アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

ゴッホのパリ時代〜浮世絵、印象派との出会いと画風の変化

ゴッホ《フェルト帽をかぶった自画像》

ゴッホの画風、色彩が大きく変化するのがパリ時代である。ゴッホは1886年3月1日、夜行列車に乗ってテオのもとへ向かった。勝手にアパートに転がり込み、モンマルトルにあるフェルナン・コルモンの画塾に通う。

テオの紹介でゴーギャン、ロートレック、シニャックなどの画家仲間、画材屋であり画商のタンギー爺さんに出逢い、浮世絵や印象は、ゴッホの画風のお手本となるアドルフ・モンティセリなどに魅了される。ピあらゆる画風を模倣し、徐々にゴッホを確立していく。

ゴッホがパリにやってきた理由

弟のテオを頼って

ゴッホが暮らしたテオのアパート

ゴッホの弟テオは当時、画商ブソッド=ヴァラドン商会(旧グーピル商会)に勤め、印象派や新進作家の動向に通じていた。収入のない兄にとって、テオは住まいと生活費、絵の具やキャンヴァスまで提供してくれる最重要の後ろ盾。

二人はのちにモンマルトルのルピック通り54番地の屋根裏部屋に移り住み、家計をやり繰りしながら制作を続ける。テオは画商としての人脈で展覧会の情報や作品の批評を届け、兄に厳しい助言を与えた。経済的な支援とネットワークの両方を担ったテオの存在が、ゴッホをパリに引き寄せ、約2年の滞在を実りあるものにした。

パリ時代のゴッホの暮らし

モンマルトルの画塾での修行

《モンマルトル、ムーランドラギャレットの裏》

到着後まもなくゴッホはモンマルトルにあったフェルナン・コルモンのアトリエに通い、トゥールーズ=ロートレック、エミール・ベルナールなど同世代の画家と知り合う。点描や補色対比、屋外制作などを吸収し、独学では届かなかった技術と視野を獲得する。カフェや独立展を拠点に流通する新しい絵画の潮流に交わること。それがパリ滞在の核心であり、のちのアルルでの爆発的な制作へと直結する。

《モンマルトル、風車と菜園》

モンマルトルでの生活は質素だが、創作の密度は高かった。風車や採石場が残る丘の上からセーヌに向けてスケッチに出かけ、花の静物を繰り返し描いて色彩の実験を行う。部屋の壁は収集した浮世絵で埋まり、画面の平面性や太い輪郭線、大胆な画面の切り取りを日々研究した。

カフェ「ル・タンブラン」での集い

ゴッホ《カフェ・タンブランの女》1887年、ゴッホ美術館

行きつけのカフェ「ル・タンブラン」では浮世絵の展示を企て、親交を深めた仲間と作品を交換もする。売れ行きは乏しく、金銭的には苦しいままだが、制作の手は止まらない。

《マルメロ、レモン、洋梨、ブドウ》1887年9月、10月

モンマルトルで培われたのは、暗いパレットから明るい補色対比への転換、即物的写実から装飾的構成への移行、そして外光と人工光を自在に扱う感覚である。こうしてパリの2年は、ゴッホの絵画を「前夜」から「始動」へと確実に押し出した時期となった。

ゴッホがパリ時代に出会った芸術家たち

モネやルノワールとの接点

モネ《モナコ近くのコルニッシュ》1884年

クロード・モネ《モナコ近くのコルニッシュ》1884年、アムステルダム国立美術館

パリに到着したゴッホは、モネやルノワールの近作を実見し、明度の高いパレットと屋外の光を受ける色彩処理に衝撃を受ける。直接の親交を示す確かな記録は多くないが、作品との出会いは決定的だった。

オランダ時代の土臭い褐色から脱し、黒を極力避け、補色で陰をつくる方法へと舵を切る。花の静物を量産して配色の実験を行い、モンマルトルの風景でも明るい空気色を画面に満たす。印象派の“瞬間の光”という課題を、自身の激しい筆触と輪郭線へ翻訳したのがこの時期である。

