アートの聖書

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フェルメール《牛乳を注ぐ女》ミルクを注ぐ手が、世界を動かす

フェルメール《牛乳を注ぐ女》牛乳を注ぐ手が、世界を動かす

  • 原題:Het melkmeisje(オランダ語)
  • 邦題:牛乳を注ぐ女
  • 作者:ヨハネス・フェルメール
  • 制作:1658〜1659年頃
  • 寸法:45.5cm × 横41cm
  • 技法:カンヴァス、油彩
  • 所蔵:アムステルダム国立美術館(オランダ)

フェルメールが26歳前後に手がけた初期の最高傑作。オランダのアムステルダム国立美術館に所蔵され、同館でレンブラント《夜警》と並ぶ人気を誇る。

絵に描かれるのは、メイド(使用人)らしき女性が静かに陶器に牛乳を注ぐ一瞬。何気ない日常の風景を、俳句や茶道のように切り取り、静かな詩情を宿らせる。フェルメールの美学を象徴する一枚。

X 線による調査の結果、当初フェルメールは足温器のある位置に洗濯物が入ったバスケットを描いていた。

日光に照らし出された部分を表現するために、パンはポワティエという点描技法で描き、細かい筆運びを用いている。

背景は少し暗めに描き、右の腕をハイライトを用いて明るく描いている。からバッジョなどから影響を受けた明暗法を駆使している。

当初、壁には地図が貼られていたが、背景の壁を白に修正したことで、黄色と青が発光するように映った。

絵画レビュー:《牛乳を注ぐ女》

フェルメール《牛乳を注ぐ女》

美しいわけでもない。目を奪う特徴もない。素朴な額縁に包まれた女性に、なぜか心が引き寄せられてしまう。

窓から注ぐ柔らかな光が、静かに部屋を満たす。それは、日常を包む祝光。ただの家事の一場面にすぎないのに、千利休が茶室で客人をもてなす侘び寂びがある。牛乳を注ぐことは、日常に光を注ぐこと。

エプロンに染められたウルトラマリン(フェルメール・ブルー)にはっと息を呑み、そのまま視線を上げると、慈しみに満ちた表情に出会う。本人にとっては煩わしい家事かもしれない。それでもフェルメールは、その何気ない瞬間に、そっと愛と母性を宿らせる。

手元の牛乳に視線を移すと、その指先が、今にも動き出しそうに見えてくる。フェルメールの作品のなかでも、《牛乳を注ぐ女》は特別な生命の息吹がある。

牛乳を注ぎ、陽光を注ぎ、愛情を注ぐ。その静かな営みのなかに、確かに世界は生きている。何も起きない時間が、この上なく美しい。フェルメールは、その奇跡を知っている。ふと、松尾芭蕉の一句が浮かんだ。

朝茶飲む 僧静かなり 菊の花

もう一つのレビュー:家事の皮をかぶった宇宙

フェルメールの代表作といえば《真珠の耳飾りの少女》が人気だが、真の“フェルメール沼”はこの《牛乳を注ぐ女》から始まる。なぜなら、家事が、ここまで神々しく見える絵、他にない。

まず注目してほしいのは、牛乳の注ぎ方。

もうね、プロすぎる。静かに、ゆっくり、集中120%。おそらく頭の中はこうだろう。

「一滴でもこぼしたらフェルメール様に消される」

それくらいの張りつめた空気がある。

実際フェルメールは、この牛乳の“流れ”を描くために光の角度をミリ単位で調整し、顔料を数層にわたって重ね、スローモーション動画みたいに演出している。

この牛乳、静止して見えるのに「音」がする。

トロ…ッ、コトン…みたいな音。

絵なのに音が補完される。フェルメールは画家じゃなくて特殊効果班だったのか?

テーブルの上のパン、見てほしい。この存在感、もはやラスクの総選挙優勝者。

ザクッ、ボロッという食感が視覚から伝わってくる。絵なのに、香ばしい匂いすら漂ってくる。フェルメールは嗅覚まで描いたのか?

