アートの聖書

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《パラス・アテナ》黄金の反逆者クリムトの勝利宣言とゴールドラッシュの黎明

パラス・アテナ、クリムト

  • 英題:Pallas Athene
  • 作者: グスタフ・クリムト
  • 制作: 1898年
  • 寸法: 75cm×75cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵: ウィーン・ミュージアム(オーストリア)

縦横75センチの正方形の油彩画。クリムトはこのキャンバスに、黄金の鎧をまとった「知恵と戦の女神」アテナを描いた。背景は深い緑。その中に、さりげなく輝く金が、のちの黄金様式の始まりを予感させる。

なぜ正方形なのか?
縦長の画面は動きを生み、横長は広がりを生む。しかし、正方形には逃げ場がない。だからこそ、そこにはアートの解放が生まれる。正方形は、美の檻であり、同時に解放区。芸術のサンクチュアリなのだ。

この絵のアテナは、クリムト自身の化身であり、クリムトを見守る守護神でもある。彼女は、時代遅れのアートや保守的な権威に向かって、挑発的に舌を出す。「俺には芸術がある。裸の女がいる。ざまあみろ」。これは、クリムトの決意表明であり、勝利宣言でもある。ここから、アートのゴールドラッシュが始まる。遠くから、ベートーヴェンの『歓喜の歌』が聴こえてくる。

もうひとつの絵画レビュー:黄金の門番、アテナはウィーンに立つ

クリムトの《パラス・アテナ》は、神話から抜け出した“美の治安維持官”である。黄金の鱗鎧はコインの滝のように光り、胸のメドゥーサは「ここから先は凡庸立入禁止」のバッジだ。槍は定規、まなざしはスキャナー。気の緩んだ装飾も、古ぼけた常識も、この視線の前では一発で検知される。

左下に掌サイズの女神、勝利(ニケ)とも真実(ヌーダ・ヴェリタス)とも読める案内役がそっと立つ。巨大な守護者と極小の導き手。芸術は威厳だけでは動かない、ひそやかな囁きも必要なのだと絵が教える。

額縁は祭壇、画面は「ウィーン分離派」の宣言文。
古い殻を破り、新しい美をここに通す。アテナはその門番であり、判定者であり、時代のカタログをめくる編集長でもある。

怖さと艶、権威と官能。両極を金で溶接したこの一枚は、クリムトの黄金時代の幕開けを告げるゴングだ。見終えれば、胸の内にも小さなニケが立っている。さあ、あなたの凡庸もここで没収。新しい美の領域へ、前進。

レンブラントの《パラス・アテナ》

レンブラントの《パラス・アテナ》

1655年頃、オランダの画家レンブラントも《パラス・アテナ》を描いている。ポルトガルのリスボンにある「 カルースト・グルベンキアン美術館」の所蔵。

横の角度の半身像で、パラス・アテナではなく、アレクサンドロス大王ではないかなど、諸説がある。いずれにせよ、クリムトの金と違い、ダークな雰囲気を纏っている。

 

グスタフ・クリムトという画家

グスタフ・クリムトという画家

グスタフ・クリムトは、1862年7月14日、オーストリア・ウィーンに生まれた。7人兄弟の第2子で、父は彫金師。芸術的な環境の中で育ち、14歳でウィーン工芸学校に入学。早くからその才能を発揮し、当初は弟エルンスト・クリムトや友人フランツ・マッチュとともに建築装飾を中心に活動した。

若き日のクリムトは、ウィーンの公共建築の天井画や壁画を手がけ、王宮劇場や美術史美術館などの装飾を担当。1892年、最愛の弟エルンストが28歳の若さで夭折。精神的な打撃を受けたクリムトは、次第に装飾的な作風から独自の表現へと傾倒していく。

1897年、保守的な美術アカデミーに反旗を翻し、同士とともにウィーン分離派を結成。美と自由の神殿「セセッション館」を建設し、スローガン「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」掲げた。ここから、彼の画風は大きく変貌を遂げる。

