
- 原題:Le Père Tanguy(フランス語)
- 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
- 制作:1887年夏(パリ時代)
- 寸法:92 cm × 75 cm
- 所蔵:ロダン美術館(フランス)
世界で最も有名な「おじいさん」の肖像画。誰も会ったことがないのに、誰もが親しみを持つ。テオが兄ゴッホに送る絵の具を買っていた。パリのロダン美術館が所蔵する。
自画像や肖像画の背景は、もうひとつの肖像画。人物が輪郭であり「かたち」、背景は魂であり「こころ」。ゴッホは背景に、自身が愛した浮世絵をちりばめた。
飾られているの渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」、歌川国貞「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」、歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら範頼の祠」など。
- 渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」
- 歌川国貞「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」
- 歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」
- 歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら範頼の祠」
- 作者不詳「東京名所 いり屋」
実際にタンギー爺さんの店では浮世絵は取り扱っておらず、この背景はゴッホによるフィクションである。
浮世絵の色彩は明るく、線に圧がない。観る者の気分を華やぎ、ホッと安心させてくれる。ゴッホにとって、タンギー爺さんは、そんな存在だったのではないか。
そして、もうひとつ。麦わら帽子。タンギー爺さんのものか、ゴッホのものかは知らない。その麦わら帽子の柔らかい印象が、人柄をより温かく見せている。ゴッホの愛情が滲んでいる。
僕自身、麦わら帽子には憶い出がある。幼稚園の頃、折り紙を切った花や星などを貼り付けた麦わら帽子を祖父母にプレゼントした。幼稚園児がつくった粗末な物なので、すぐに捨てると思いきや、祖父母はそれを生涯にわたって、20年以上も大切に使ってくれた。人に何かを贈る喜びを教えてくれたのは、祖父母だった。タンギー爺さんの麦わら帽子を見ると、祖父母を思い出す。
絵画レビュー:日本の楽園に座る男

富士山、花魁、桜、風景、浮世絵の断片。色も線も、画面の後ろで全力で騒いでいる。普通の肖像画なら、背景は人物を引き立てるために控えめにする。でもゴッホは違う。タンギー爺さんの背後に、自分が愛した日本を、これでもかと貼り込んでいる。
「あなたには、この世界が似合う人ですよ」と言っているようだ。
タンギー爺さんは、青い上着を着て、手を重ね、静かにこちらを見ている。大きな身振りもない。威厳を誇示するわけでもない。ただ、そこにいる。その存在がやさしい。
背後の浮世絵たちは祝祭のようににぎやかなのに、タンギー爺さんだけは穏やかに座っている。その静けさが、画面全体の中心になっている。背景がどれだけ騒いでも、この人の前では落ち着く。ゴッホは、そういう人物として描いている。
色彩も愛情深い。青い上着は、背景の赤、黄、緑、ピンクの洪水をしっかり受け止めている。青があるから、画面は散らからない。
筆触も温かい。顔や髭は、細かなタッチで丁寧に描かれている。完璧に整えた肖像ではないが、雑ではない。むしろ、一筆ずつ「この人を知っている」という感触がある。頬の赤み、目のやわらかさ、髭の白さ。そこには、ただモデルを観察しただけでは出ない親しみがある。
特に手。大きく、少し不器用そうで、生活の重みがある手だ。画商として、画材屋として、多くの画家たちと向き合ってきた手。ゴッホはこの手を、ちゃんと画面の中央に置いている。この手があったから、画家たちは絵を描けた。この人がいたから、貧しい画家たちは少し救われた。そんな敬意が、静かににじんでいる。
背景の浮世絵は、ゴッホ自身の夢であり、憧れであり、タンギー爺さんに贈った花束のようなもの。好きなものを全部集めて、その中心に大切な人を座らせる。こんなに素直な愛情表現があるだろうか。
貧しい画家たちを見守り、絵具を渡し、話を聞き、作品を受け止める人。派手な美術史の主役ではないが、その足元を支えた人。
だからゴッホは、タンギー爺さんを日本の楽園の中に座らせた。
これは肖像画であり、感謝状であり、愛情の祭壇である。
「あなたは、僕の好きな世界の真ん中にいて欲しい人だ」
ゴッホは、そう言っている。
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ゴッホが描いた《タンギー爺さん》の生涯

