日本のおすすめ美術館

東京のおすすめ美術館

妄想ミュージアム『エヴェレスト美術館』