アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』〜絵は「友だち」になれるのか

『デトロイト美術館の奇跡』原田マハ、

  • 著者:原田マハ
  • 出版社:新潮文庫
  • 発売日:2020年1月1日(単行本は2016年9月)
  • ページ数:133ページ

原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』は、財政破綻したアメリカの都市デトロイトで、市の資産として売却の危機にあった美術館の名画を守るために、市民や団体が立ち上がった実話をもとにしたフィクション。芸術と社会のつながりを深く掘り下げた社会派小説であり、美術作品を「守るべき財産」としてではなく「生きた文化」として描く。

あらすじ

アメリカ・ミシガン州デトロイト。かつて「自動車の街」として繁栄したこの都市は、リーマン・ショック後の経済破綻により、2013年にアメリカ史上最大の市の財政破綻を迎える。財政再建のため、市は資産の売却を余儀なくされ、その中には市が保有する「デトロイト美術館」の名画たちも含まれていた。

だが、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、ディエゴ・リベラといった巨匠たちの作品は、単なる「資産」ではなく、市民の誇りであり、アメリカ文化の象徴。芸術を守るため、全米の財団や市民が立ち上がり、「美術館のコレクションは売らない」という前代未聞の奇跡の救済劇が始まる。

書評

『デトロイト美術館の奇跡』原田マハ、

『デトロイト美術館の奇跡』は《セザンヌ夫人》という一枚の絵を"軸"にして、物語を回転させる。原田マハらしい真っ直ぐな一球入魂。

デトロイト美術館(DIA)に475点の美術作品と55万ドルの現金を寄贈した美術収集家ロバート・タナヒル以外はフィクションの人物であることも、原田マハらしい。近所のおじさんも、美術館のキュレーターも、誰もが《セザンヌ夫人》の絵画に魅了される。

この絵の、どこにそれほどの魅力があるのか。フランス人画家が描いた、フランス人女性の肖像。それがなぜ、21世紀のアメリカ人にとって特別な意味を持つのか。本作は、その問いに正面から向き合っている。アメリカがレディ・ファーストの国であり、多民族国家だからではない。

ここに原田マハは、絵画とは何かを浮き彫りにさせる。絵は言語を超え、国籍を超える。むしろ、外国の絵のほうが母国の絵より好きなことが多い。ルーヴル美術館にある《モナ・リザ》はイタリア人が描いたものであり、東京富士美術館にある《煙草を吸う男》はフランス人が描いたもの。海外で日本のアニメーションが日本より人気があるように、視覚芸術は、「はじめに言葉ありき」の印籠を突き返す。

主人公の常連客が、《セザンヌ夫人》を売らないでくれと頼みにくる場面。

DIAのコレクションは、高額な美術品じゃない。私たちみんなの友だちだから。助けたいのです。友を。

綺麗事でもあり、クサい台詞でもある。しかし、この言葉に、日本と海外の美術館の違いが浮き彫りになっている。

日本の美術館が絵画を「高価なもの」「触れてはいけないもの」として守る一方で、DIAのような海外の美術館では、美術品は市民にとって親しみのある「ともだち」であり、「見に行く」のではなく、「逢いに行く」もの。

過保護なまでに絵画を守り、鑑賞者を遠ざける日本の美術館。それは悪いことではない。所有者の自由に文句をつけるのは良くはない。しかし、そこに大きな鑑賞体験が生まれる。

想像してみてほしい。あなたの愛着のある美術館が破綻し、絵画を売るとなったら。DIAと同じ奇跡は起こるだろうか。「友だちを救いたい」とやって来る人は現れるだろうか。

綺麗事も、臭いセリフも、原田マハが小説にすると、生きた人間が発した言葉であるかのように思えてくる。絵画に向けるまなざしが驚くほどリアルになる。これが、原田マハの筆力。

『デトロイト美術館の奇跡』は、涙を誘うわけでも、感動を呼び起こすための本でもない。原田マハからの「あなたにとって絵画とはなんですか?」という問いなのである。

ポール・セザンヌ《セザンヌ夫人》

ポール・セザンヌ《セザンヌ夫人》

  • 制作:1887年
  • 寸法:62 x 51cm
  • 所蔵:フィラデルフィア美術館

セザンヌは妻オルタンス・フィケの肖像画を24枚も描いた。

原田マハは《セザンヌ夫人》には、セザンヌの画家としての神秘と本質が隠されているという。この絵をロンドンのテート・ギャラリーの企画展で見て、複製画を買った。毎日のように見ていた絵だから、と。

2015年には、ニューヨークのメトロポリタン美術館で《セザンヌ夫人》ばかりを集めた展覧会があったほど、アメリカ人にとって、《セザンヌ夫人》は特別な絵。

原田マハは著書『いちまいの絵』の中で言う。

画家が自分自身のありったけの思いを、「他人を描いた」肖像画に重ね合わせることは、実はセザンヌの登場まではほとんどなかったのではないか。《セザンヌ夫人》は画家のたゆまぬ努力と研鑽が見事に結実した一枚である。そしてそこには、妻・オルタンスへの深い愛情が潜んでいることも伝わってくる。

なんと純朴で、なんと飾らない、なんとしみじみと心に沁み入る美しさであることか。そこには、何も持たぬことの潔さ、すがすがしさが表れている。人生における本当の豊かさとはいったいどういうことなのか、画家から私たち観る側への静かな問いかけがある。この一枚をみつめれば、セザンヌがいかに妻の本質に深いまなざしを注ぎ、それをあぶり出すようにして表現していたかがわかる。

確かに、彼女はいかにもつまらなそうな顔をしている。言いたいことはいっぱいある、けれどいまは言わずにおきましょう。ポーズをとるのはいや。だけど、ポール・セザンヌにみつめてもらえないのはもっといやなの--との彼女の心の声が聞こえてきそうである。だからこそ、この肖像画は素晴らしいのである。

横浜美術館で逢える《セザンヌ夫人》

ポール・セザンヌ《縞模様の服を着たセザンヌ夫人》1883-1885年

ポール・セザンヌ《縞模様の服を着たセザンヌ夫人》1883-1885年

絵画でありながら、写真に似ている。夫が新しいカメラを買って、はしゃいでスナップ写真を撮りたがる。妻はちょっと嫌そうに応じる、アレ。

セザンヌは、モデルとなった妻を真正面からではなく、少し上から斜めの角度から、そっと覗き込むように描いている。この角度と距離に、セザンヌの愛情がある。

夫人の表情は、やる気がないようにも、無表情にも、あるいは泰然自若にも見える。「セザンヌのモデルになるのも家事のうち」と言わんばかり。

セザンヌも夫人も、アートは非日常を生み出すものではなく、日常の延長線上にあることを知っている。

夫人はセザンヌの芸術に、無言で寄り添っている。画家としての才能を信じていたのか、夢中で絵を描く姿が好きだったのか。おそらく、その両方だったのだろう。平凡な肖像画に見えるが、これほどまでに夫婦の信頼関係を静かに映し出している作品が他にあるだろうか。

原田マハの本

日本の美術館ランキング

東京のおすすめ美術館