アートの聖書

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ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》〜楽園という名の捕食地帯、香りたつ抵抗

ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》

  • 原題:Te Nave Nave Fenua
  • 英題:Delightful Land
  • 作者:ポール・ゴーギャン
  • 制作: 1892年
  • 寸法:91.3×72.1 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:大原美術館(岡山)

ゴッホとアルルでの共同生活を終えたゴーギャンが、タヒチへ向かい、滞在中に描いた一枚。倉敷にある大原美術館の創設者のひとり・洋画家・児島虎次郎がヨーロッパで購入した。

絵画レビュー

《かぐわしき大地》。タイトルだけ聞くと、南国の香り、官能、安らぎ、理想郷、そんな言葉が勝手に頭に浮かぶ。だが、画面を見た瞬間、その期待は裏切られる。ここには、観光パンフレット的な楽園は一切ない。

中央に立つ裸婦。堂々としているが、甘くない。誘ってもいない。視線は横に流れ、こちらを値踏みするようでもあり、拒むようでもある。ポーズは静かだが、内側に緊張がある。この裸はエロティックというより、現実的だ。

理想化された曲線ではなく、重さがあり、体温があり、生活の延長線にある肉体。ゴーギャンは“見られるための裸”を描いていない。“そこに生きている裸”を描いている。

周囲の植物は祝福ではない。繁茂しすぎた緑は、むしろ敵意を帯びている。葉は伸び、花は目を持つようにこちらを見つめ、まるで少女を食べようとしているかのようだ。大地は豊穣ではなく、捕食的で、飲み込もうとする力を隠していない。

ここは楽園ではない。「自然が人間を許してくれている場所」ですらない。自然は中立でも優しくもなく、ただ強い。その中で少女は、立っている。

逃げてもいない。身を預けてもいない。大地に抱かれることを拒み、しかし大地から去ることもせず、ただ自分の足で立っている。自然との調和の図ではない。自然との拮抗の図だ。この絵は、女の自立を描いている。

文明から逃げてきた男の幻想の中に、彼女は収まらない。「未開の楽園」に回収される存在でもない。彼女は、自然にも、見る者にも、従属しない。

背景にあるのは、夢と現実、神話と日常がぐちゃっと混ざった世界だ。だが少女だけは、そこから半歩抜け出している。幻想の登場人物になりきらず、現実の身体を引き受けている。

文明から逃げた先に、本当に自由はあるのか。自然に身を置けば、人は純粋になれるのか。そして、女は、男の理想郷の部品でしかありえないのか。

この絵を見る限り、ゴーギャンは「単純な理想郷」を信じていない。ここにあるのは、楽園への憧れと、その幻想を裏切る現実を、同時に引き受けた視線だ。

この絵は甘くない。美しいが、安心できない。色彩は豊かだが、心はざわつく。

《かぐわしき大地》とは、心地よい香りの土地ではない。人間の欲望、幻想、そしてそれに抗って立つ女の意志が、むっと立ちのぼる場所だ。

少女は、食べられない。飲み込まれない。この絵の中で唯一、彼女だけが、自分の立ち位置を選んでいる。

 

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