アートの聖書

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クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》〜青い余韻が残る、最後の旅の夕暮れ

  • 英題:Twilight,Venice
  • 作者:クロード・モネ
  • 制作:1908年
  • 寸法:73x92 cm
     
     
     
     
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:アーティゾン美術館東京

イタリア・ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が、水と溶け合うように夕陽に包まれている一枚。

モネ夫妻は滞在中、毎晩のようにゴンドラで運河へ出かけていた。モネはヴェネツィアの夕陽を「世界で随一の素晴らしい夕陽」と称えている。

1908年10月、67歳のモネは妻アリスとともにヴェネツィアを訪れた。白内障を患っていたモネの静養も兼ねた旅だったが、これがモネにとって最後の旅行となる。

約2ヶ月間の滞在中、モネはおよそ30点の絵画を描いた。本作は、滞在していたグランドホテル・ブリタニアから見えた秋の夕陽と、サン・ジョルジョ・マッジョーレにある教会を描いたものである。

このグランドホテル・ブリタニアは、現在「セントレジス・ヴェニス」という名前に変わっており、今も宿泊することができる。

本作は、妻アリスとの最後の旅行の記念でもあったため、モネは他の画商には売らなかった。ところが、日本の美術収集家・黒木三次がジヴェルニーの邸宅を訪れた際、竹子夫人から売ってほしいと頼まれ、モネは泣く泣く手放したという。

クロード・モネ《睡蓮の池》 1907年

クロード・モネ《睡蓮の池》 1907年

アーティゾン美術館にあるクロード・モネ《睡蓮の池》(1907年)や《雪中の家とコルサース山》も、このとき黒木三次に売り渡された作品である。

モネ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》1908年

また、同じく夕陽に染まるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を描いた作品として、イギリスのウェールズ国立美術館所蔵のモネ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》(1908年)がある。

絵画レビュー:《黄昏、ヴェネツィア》

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遠くの教会は蜃気楼のようにぼやけ、水面は光をまとってゆっくり揺れ、空は青から金色へ、金色から桃色へ、桃色から薄い闇へと変わっていく。音があるとしたら、静かな水音だけだ。

この絵、もはや風景画というより「夕陽が主役のライブ会場」みたいな一枚である。

描かれているのは、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。けれど、建物をきっちり見せる気はない。輪郭はぼんやりし、細部もほとんど溶けている。普通なら「教会を描くなら、もう少しちゃんと描いてください」と言いたくなるところだが、モネはそんな説明的な絵にはしない。

この絵で描きたいのは教会そのものではなく、教会が夕陽の中で“どう消えていくか”だからだ。

画面全体が、オレンジ、ピンク、黄色、青緑の光で満たされている。空も水も建物も、境目がどんどん曖昧になって、世界全体が一つの巨大なグラデーションになっている。ヴェネツィアという街が、夕陽に煮込まれて、とろとろのスープになってしまったようだ。

左側にすっと立つ鐘楼は、唯一「ここに建物があります」と主張している存在。でも、それさえも黒い影というより、青緑の炎みたいに見える。塔なのに、燃えている。石造りのはずなのに、揺れている。モネの手にかかると、建築物まで液体になる。

この絵のすごいところは、画面のほとんどが“曖昧”なのに、印象だけはものすごく強いところだ。細部を消すことで、感情だけを残してしまう。

何がどこにあるのか、正確にはわからない。けれど「夕暮れのヴェネツィアにいる感じ」は、圧倒的に伝わってくる。むしろ、細かく描かれていないからこそ、目の前で光が変わっていくように感じる。見ているうちに、空の黄色が水面に落ち、水面のオレンジが建物に返り、青い影がすっと画面を冷ましていく。

これはもう、絵というより光のミキシングだ。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は、夕陽の中でほとんど溶けている。その溶け方が美しい。世界の輪郭がゆるみ、空と水と建物がひとつになる。その瞬間を、モネはカンヴァスに閉じ込めた。

特に水面がいい。ヴェネツィアの水は、空を映し、建物を映し、夕陽を飲み込んで、さらに別の色に変えて返してくる。モネはその反射の魔法を、筆のタッチでひたすら追いかけている。

水面には、オレンジや黄色のあたたかい色の中に、青や緑の小さな筆触がちらちら混じっている。この青が効いている。全部を夕焼け色にしてしまうと、ただ甘い絵になる。そこに冷たい青が入ることで、画面が一気に深くなる。甘いだけではない。少し寂しい。夢の終わりみたいな空気がある。

ただの一日の終わりではない。旅の終わり、人生の晩年、もう戻らない時間の終わりまで、どこかで重なって見えてくる。この絵には観光地らしい賑やかさがない。ゴンドラも人影も細かく描かれていない。

ヴェネツィアなのに、名所案内をする気がない。モネが見せているのは、「ここが有名な教会です」ではなく、「この一瞬、世界はこんな色になった」という記憶だ。

この絵の前に立つと、建物を見ているというより、夕暮れに飲み込まれている感じがする。モネは、ヴェネツィアが夕陽によって、現実から夢へ変わる瞬間を描いたのだ。

これは「ヴェネツィアの夕景」ではなく、夕陽そのものが演じるラストシーン。一日の終わりに、街も水も空もすべてが金色に染まり、最後にふっと青い余韻だけが残る。

モネの《黄昏、ヴェネツィア》は、贅沢すぎる夕暮れの映画である。

 

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