アートの聖書

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ゴッホ《黄色い家》〜陽だまりに立つ孤独、夢は地面からはじまる

ゴッホ《黄色い家》1888年9月

  • 原題:The Street(The Yellow House)
  • 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
  • 制作:1888年9月
  • 寸法:76 cm × 94 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)

「黄色い家」として親しまれている代表作。ただし、ゴッホ自身はタイトルを「The Street(通り)」としており、家ではなく、大通りを描いた絵。ただし、「黄色い家」のほうがチャーミングで愛嬌がある。

黄色い家は、1888年5月1日にゴッホが借りたフランスのアルルにあるラマルティーヌ広場2丁目の右角にあった4フロアの家屋。

《アルルの寝室》ゴッホの夢の中へ

2階が有名な《アルルの寝室》。1階がキッチンとアトリエ。《ゴーギャンの椅子》も置いてあった。

ゴッホ《夜のカフェ》1888年9月

黄色い家の隣がレストランで、ゴッホは毎日のように食事をした。その内部は《夜のカフェ》という絵画で描かれている。

ゴッホの友人であった郵便配達夫ジョセフ・ルーランの家は2つ目の鉄道橋のすぐ向こうにあった。

1888年9月に描かれた「黄色い家」の水彩画、ゴッホ美術館

1888年9月に描かれた「黄色い家」の水彩画、ゴッホ美術館

家全体が黄色かったというより、ゴッホはテオに「陽光で黄色になる家と背景の新鮮な青色の対比が素晴らしい」と手紙に書いている。

テオに送った「黄色い家」のスケッチ画、

家賃は月に15フランで、中古家具屋からベッド、椅子、テーブル、鏡などをテオが購入。10月からはゴーギャンも9週間だけ住んだ。

絵画レビュー:ゴッホ《黄色い家》

ゴッホ《黄色い家》1888年9月

ゴッホがアルルで過ごした「黄色の時代」を象徴する一枚。この絵の本質は、家の外観でも、遠近法の巧みさでも、青空の鮮やかさでもない。

「地面の黄色」

この黄色の道は、ただの背景ではない。うねり、隆起し、生き物のように動いている。ゴッホが立ち、夢を抱き、孤独と戦ったアルルの大地そのものが、ここに在る。空が天の感情を映すように、地面はゴッホの精神を映している。

どれほど美しく設計された建築も、土台が脆ければ崩れてしまう。芸術も同じ。テクニックや装飾ではなく、根っこを、基礎を築けるかどうか。

ゴッホの凄さは、デザイナーのような洗練された美的センスではない。絵画という「建物」の足元を掘り下げ、根源的な大地を描けること。

《黄色い家》は、ゴッホの基礎工事の高さを脈打っている。

現代における「黄色い家」

戦争で破壊された経緯

ゴッホが暮らし、夢を託した黄色い家そのものは、第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、現在は残っていない。実在した場所の多くは都市開発や戦災によって失われ、絵画の中にしかその姿をとどめていない。

現在のアルルで残る痕跡(記念碑やプレート)

しかし、黄色い家のあった場所は特定されており、現地にはその痕跡を伝える記念碑やプレートが設置されている。訪れる人々はゴッホが立っていたであろう視点から街を眺め、彼の作品に描かれた風景を重ね合わせることができる。

観光で訪れる人々が辿る「ゴッホゆかりの地」

アルルは今もゴッホゆかりの観光地として人気を集めている。黄色い家跡地だけでなく、《夜のカフェテラス》を描いたカフェや《アルルの跳ね橋》の舞台も点在し、街全体が「ゴッホ美術館」といえるほどだ。観光客は絵画と現実の風景を行き来しながら、ゴッホが追い求めた光と色彩の世界を追体験することができる。

ゴーギャンとの共同生活計画

芸術家共同体を夢見たゴッホ

ゴッホはアルルに移住した1888年、芸術家が共に生活し制作を行う「共同体」を夢見ていた。孤独を抱えながら絵画に没頭していたゴッホにとって、仲間と支え合う環境は切実な願いだった。とりわけ南フランスの強烈な光と色彩に恵まれたアルルは、新しい芸術を育む理想の地と映った。

黄色い家を拠点にゴーギャンを招いた背景

その夢を実現するための拠点が「黄色い家」だった。アルルのラマルティーヌ広場に建っていたこの家をゴッホは借り、自らのアトリエ兼住居とした。そこにかねてから親交のあった画家ポール・ゴーギャンを招き、共に制作することを計画したのである。ゴッホはひまわりの連作を描いてゴーギャンの部屋を飾り、到着を心待ちにしていた。

共同生活の始まりと衝突、破綻へ

1888年10月、ゴーギャンはアルルに到着し、二人の共同生活が始まった。当初は互いに刺激を受けながら制作を進めたが、次第に価値観や性格の違いが衝突を生む。ゴッホは感情を爆発させやすく、ゴーギャンは理知的で冷静だったため、議論は激化した。やがて緊張は耐え難いものとなり、12月には有名な「耳切り事件」が起こる。ゴーギャンはアルルを去り、ゴッホの夢見た共同体はわずか2か月で崩壊した。

《公園の小道》

ゴッホ《公園の小道》1888年9月

黄色い家の向かいにあるラマルティーヌ広場の市立公園を描いた一枚。クレラー・ミュラー美術館の所蔵。公園に対するゴッホの親しみや温かさが伝わってくる。心が安らぐ日常の風景だったのだろう。

ポール・シニャックが描いた《ゴッホの家》

ポール・シニャックが描いた《ゴッホの家》

ゴッホと親しかったポール・シニャックが1932年に描いた《ゴッホの家》。黄色い家に住むことは断ったが、耳切り事件のあとに見舞いで訪れている。ゴッホの死後42年後。偲んで描いたのだろうか。

《黄色い家》の2階の部屋《アルルの寝室》

ゴッホがゴーギャンのために買った椅子

ゴッホいちまいの絵

ゴッホに逢える日本の美術館

《ひまわり》

《ドービニーの庭》

《ばら》

《座る農婦》

過去のゴッホ展

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