
- 原題:Judith
- 作者:グスタフ・クリムト
- 制作:1901年
- 寸法:84 cm × 42 cm
- 技法:油絵、カンヴァス、金箔
- 所蔵:オーストリア絵画館
ユディトは『旧約聖書』に登場するユダヤの未亡人。敵将のホロフェルネスを誘惑して首をはね、故郷を救った。
ユディトを主題とした絵画はクラーナハ、カラヴァッジョ、ジェンティレスキ、ボッティチェッリなど、数々の画家が描いている。それぞれの視点でユディトを造形してきたが、誰もが辿り着けなかった一点の境地に、グスタフ・クリムトは到達している。魔性を抑えながらも、最も魔性が宿る、絵画の到達点。
この絵に生々しい力を与えているのは、現代的な女性像であること。ユディトは、『旧約聖書』の人物だが、クリムトは20世紀初頭のウィーンの空気を纏った女性を描いた。知人をモデルに描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》と同じ思惑。
クリムトのユディトだけ、堂々と正面を向いている。勝ち誇るためでも、見せつけるためでもなく、この行為が当たり前、ごく自然なことと捉えている。ユディトは無感情に敵将と交わり、無感情に首をはねた。人斬り抜刀斎のように、無感情に人を殺める者ほど恐ろしく、そして美しい。
凛として微笑む表情には、情事を終えた恍惚と、仕事を終えた恍惚。快楽の余韻と、冷たい達成感。「背徳」こそが最大の悦楽であると言わんばかり。性交という命を生む行為と、斬首という命を奪う行為。生首と、首斬りポーズを表すゴールドの首輪の対比。
片方の乳房だけを見せ、隠しているようで隠していない。ホロフェルネスの首は一部しか見せず、ユディトの腕も右だけ。チラリズムを駆使して官能と魔性の両極を表す。すべてを露わにせず、「欠けた構図」によって想像力を誘惑する。
どこか幸せそうなホロフェルネスは、地上の天国を味わった直後に、本当の天国に旅立つ。生と死、官能と暴力、救済と破壊は、切り離せない関係にある。
ユディトは、キリストとは対極の存在に見えて、同じ「救済者」としてクリムトは捉える。十字架の代わりに掲げるのは、生首。官能と殺生という、倫理の外にある極端な要素を携えて、それでもなおユディトは「救い」をもたらす。キリストと同じ、超越者のひとり。
平和と戦争がコインの表裏のように一体であるように、天国と地獄も別の世界ではなく、同じ時空に存在している。
|
|
友人の女性が語るクリムト《ユディト》
以下は友人の女性が語ってくれたクリムト《ユディト》論。描かれている絵だけでなく、枠について述べているところが秀逸。
最狂で最凶の魔性の女だと思っている。
・恍惚とした表情
・それでいて冷たさを感じる目
・大事そうに首を支える手
・美貌で魅せ方をわかってる感じ最高過ぎる。絵が長方形なのは、この女の次のターゲットである男性が「絶望の扉」を開いてしまったから。扉のあっち側に行ったら女の餌食になって殺されることが確定する運命。
それでも男性からしたら魅惑的で、一瞬の幸せを感じる、、、それが黄金になっている。クリムトは魔性の女にいいように転がされた経験があるとしか思えない。
|
|
クリムトが描いた《ユディトⅡ》

- 制作:1909年
- 寸法:178 cm × 46 cm
- 所蔵:カ・ペーザロ 国際近代美術館(イタリア)
クリムトは同じ主題の絵を何度も描く画家。《ユディト》から8年後に、ユディト2.0を描いている。あくなき探究心なのか、未練たらたらなのか、「そうだ 京都、行こう」的に単なる気まぐれなのか。
ただし、ユディトのモデルといわれる女性《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》と同じく、最初のほうが傑作。
「余計なことするなよ」と言いたくなるが、真の芸術家は、余計なことをする生きもの。《ユディトⅡ》があるからこそ、《ユディト》の凄さが際立つ。
|
|
日本で観られる《ユディト》

上野の国立西洋美術館では、ドイツのクラーナハによるユディトの絵画が観られる。ユディトを少女に描く離れ業。ホロフェルネスに処女を奪われたように見え、クリムトとは違う仕掛けでユディトに魔性を宿している。
クリムトの傑作絵画
ユディトのモデル
最も有名なクリムト絵画
クリムトの最高傑作《抱擁》
クリムトの経歴や初期作
クリムト晩年の傑作
クリムトの裸の真実
クリムトの騎士
クリムトが描く宇宙の真理
女性の肖像画の傑作たち
日本の美術館ランキング
東京のおすすめ美術館