- 制作:1887年冬(パリ時代)
- 寸法:65 cm × 51 cm
- 所蔵:個人蔵
ゴッホはタンギー爺さんの肖像画を3枚描いている。服装や構図などが同じだが、冬に描かれた一枚は、やや表情が硬く、険しさがある。優しさだけでなく、激動の時代を生き抜いた力強さを反映させたのかもしれない。
本名ジュリアン・フランソワ・タンギー。画家たちが「タンギー爺さん(ペール・タンギー)」の愛称で呼んだ。ブルターニュ出身で、画材の顔料を砕く職人から画材商になった。若い頃はパリ・コミューンに参加し、逮捕された経歴もある。ただの善人ではなく、強くて情熱的な一面も持っていた。クローゼル通りで小さな画材店を経営しており、商品を売る代わりに絵画を受け取ることが多かった。
ゴッホはそんな血気盛んな若かりし頃を思い浮かべて描いたのかもしれない。
ゴッホの絵を買ったタンギー爺さん

- 制作:1887年冬(パリ時代)
- 寸法:47.0 × 38.5cm
- 所蔵:ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館(デンマーク)
麦わら帽子もなく、ネクタイにエプロンをし、画材屋としての凛々しい表情のタンギーー爺さん。
パリで画材屋兼画商を営んでいたタンギー爺さんは、画材代を払えない貧乏画家に、自分の肖像を描いてもらっていたという。原田マハの小説『ジヴェルニーの食卓』では、セザンヌとタンギー爺さんの交流が描かれる。
また、ゴッホの絵を買った一人でもある。
「ゴッホは生前、一枚しか絵が売れなかった」という説が定着しているが、それは記録が残っていないため。実際には、ゴッホが描いた肖像画に対してタンギー爺さんが20フラン(現在の2万円相当)を支払ったという記述が、ゴッホから弟テオへの手紙に残っている。ただしその絵は現存せず、正式な証明はされていない。
タンギー爺さんの肖像画、特にロダン美術館の傑作は、ゴッホの人間愛、そして贈り物への想いを詰め込んだ一枚。画家を支え、絵を信じた「おじいさん」の姿に、今も多くの人が心を動かされる。いつかロダン美術館を訪れ、タンギー爺さんに逢いに行きたい。
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ゴッホ《タンギー爺さん》の美術史的意義
ゴッホの肖像画の中でも重要な位置を占める作品

ゴッホは風景画や静物画を数多く描いたが、肖像画の制作も重要な創作活動の一部を成していた。その中でも《タンギー爺さん》は特別な意味を持つ。描かれているのは画家仲間ではなく、ゴッホを支えた一人の画材商であり、いわば「縁の下の力持ち」であった。経済的に困窮し、精神的にも不安定だったゴッホにとって、タンギー爺さんは理解者であり援助者だった。この肖像画は、単なる人物描写を超え、画家と支援者の関係を象徴する作品として美術史に残っている。
日本美術(浮世絵)と西洋美術の融合を示す一例
背景に配された浮世絵は、《タンギー爺さん》の最も特徴的な要素である。当時のパリではジャポニスムが流行し、ゴッホも浮世絵の収集に熱中していた。浮世絵の明快な線や鮮やかな色彩、平面的な構成から大きな影響を受けていた。この肖像画では、人物の背後に日本の風景や人物が描かれた版画が並べられている。これにより、伝統的な西洋の肖像表現と東洋の装飾的な美学が融合し、一枚の画布の中に異文化交流の証が刻まれている。ゴッホの芸術がヨーロッパと日本美術を架橋する役割を果たしたことを示す好例である。
支援者の存在を描いた稀有な肖像としての意義
美術史を振り返ると、芸術家が自らを支えた人々を肖像画として描く例は必ずしも多くない。《タンギー爺さん》は、その稀少な例である。タンギー爺さんは金銭的に裕福ではなかったが、絵の具やカンヴァスを分け与え、若手画家の作品を店に飾って応援した。ゴッホはその厚意に応えるように、この肖像に敬意を込めた。画面中央に静かに座る姿は、揺るぎない存在感を放ち、背後の浮世絵とともに「芸術を支える力」を象徴している。単に画家個人の肖像ではなく、芸術活動を陰で支えた人々へのオマージュとしての価値を持っている。
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タンギー爺さんは、原田マハの小説『ジヴェルニーの食卓』にも登場する。
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