
- 仏題:Le restaurant de la Sirène à Asnières
- 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
- 制作:1887年(夏)パリ
- 寸法:54.5×65.5cm
- 所蔵:オルセー美術館(フランス)
パリ郊外、セーヌ河畔の町アニエール。ゴッホが南仏アルルへ旅立つ前、幾度も足を運んだレストラン。《シレーヌ》は、伝説の人魚の名。
薄塗りの色彩、細かい筆触、空気のように柔らかな点描。
明瞭な輪郭も写実的な風景もない。その瞬間、その空気、その場にいたという感触。記憶を絵筆に託している。ある意味で、ゴッホによる印象派への応答。自らの感情を風景に染み込ませ、“見る”、“感じる”を一枚のタブローに宿す。
ゴッホの色といえば、黄、青、緑、赤などが有名だが、<白>はゴッホの色。白は何色にも染まれる。何者にでもなれる。白は、始まりであり終わり。ゴッホの白は、無限の色。白は城。「アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ」はゴッホの城なのだ。
洗練されたデザイン、どこか下町や田舎の親しみやすさを感じる外観。きっとステキなレストランだったのだろう。

点描画はゴッホがパリ時代に最も大きな影響を受けた画法。ゴッホの点描は没入感や情感の共有を生む。スーラのような沈黙」「整然とした時間」「理性的な永遠」、カミーユ・ピサロやポール・シニャックのような、光や空気を柔らかく捉え「風景の鼓動」「自然との調和」のハイブリッドになっている。
この風景は、新宿・小滝橋通りの「なか卯」と重なる。何度も通った店を思い出すとき、脳裏に浮かぶのは看板でも間取りでもない。店内に漂っていた匂い、お姉さんの声、卵かけご飯の味。憶い出は、形や色ではなく、もっと淡いものに宿る。
ゴッホとの邂逅

2016年4月、六本木にある国立新美術館に、ルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》が来た。画家の名前は知っていたが、絵は一枚も見たことがない。これが、その最高傑作だという。
期待に胸を膨らませて行ったものの、いざ対面すると心は動かなかった。このエトワール(花形スター)に何の魅力も感じなかった。構図は斬新だが、色も人物も雑然としていて、視線の落ち着く場所がない。実在する風景なら、この場所に居たいとも、眺めたいとも思わない。これが最高傑作なのか?
自分は美術を観ることに向いていないのかもしれない。そんな失意を抱えて美術館を歩き出したとき、白いレストラン外観を描いたタブローが飛び込んできた。
そこに描かれたのは、人々の賑わいや、当時の風俗がない、華やかで少し物悲しいレストランの外観。ルノワールの絵と違い、時代を超える。国を超える。永遠のような、地平線のような趣。
画霊に取り憑かれたように、意識が遠のいた。港区にいるはずなのに、夏のパリ郊外に瞬間移動した。危ない。魂を盗られる。本能が警鐘を鳴らした。日本に戻らないと絵の住人になってしまう。頭をブンブン振って周囲を見ると、日本語が飛び交い、ルノワールの絵に見入る群衆。ああ、ここは日本だ。ホッと胸を撫で下ろした。
これがアートの力か。写真でも映像でもない。嘘の塊である絵画に、これほどの磁力が宿るのか。
額縁の脇に記された画家の名に目をやる。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
これがゴッホとの初めての出逢いだった。
その一枚の絵から、その日から、この画家が自分の中での一番になった。ゴッホに吸い込まれた日だった。

もう一枚の《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》

- 制作:1887年(春)
- 寸法:52×64cm
- 所蔵:オックスフォード・アシュモレアン博物館(英国)
春に描いた《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》。丘の下から見上げる構図で、モンマルトルらしい、素朴で田舎のどかさを出している。
《アニエールのレストランの外観》

- 制作:1887年5月-6月
- 寸法:18.8×27cm
- 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)
特定のレストランの名前はないが、アニエールのレストランの外観を描いた一枚。3枚の絵に共通するのは、人々の賑やかさ、物語、風俗がないこと。ルノワールやモネとは違う。
ゴッホの出逢った国立新美術館
ゴッホが描いた建物の絵
ゴッホのいちまいの絵
ゴッホに逢える美術館
《ひまわり》
《ドービニーの庭》
《ばら》
《座る農婦》
過去のゴッホ展
オランダ黄金の美術館
原田マハのゴッホ関連の本
ゴッホの映画
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