アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

ゴッホ:孤独の花束、魂が咲いた花の絵画たち

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》

ゴッホの最も有名な絵画、ゴッホの最高傑作、どちらも花の絵画である。花の絵が静物画の主題になってくるのは、17世紀オランダ黄金時代の絵画から。ゴッホはオランダ人としての遺伝子を受け継いだ。

ゴッホは生涯で花の静物画(花瓶に生けられた花)を約40枚描いた。本当は人物画を描きたかった。しかし、モデル料を払えず、仕方なく花の絵を描いた。

ゴッホが裕福で花の絵を練習していなければ、《ひまわり》や《アイリス》や《花咲くアーモンドの木の枝》も、傑作になっていなかったかもしれない。「貧乏」が歴史に残る花の絵画を生み出したとすれば、人間の運命は皮肉である。

なぜ、ゴッホの「花の絵」は感動するのか? その意味を、花の傑作たちを紹介しながら旅をしていきたい。

オランダ時代

《チューリップ畑》

ゴッホ《チューリップ畑》1883年4月

  • 制作:1883年4月
  • 寸法:48 cm × 65 cm
  • 所蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー(米国)

ゴッホが花の絵を描いた最初期の作品と思われる一枚。オランダ時代にゴッホが描いた花の絵は、5点ほどしか確認されていない。この絵は、デン・ハーグで修行していた頃のもので、オランダの象徴とも言えるチューリップが描かれている。

チューリップをアップではなく、風景画として描いた。畑には一人の男性が歩いており、チューリップを見つめている。空は厚い雲に覆われ、周囲には寂しげな農村風景が広がる。色とりどりの明るいチューリップが描かれているにもかかわらず、カンヴァスを覆っているのは「孤独」である。

子どもが描いたような素朴さを持ちながらも、オランダの風土を通して、ゴッホは心象を描いた。

パリ時代

ゴッホはパリ時代の2年間で、花の静物画を45点ほど描いている。主には技法やデッサンの練習のためだが、この修行が、大傑作を生み出す着火剤となる。

《カーネーションをいけた花瓶》

この絵は初めてゴッホの絵に赤と紫が使われた貴重な絵としても知られる。朽ちた花びら。花瓶の背景は黒。ゴッホの絵には死の匂いがある。ゴッホは最も植物の宇宙を感じていた画家のひとり。ゴッホにとって花瓶は酒瓶であり、花は酒だったのかもしれない。テオと、花瓶で心の乾杯をしていたのかもしれない。

《ばらとシャクヤク》

ゴッホ《ばらとシャクヤク》1886年6月

パリ滞在1年目の夏。まだ色彩は明るくない。だが、徐々にゴッホの色彩と厚塗りのタッチが芽吹いている。ゴッホの花は「美」よりも「強さ」が前面に来る。そこが他の画家と違い、惹きつけられる要因になっている。

《野牡丹とばらのある静物》

パリに来る前、ベルギーの美術学校で学んでいたときに描いた格闘家(レスラー)の絵の上に描いたもの。野牡丹と薔薇は兄弟。前者がゴッホ、薔薇がテオ。ゴッホの心には、いつも弟のテオがいる。兄弟花。この絵を見ているだけで泣けてくる。

《青い花瓶にいけた花》

パリ滞在2年目になって、かなり色彩が明るくなる。黄色、オレンジ、ピンク、柔らかい緑、鮮やかな青など、かなり明るい色を使って花を描いた。多彩をマスターしている。相当の修練を積んだことが見える一枚。

《種をつけた4本のヒマワリ》

クレラー・ミュラー美術館にある《ひまわり》

パリ時代の花の最高傑作。ゴッホは《切ったひまわり》の連作を4枚描いた。

恐竜のような迫力、動物よりも凄い生命力。その迫力に圧倒されるとともに、それだけ力強く描くゴッホの植物への愛情が見える大傑作。花瓶に活けられた《ひまわり》が「ヒマワリ」というポップさがあるなら、こちらは漢字の「向日葵」を感じさせる。