新印象派 ― スーラやシニャックからの刺激

スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1886年頃

1886年5月に開催された第8回印象派展(最後の印象派展)で、ゴッホはジョルジュ・スーラの《グランド・ジャット島の日曜日》やシニャックの点描作品に出会い、色彩理論と分割筆触の可能性を痛感する。のちにシニャックやベルナールとセーヌ川沿いのアニエール周辺で制作し、細かな短いタッチを並置する「分割主義風」の試みを自作に取り入れる。

ただし、ゴッホはスーラの厳密な科学性には従わず、補色の並置や輪郭の強調を残して感情の速度を優先した。アニエールの橋や河畔風景、カフェの看板などに、点描の効果とゴッホ特有のエネルギーがせめぎ合う画面が生まれる。

ロートレックとの交流と友情

ロートレック《ゴッホの肖像》1887年

フェルナン・コルモンの画塾で知り合ったトゥールーズ=ロートレックとは、画学生というより“戦友”に近い関係を築く。二人はモンマルトルの夜の界隈を歩き、カフェやキャバレーで互いの作品を見せ合い、展示も共にした。ロートレックはゴッホの肖像を描いた。友情と刺激が同居する往復運動が、ゴッホのパリ時代を加速させたのである。

画材商タンギー爺さんとの出逢い

1887年冬に描いたタンギー爺さん

パリ時代、ゴッホは画材商ジュリアン・フランソワ・タンギー、通称「タンギー爺さん」とも深く関わった。タンギー爺さんは貧しい画家に画材を分け与える慈愛の人であり、ゴッホにとっても心強い理解者だった。

タンギーの店は若い画家たちの社交場でもあった。映画『炎の人ゴッホ』では、この店でゴーギャンと出逢ったことになっている。

 パリ時代の代表作品

《黒のフェルト帽を被る自画像》

《黒のフェルト帽を被る自画像》

パリに来てすぐに描いた自画像。尊敬していたフランス人の画家モンティセリの肖像を真似た自画像。オランダ時代の暗褐色から、少しずつつ色彩が明るくなる。ゴッホが凄いのは模写力ではなく、共鳴する心の力。リスペクト力。ゴッホの他者愛が表出している自画像。ゴッホはパリ時代だけで27枚もの自画像を描いている。

《靴》

パリの蚤の市でゴッホが買ったものと思われる。大都会にいても、オランダ時代の土と生きる人々を忘れなかった。尊敬するフランソワ・ミレーが木靴で生活していたことを刻んでいた。ゴッホが描きたかったのは靴でもない。生活の足跡でも足音でもない。履き潰した靴を通して「土の生命力」を描こうとした。

《カーネーションをいけた花瓶》

この絵は初めてゴッホの絵に赤と紫が使われた貴重な絵としても知られる。朽ちた花びら。花瓶の背景は黒。ゴッホの絵には死の匂いがある。ゴッホは最も植物の宇宙を感じていた画家のひとり。ゴッホにとって花瓶は酒瓶であり、花は酒だったのかもしれない。テオと、花瓶で心の乾杯をしていたのかもしれない。

《野牡丹とばらのある静物》

パリに来る前、ベルギーの美術学校で学んでいたときに描いた格闘家(レスラー)の絵の上に描いたもの。野牡丹と薔薇は兄弟。前者がゴッホ、薔薇がテオ。ゴッホの心には、いつも弟のテオがいる。兄弟花。この絵を見ているだけで泣けてくる。

《モンマルトルの菜園》

《モンマルトルの菜園》〜ゴッホの風車と郷愁の丘、遠いオランダ

アムステルダム私立美術館の展示

ゴッホの全作品の中で最も大きなサイズの絵画。アムステルダム市立美術館から特別に来日。

大きさに見合うだけの、想いの重みが詰まっている。すべての線が、風車に向かってのびていく。畝も道も、柵も空も、筆の一閃ひとつひとつが、ひとつに収束していく。風車こそがこの風景の中心であり、心の羅針盤。

ゴッホはモンマルトルの丘に立ちながら、目の奥ではオランダを見ていた。乾いた土にスケッチブックを広げる姿は、風と戦うドン・キホーテ。その戦いは誰のためでもなく、自分の中の“原風景”と向き合うための旅。

