アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)世界が愛し、オランダ・アムステルダムが敬う

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

ゴッホやフェルメールが圧倒的な人気を誇る日本において、控えめな存在感のレンブラント・ファン・レイン。世界最高の画家の筆頭に挙がるにも関わらず、庶民的な絵が少ないこともあり、日本では美術好きくらいしか知らない。

しかしオランダでは、レンブラントこそが「国民的画家」であり、“画家の中の画家”として、圧倒的な尊敬を集めている。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)は、1639年からレンブラントが20年間住んでいた家を改築した5階建ての美術館。生誕300年を記念して1911年に開館と歴史がある。13,000ギルダー(今の1億6千万円)でレンブラントが借金して購入。10年間で半分も返済できなかった。17世紀の当時、この辺りはユダヤ人街だった。レンブラントもユダヤ人の絵を描いている。

絵画や素描、当時のアトリエなどが観られ、画家の“生活”と“創作”の両方に触れることができる。レンブラント入門というより、レンブラント好きが訪れる場所。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

チケットは当日券でも購入でき21ユーロ。マウリッツハイス王立美術館より1ユーロ高い。受付では「Where are you from?」と聞かれ、「Japan」と返すと、「ヨウコソ、コンニチハ」と笑顔で迎えてくれる。そんなホスピタリティも心地いい。

唯一、残念なのが館内の撮影禁止。他の美術館が撮影も動画も何もかもOKなのに、急に日本の美術館に来た感じがある。その分「見る」ことに集中させてくれると良く解釈しておこう。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

当時の家の様子などを再現しているが、かなり新しいので実感はない。レンブラントの作品などを愉しむ美術館というより、日本にもよくある歴史博物館。ほとんどの人が音声ガイダンスを聴きながら館内を巡るが、英語がわからないので足早にグルッと回った。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)世界が愛し、オランダ・アムステルダムが敬う

弟子たちと絵画制作をしたアトリエ。授業料は年間1人100ギルダー(130万円)、生涯を通じて50人以上の弟子がいた。自身の作品を徹底的に模写させたという。

《レンブラントのアトリエ》1655年、アシュモレアン博物館

《レンブラントのアトリエ》1655年、アシュモレアン博物館

晩年にレンブラントが描いたとされる、アトリエの絵画。ここで《夜警》や《ユダヤの花嫁》などを描いたのかと想像を巡らせる。

そして、ふと思う。ここはレンブラントの家であり、妻サスキアが暮らした場所。サスキア存在があったからこそ、レンブラントの傑作は生まれた。

「レンブラント」の家ではなく、「レンブラントとサスキアの家」という名でもいいのではないだろうか。

レンブラント広場

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

オランダのアムステルダムには生誕400周年を記念して造られたレンブラント広場がある。国宝と呼ばれる《夜警》と共に、いかにレンブラントが別格の扱いを受ける画家かを実感する。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

9人兄弟の8番目で、父親は粉職人。労働者階級の家に生まれ、他の兄弟が父の後継やパン職人などに就いたなかで、ひとりだけ画家の道に進んだ。

レンブラントの家(レンブラントハイス美術館)

 芸術性とは無縁の宇宙服の《考える人》があり、のどかな空気が流れる。

レンブラント広場

春は桜が舞い、ベンチで休む憩いの場。レンブラントは20代から60代まで画力が衰えなかった画家。才能が朽ちない。桜と同じ、美しいまま散っていく。レンブラントには桜が似合う。

レンブラントの傑作

レンブラントの作品に逢える美術館

レンブラントの映画

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