アルル時代

「黄色の時代」と呼ばれるアルル滞在中に、ゴッホは最も有名な花の絵を描く。

《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》

《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》1888年3月

  • 制作:1888年3月
  • 寸法:24.5 cm x 19.5 cm
  • 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)

ゴッホがアルルに到着したとき、地面にはまだ雪が残っていた。寒さに負けず咲くアーモンドに感動し、花瓶にいけた。ゴッホの慈しみが溢れる一枚。背景の赤の線がアーモンドの力強さを強調している。

《ひまわり》

  • 制作:1888年11月-12月
  • 寸法:100.5×76.5
  • 所蔵:SOMPO美術館

1888年、アルルで描かれた一枚。額縁を完全に忘れさせる圧倒的な存在感。あとから額縁があったことを思い出した。世界に7点ある《ひまわり》の中でも最高傑作。

ひまわりや桜を花瓶に生けたゴッホ。きっと花も野菜と同じ「収穫するもの」なのだろう。ゴッホは土を生きる。画家というより彫刻家に近い。植物と遊び、花を彫刻してから絵を描く。

ゴッホの《ひまわり》を「自画像である」と言った人がいた。その感覚も好きだが、顔ではなく男根、逸物だと思っている。これは射精を描いた絵画であり、ゴッホの中で最も<性>が爆殺している絵だ。ゴッホの魂の精液が、遺伝子があらゆる方向に飛散している。ゴッホの作品の中でも、最も生命力が強く、人を惹きつける磁力を持っている。

《ひまわり(ゴッホ美術館)》

ファン・ゴッホ美術館の《ひまわり》

アムステルダムにあるゴッホ美術館の所蔵。唯一、ゴッホの祖国にある《ひまわり》であり、色彩が最も明るい。

1889年1月に描かれたと思われ、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の作品かSOMPO美術館のものを描き直した一枚と思われる。

“黄色の交響曲”とも呼べる色彩の統一美。背景・花・花瓶のすべてが黄色〜黄土色系の色彩で統一されている。

サン=レミ時代

ゴッホは1889年5月からサン=レミで1年間、療養院生活をする。苦悶の暮らしなかでゴッホは己の中に棲む怪物を解放し、ゴッホの最高傑作を描いている。

《ばら》

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《ばら》1889年、国立西洋美術

原田マハ《常設展示室》にも登場する一枚。少し筆が死んでいるが、そこに味が出ている。地面の緑は濁流の川、ばらの花はゴッホの涙。荒れた地面に咲く薔薇を、ゴッホは美しく描かない。自分を重ね合わせ、正直に描いた。ゴッホに捧げる献花。

《アイリス》

ゴッホ《アイリス》に宿る決意〜再生と闘志の花、、孤独の剣

  • 制作:1889年5月
  • 寸法:71 cm ×93 cm
  • 所蔵: J・ポール・ゲティ美術館(アメリカ)

ゴッホが療養していたサン=レミの精神病院の庭に咲いていたアイリスを描いた一枚。ロサンゼルスにある J・ポール・ゲティ美術館が所蔵。

1987年11月11日、ニューヨークのサザビーズで開催されたオークションで、当時の史上最高額となる5,390万ドル(約72億円)で落札され有名になった。

深い青と紫の花びらが重なり合い、豊かな緑の葉、赤みを帯びたオレンジの土、背景に咲く黄色い花々、画面は色彩に満ちている。そして左端に一輪だけ咲く白いアイリス。

水は描かれていないが、モネ《睡蓮》のような、三途の川を連想させる雰囲気が漂っている。視線は右下から左上へと運ばれ、風が吹いているようにも、巡礼のようにも見える。鋭く伸びる茎が刃のように空気を切り裂き、「騎士の花」と呼ばれるにふさわしい力強さを持っている。ゴッホは、《糸杉》と同じく、自分もそうありたいと願いを重ねたの。柔らかくも張り詰めた絵には、静かな意志と祈りが込められている。