ここには、静けさと懐かしさ、そして風の音がある。色彩は震え、筆致はざわめき、すべてが郷愁を語っている。モンマルトルの風に乗せて届いた、ゴッホからの手紙。

《青い花瓶にいけた花》

パリ滞在2年目になって、かなり色彩が明るくなる。黄色、オレンジ、ピンク、柔らかい緑、鮮やかな青など、かなり明るい色を使って花を描いた。多彩をマスターしている。相当の修練を積んだことが見える一枚。

《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》

《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》ゴッホとの出逢い、原点の色

  • 制作:1887年(夏)パリ
  • 寸法:54.5×65.5cm
  • 所蔵:オルセー美術館(フランス)

パリ郊外、セーヌ河畔の町アニエール。ゴッホが南仏アルルへ旅立つ前、幾度も足を運んだレストラン。《シレーヌ》は、伝説の人魚の名。

薄塗りの色彩、細かい筆触、空気のように柔らかな点描。

明瞭な輪郭も写実的な風景もない。その瞬間、その空気、その場にいたという感触。記憶を絵筆に託している。ある意味で、ゴッホによる印象派への応答。自らの感情を風景に染み込ませ、“見る”、“感じる”を一枚のタブローに宿す。

ゴッホの色といえば、黄、青、緑、赤などが有名だが、<白>はゴッホの色。白は何色にも染まれる。何者にでもなれる。白は、始まりであり終わり。ゴッホの白は、無限の色。白は城。「アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ」はゴッホの城なのだ。

《レストランの内部》

ゴッホ《レストランの内部》

ゴッホが点描技法を駆使した作品の中で、最もよく知られる一枚。

人影のない静かなレストランの室内。窓もドアも見えず、空間は閉ざされ、凝縮した空間を創る。が壁には、ゴッホ自身が描いた《アニエールのボワイエ・ダルジャンソン公園の小道》が掛けられており、開放的な風景が、閉ざされた部屋に“窓”を開いている。

白いテーブルクロスは舞台衣装のドレスのように、壁に掛けられた絵画は緞帳のように、そして花瓶の花は踊り子たちのように、椅子がタップダンスをする。静止した室内を、ゴッホは舞台へと変え、風景をダンサーへと変える。止まった光景を、生き生きと踊らせる。

《タンギー爺さん》

ゴッホ《タンギー爺さん》

  • 制作:1887年夏
  • 寸法:92 cm × 75 cm
  • 所蔵:ロダン美術館(フランス)

世界で最も有名な「おじいさん」の肖像画。誰も会ったことがないのに、誰もが親しみを持つ。

浮世絵の色彩は明るく、線に圧がない。観る者の気分を華やぎ、ホッと安心させてくれる。ゴッホにとって、タンギー爺さんは、そんな存在だったのではないか。

そして、もうひとつ。麦わら帽子。タンギー爺さんのものか、ゴッホのものかは知らない。その麦わら帽子の柔らかい印象が、人柄をより温かく見せている。ゴッホの愛情が滲んでいる。

《種をつけた4本のヒマワリ》

クレラー・ミュラー美術館にある《ひまわり》

ゴッホの絵画で最も有名なひとつ《ひまわり》はアルルで描かれたが、引っ越し前のパリ時代に4枚の《切ったひまわり》の連作を描いている。

恐竜のような迫力、動物よりも凄い生命力。その迫力に圧倒されるとともに、それだけ力強く描くゴッホの植物への愛情が見える大傑作。花瓶に活けられた《ひまわり》が「ヒマワリ」というポップさがあるなら、こちらは漢字の「向日葵」を感じさせる。

《梅の開花》

梅の開花(広重を模して)1​​887年10月- 11月

ゴッホが最初に模写をした浮世。広重の《名所江戸百景 亀戸梅屋敷》をモチーフにした作品。赤や緑、青を鮮烈に対比させ、浮世絵の色彩感覚を徹底的に自分のものとしようとした。西洋画では珍しい極端な色のコントラストを実験する場でもあり、後のアルル時代の《ひまわり》や《糸杉》の強烈な色彩に通じる要素がここに芽生えている。

拙さはあるものの、丁寧に漢字を書いているところにゴッホらしさがある。単に技法を真似るためではなく、そこには大きな敬意が込められている。純粋に「好きなものへ近づきたい」という気持ちの表れだ。それは、野球少年がイチローの振り子打法を真似るような、憧れの塊でもある。だからこそ、その姿勢がやがて夜空を青く染めるゴッホ独自の色彩表現へとつながっていく。