テーブルクロスの青もすごい。光を吸い込みながら反射するという矛盾した仕事をしている。まるで青いブラックホール。フェルメールは、重力まで調整している。

この絵をじっと見ていると、なぜか部屋の空気が冷たい。朝のひんやりした湿度。窓際にいる感じ。あれ…? と思って目をこする。でも絵だ。

フェルメールは「湿度」まで描く画家。気象現象をカンヴァスに閉じ込めてる。

女は微動だにしない。目線は牛乳に集中。こちらを完全に無視している。それなのに、なぜか言われた気がする。

「あなた、ちゃんと生きてる?」

この問いが重すぎる。朝ごはん作ってるだけで人生相談してくる女、強すぎる。

フェルメールが描いたのは単なる日常の一瞬。なのにその一瞬が、宇宙規模の尊さ宗教画級の神聖、映画級の演出で迫ってくる。

《牛乳を注ぐ女》は、“世界で最も静かなビッグバン”。

家事をしてるだけの女性が、光を浴びて、世界を救っている。

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アムステルダム国立美術館の展示

フェルメール《牛乳を注ぐ女》

アムステルダム国立美術館の2階「1600年代」の「名誉の間(Gallery of Honour)」フロアにあり、レンブラントの隣に飾られている。

《牛乳を注ぐ女》のモデルと背景にある生活

モデルは実在か、架空か?

《牛乳を注ぐ女》に描かれた女性が誰であるのかは、今もはっきりとは分かっていない。フェルメールの妻カタリーナやその周囲の女性たちをモデルにした可能性も指摘されているが、確証はない。むしろ、特定の人物というよりも「理想化された市井の女中像」と見るのが妥当だとも考えられている。

フェルメールの家庭やデルフトの市民文化との関係

フェルメールはデルフトという小都市で生涯のほとんどを過ごした。家は大きな家庭で、子どもも多く、家事を担う女中がいた可能性は高い。つまり、《牛乳を注ぐ女》に描かれた光景は、画家の身近な生活に根ざしたものであったと考えられる。

また、17世紀のオランダ市民社会では「家事に勤しむ女性」は家庭の徳を体現する象徴とされていた。そのため、この作品は単に生活を切り取った写実的な絵ではなく、当時の市民文化や価値観を反映したものでもある。

《真珠の耳飾りの少女》など他の名作との比較

マウリッツハイス美術館の展示

フェルメールの代表作《真珠の耳飾りの少女》は、人物を正面からとらえた「トローニー(肖像画風の習作)」であり、モデルの美しさと神秘的な光の表現で知られる。一方、《牛乳を注ぐ女》は家事に従事する無名の女中を描いたものであり、華やかな魅力や象徴性よりも、日常の営みそのものがテーマとなっている。

両者を比較すると、フェルメールの幅広い表現力が浮かび上がる。《真珠の耳飾りの少女》が観る者に「永遠の瞬間」を託す作品であるなら、《牛乳を注ぐ女》は「普遍的な日常の美」を静かに示しているのである。

アムステルダム国立美術館の絵画

フェルメール《青衣の女》16663年頃、アムステルダム国立美術館

《青衣の女》1663年頃

フェルメールは、当時、金(ゴールド)よりも高価だったラピスラズリからウルトラマリンの青を使った。裕福だったわけではない。それでも最高の絵画を生み出すために、出費を惜しまなかった。そこにフェルメールの凄みがある。

フェルメール《小路》1658年頃、アムステルダム国立美術館

《小路》1658年頃

フェルメールの2点しかない屋外風景画。20代半ばの作品で、《牛乳を注ぐ女》や《窓辺で手紙を読む女》と並ぶ初期のマスターピース。その後の《デルフトの眺望》につながる。2015年、アムステルダム大学の研究で、デルフトのフラミング通りにある40番地および 42 番地だったことが特定された。右側の家は フェルメールの叔母にあたる、未亡人のアーリアエントゲン クラース ファン デア ミンネの家であることも分かっている。

フェルメール《恋文》1669〜1671年年頃、アムステルダム国立美術館

《恋文》1669〜1671年頃

フェルメールの作品の中でも、《牛乳を注ぐ女》の前は人だかり。別格の人気を誇る。

 

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フェルメールに通じるダリの一枚

フェルメールの<いちまいの絵>

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