35歳を過ぎると、金箔を大胆に用いた「黄金様式」が確立。代表作《接吻》《ユディト》《パラス・アテナ》など、官能と装飾性が融合した作品を次々に生み出した。正方形のキャンバスを好んだのも彼の特徴で、写真はあるが、自画像を描かなかった画家。

918年、脳卒中と肺炎の合併症により55歳でこの世を去る。そのわずか数ヶ月後、弟子のエゴン・シーレもスペイン風邪で28歳の短い生涯を閉じた。

山田五郎が解説するパラス・アテナ

山田五郎が解説する《パラス・アテナ》の動画。パラス・アテナを通して、クリムトの転換点に触れている。初期の建築装飾画から、なぜ「黄金様式」に至ったのか、《パラス・アテナ》がクリムトにとって、いかに重要な作品か。ウィーン分離派誕生の流れ、保守的な芸術界と決別し、新たな芸術運動を立ち上げたドラマ。分離派の思想や、当時のアートシーンとの関係などを語っている。

 

《パラス・アテナ》の凄さ

続いては、名もなき美術評論家が力説する《パラス・アテナ》の凄さをどうぞ。

1. 金と闇のコントラストが生む神々しさ

《パラス・アテナ》の最大の特徴は、クリムトならではの黄金装飾と、背景の深い闇とのコントラスト。金色の甲冑はまるで神々の光を放っているように輝き、一方で背景は謎めいた暗闇に包まれています。この対比が、女神の神聖さと神秘性を強調しています。

黄金の装飾は、クリムトが影響を受けたビザンティン美術や、日本の琳派(特に尾形光琳)の金箔技法を思わせるもの。ここでの金は単なる装飾ではなく、パラス・アテナという存在そのものを象徴する神聖な光なのです。

2. アテナの顔に潜む「二重性」

この作品のアテナは、従来の戦士のような勇ましい表情ではなく、どこか無機質で冷たい顔をしています。これは、彼女が戦いの女神でありながら、知性や秩序を司る存在であることを示しています。

さらに、甲冑の胸部には奇妙な笑みを浮かべる仮面が描かれています。これは、アテナの持つもう一つの顔、すなわち「戦争と破壊の象徴」である可能性があります。神々の持つ二面性——知性と暴力、秩序と混沌——を1枚の絵の中に共存させている点が、この作品の最大の魅力のひとつです。

3. クリムトの女性像の革新性

19世紀の美術における神話画では、アテナはたいてい厳格で男性的な戦士として描かれてきました。しかし、クリムトは彼女をより官能的かつ妖艶な存在へと変貌させました。特に、ヘルメットの下から見えるアテナの柔らかな金髪は、彼女がただの戦士ではなく、女性的な魅力も備えていることを暗示しています。これは、クリムトが生涯をかけて描き続けた「女性の神秘性」への探究ともつながります。

4. 手に持つ小さな女神像の意味

アテナの左手には、小さな裸の女神像(ニケ、勝利の女神)が描かれています。これはギリシャ神話において、戦争の勝利を意味する象徴ですが、ここでのニケはどこか不安定で、力強さよりも脆さを感じさせます。

これは、クリムトがこの時期に抱えていた「権威の崩壊」「勝利の不確かさ」といったテーマを示唆しているのかもしれません。19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧州は政治的にも芸術的にも大きな変革の時代でした。そうした時代の移り変わりを、この小さな女神像に込めたのではないでしょうか。

5. クリムトが「世紀末ウィーン」に仕掛けた挑戦

《パラス・アテナ》が描かれた1898年、ウィーンではまだアカデミズム的な美術が主流でした。伝統的な絵画では、歴史や神話を精密に、写実的に描くことが求められていました。

しかし、クリムトはそれを完全に打ち破り、より装飾的で象徴的な世界を作り上げました。背景には抽象的な模様が広がり、写実性よりも感覚的・精神的なインパクトを重視しています。この作品こそ、後に「ウィーン分離派(セセッション)」を率いるクリムトの、アカデミズムに対する最初の宣戦布告ともいえるのです。

 

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