《イーゼルの前の自画像》

ゴッホ美術館の自画像  《イーゼルの前の自画像》

アルルに旅立つ前、パリで描いた最後の自画像。パリ時代にゴッホが描いた自画像の最高傑作。

色は鮮やか。服も顔も背景も、すべてが微細に震えている。一番強く発光してるのは、その眼。見つめているのは目の前の鏡ではなく、遠くの光。まだ描かれていないカンヴァスを、まだ知らぬ南仏の太陽を、まだ出会っていない誰かの心を。

筆を持つ手は静かに、強く握られている。髪の色とイーゼルの木目が、祝福のように呼応して光っている。髪とイーゼルの色が、輝けるアートを生み出す祝福の光源である。

日本の美術館にあるパリ時代のゴッホ作品

《石膏トルソ(女)》

ゴッホ《石膏トルソ(女)》1887年-1888年

  • 制作:1887~1888年
  • 寸法:73.4×54.4cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:メナード美術館

モンマルトルにある画塾で描いたと思われる一枚。青のグラデーションが素晴らしい。ゴッホが形ではなく、色彩の画家であることがわかる。

《モンマルトルの風車》

《モンマルトルの風車》

花の都の喧騒から少し離れた丘の上。そこにあったのは、街ではなく風車。ゴッホはこの場所を好んだ。華やかな都会に背を向け、風の抜ける土のにおいに惹かれていた。

風車は回っているようで、止まっている。動きがなくても、時間が流れている。その静けさのなかに、故郷オランダの影がうっすら重なる。見ているのはモンマルトル、心のなかにはオランダの風が吹いている。

《燻製ニシンとニンニクのある静物》

《燻製ニシンとニンニクのある静物》

3匹の燻製魚とニンニクの球根。燻製ニシンは、通称「ボッキング」と呼ばれる。

パリ時代からアルル時代への橋渡し

ゴッホ《花魁(遊女)》1​​887年10月- 11月、ゴッホ美術館

1886年3月にパリへ移ったゴッホは、1888年2月に南仏アルルへ向かうまでの約2年間で、画家としての基礎体力と新しい武器を一気に手にした。オランダ時代の暗い土色のパレットから、強い補色対比と太い筆触。その転換は偶然ではなく、出会い・学び・実験の連鎖が生んだ必然だった。

色彩理論(ドラクロワやシェヴルールの補色対比)を意識して制作に反映。アニエール界隈でのセーヌ河畔の風景、花の静物、自画像の連作などで、短いストロークと点描的タッチ、明るい黄・橙・青の組み合わせを実験的に繰り返す。パリでの2年は、技術を吸収し自分の語法へ翻訳するための“試運転期”だった。

浮世絵に魅了され、歌川広重の版画を多数収集・模写した。画面の大胆なトリミング、平面的な色面、力強い輪郭線、影の省略。これら“ジャポニスム”の語彙を、印象派から学んだ自然光の観察と結びつけ、独自の装飾性へと昇華していく。分割主義の点描は、やがてゴッホ特有の“生きた筆致”へと変化する。機械的な点の集積ではなく、感情のリズムを刻む線とタッチ。その萌芽がパリ後期の作品に現れる。

「ゴッホらしさ」が芽吹いた時代

ゴッホのパリ時代〜浮世絵、印象派との出会いと画風の変化

パリでの課題は明確だった。色で語ること、タッチで情感を刻むこと、そして主題を自分の物語にすること。花の静物は色の競演の舞台となり、自画像は内面の緊張と野心を映す鏡になった。背景と衣服に補色をぶつける、輪郭を意図的に強調する、厚塗りで素材感を前に押し出す。後年アルルで爆発する語法が、ここで芽を出している。パリは“学びの場所”であると同時に、“ゴッホになるための助走路”だった。

1888年2月、ゴッホはアルルへ。パリで身につけた明度の高いパレットは、プロヴァンスの強烈な日差しによって一段と先鋭化する。果樹園の花、刈り入れの畑、夜のカフェ、ローヌ川の星空、そして《ひまわり》へ。

ゴッホの花の傑作選

ゴッホの自画像

ゴッホと浮世絵

ゴッホのオランダ時代

ゴッホのベルギー時代

ゴッホ展

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