
- 仏題:L'église d'Auvers-sur-Oise
- 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
- 制作:1890年6月
- 寸法:74 cm × 94 cm
- 技法:油彩
- 所蔵:オルセー美術館(フランス)
ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》に次ぐ、建物を描いた絵画として有名な一枚。ホラー映画のようであり、ゴッホの中でも《アルルの跳ね橋》凌ぐほどの存在感と力を持っている。こんなアトラクションがディズニーにあってもいい。
モデルは、ゴッホが最期の地を過ごしたオーヴェル=シュル=オワーズのエグリーズ広場にある教会。

現在は、人気の観光スポットとなり、看板が立てられ、教会の中にも入れる。

ゴッホが描いたのは、教会の入り口と反対側の祭壇側。女性と同じく、背中を描いた。
教会とは、魂を救う場所なのに、《オーヴェルの教会》からは「救済」の匂いがしない。空は暗く、夜が明ける気配もなく、世界の終わりを告げるようである。そもそも、この絵は“教会”を描いているのではない。聖なる建物を借りた、もっと深い個人的な風景、魂の臨界点を描いている。
中心に聳り立つ建物、足元の草むらは男根の象徴。開かれた地面は女性の股。ゴッホは性的なモチーフを露骨に描くことは少なく、《ゴーギャンの椅子》の蝋燭(男根)のように暗喩的に忍ばせる。
歪んだ空間、揺れる線は、男性器が機能不全に陥る予兆。魂を去勢され、オスとしての魅力を失った男から、女性(シスター)は背を向けて遠ざかる。稼ぎもなく、性的な力も衰え、男として失格の烙印を押された悲哀。オーヴェル時代のゴッホの絵の人物のほとんどが背を向けている。これは、世界から拒まれたのではなく、ゴッホの心が眼を合わせることができないのだ。
そして、もうひとつ。礼拝堂は、子孫をながらえるための生殖器というより、かつてゴッホがなろうとした「聖職器」でもある。
牧師への夢破れ、画家の道に進み、そこでも絶望を味わい、再び岐路に立っている。もはや普通の暮らしに戻る帰路は存在しない。道は二股に別れている。左の道(女性側)は木々があり明るいが、右側の道は、隙間は狭く、光もない。だが、道はある。選ばれるのを待っている。
この夢の残像は《オーヴェルの教会》ではなくゴッホにとっての《オーヴェルの境界》なのである。
オランダ時代にゴッホが描いた教会
《ニュネンの古い教会の塔》

- 制作:1884年5月
- 寸法:48×55cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ビュールレ・コレクション(スイス)
両親のもとに帰ったニュネン村で、ゴッホは多くの教会を描いた。1883年12月から1885年5月まで、35点におよぶ油彩画や素描、水彩画を描いている。
聖職者につけなかった未練なのか、けじめなのか。それでもゴッホが描く教会に救いはない。「教会では罪は償えない」と言っているような雰囲気である。
《ニュネンの教会をあとにする群衆》

- 制作:1884年-1885年
- 寸法:41×32cm
- 技法:油彩
- 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)
最初は集団ではなく、鍬を持った男を描いていた。尊敬するフランソワ=ミレーの絵を模したと思われる。この絵は2002年に盗難に遭い、2016年にイタリアで発見された。
《ニュネンの古い教会の塔》

- 制作:1885年5月-6月
- 寸法:65×80cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)
廃墟なった教会の尖塔。2016年の『ゴッホとゴーギャン展』で来日。ゴッホ自身は手紙で、この教会とオーヴェルの教会が似ていると書いている。植えられた十字架が、宗教への追悼のように見える。
《オーヴェルの教会》の対をなす《糸杉と星の見える道》

- 邦題:糸杉と星の見える道、夜のプロヴァンスの田舎道
- 制作:1890年5月
- 寸法:90.6 × 72 cm
- 所蔵:クレラー・ミュラー美術館(オランダ)
《星月夜》から1年後に描かれ、サン=レミを旅立つ前に描かれた最後の一枚。《オーヴェルの教会》と違い、ゴッホの決意と前身がありありと描かれる。
糸杉は、夜空と夜道を照らす蝋燭であり、地上から天へと祈りを運ぶ煙突、魂の導管。
足元にはノコギリのような黄金の麦畑。波打つように道をつくり、波動拳のように曲がりくねって人々を導く。その道を、歩行者と馬車が静かに行き交う。
ゴッホは、道を繕うとしている。糸杉は「人生を縫う糸」。星と月が同時に空に浮かぶのは、新しい朝が始まろうとしている。ゴッホの次のステージの夜明け。
ゴッホの建物の絵
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《ドービニーの庭》
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