《花咲くアーモンドの木の枝》

花咲くアーモンドの木の枝

  • 制作:1890年2月
  • 寸法:73.3 cm x 92.4 cm
  • 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)

花の絵だけでなく、すべてのゴッホの絵画の最高傑作。

1890年2月、ゴッホがサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院で療養していたとき、パリに住んでいた弟テオに長男が生まれたのを祝して贈った。

ゴッホは色に祝福を灯した。生まれてきた子が最初に贈られるプレゼントは「愛」、次に「世界」。背景の青空が現世。可憐な白い花たちは産声という名の歌声。ゴツゴツした不器用な枝はゴッホの手。新しい生命を包み込み守る手。

ゴッホは甥っ子に「世界」をプレゼントした。「この世界で力強く、やさしく生きてゆくんだよ」というメッセージを込めて。

《アイリス(花瓶)》

ゴッホ、《アイリス》

  • 制作:1890年5月
  • 寸法:92.7 cm x 73.9 cm
  • 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)

1890年5月にサン=レミを離れる前に描いた一枚。紫、緑、黄色。ゴッホの色彩によるベストアルバム。花びらには柔らかさがなく、刃のように鋭い。花瓶の横には、うつむいた一本の花が添えられ、鋭利なものの儚さを宿す。

花瓶、背景、卓上まで、すべてが黄色で統一されており、黄金の交響曲。その中に咲く紫のアイリスは、高貴で凛とした存在。《ひまわり》が孤独を照らす照明、《アイリス》は、孤独と戦う決意である。

オーヴェル時代

1890年5月から約70日間を過ごしたゴッホ終焉の地。精神科医ガシェの庭や室内などにある花の絵を多く描いた。

《アザミの花》

ゴッホ《アザミの花》1890年6月

ゴッホが亡くなる前月に描かれた、最期に描いた花の絵のひとつ。《ひまわり》と《アザミの花》が日本にあるのは大きな幸福。

絵の具は大胆に盛られ、少し乱暴。ゴツゴツして鋭利なのに、その荒々しさが、優しさで満ちている。不器用で、あたたかい。ゴッホの絵筆は世界一やさしい刃物。

アザミの花はキリスト教では「聖花」とされるが、ゴルゴダの丘で十字架に架けられるキリスト(ゴッホ自身)を、花が包容しているように見える。ゴッホは棘さえも抱擁に変える。

ゴッホが花を描く意味

『ゴッホと静物画展』SOMPO美術館、画布に咲いた人生、弟テオへのラブレター

画家が花の絵を多く描くことは、大いなる効果がある。花は形状、色彩、質感が多様であるため、観察力と描写力を高める訓練材料となる。

花のモチーフは国境を越え、文化や時代を問わず、多くの人に感動を与える力を持っているため、画家が自らの感性を通して花を描くことは、他者との美的な共鳴を生み出す手段にもなる。

「美術」という観点から見れば、花を描くことは「自然の美を人間の感性で再構築する行為」になる。花は、命のは儚さや再生、四季の移ろいを内包し、画家は哲学的・詩的なテーマにアプローチすることができる。

ゴッホにとって、花は単なる静物ではなく、感情と運命を託すための「もうひとつの自画像」だった。経済的な理由で始まった花の絵は、やがて美術人生の核心となり、時に祝福を、時に祈りを、時に絶望の叫びを描き出した。

描くことは贈ること。弟テオへの想い、甥への祝福、自身の孤独や葛藤。それらすべてを、ゴッホは花に託した。愛する人に花を贈るように。

ゴッホの花は、観る者の胸に残る。それは、誰かを想う強さそのものだからである。

ゴッホは花よりも、花を咲かせる土を愛した。だから、ゴッホの花には、やさしさが描かれている。

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ゴッホのサン=レミ時代

ゴッホの花の絵たち

花の絵画の傑作たち

ゴッホに逢える日本の美術館

《ひまわり》

《ドービニーの庭》

《ばら》

《座る農婦》

過去のゴッホ展

オランダ黄金の美術館

原田マハの本

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