アートの聖書

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《ジャガイモを食べる人々》ゴッホの手、農婦の手、土に生きた絵画

『ジャガイモを食べる人々』ゴッホの手、農婦の手

  • 蘭題:De Aardappeleters
  • 英題:The Potato Eaters
  • 別題:じゃがいもを食う人々、馬鈴薯を食う人々
  • 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
  • 制作:1885年4月
  • 寸法:82cm × 114cm
  • 所蔵:ゴッホ美術館(オランダ)

ゴッホがオランダのニュネン村に滞在した時代の作品。初期の最高傑作。この一枚を完成させるために、ゴッホのオランダ時代はあったと言っていい。

ヨゼフ・イスラエルス《食卓を囲む農民の家族》1882年、ゴッホ美術館

ジャガイモを食う人々のモデルはニュネン村のデ・グロート・ファン・ローイ家の人々であり、絵の構図はヨゼフ・イスラエルスの《食卓を囲む農民の家族》を参考にしたと思われる。

ゴッホ美術館の《ジャガイモを食べる人々》

ゴッホ美術館の《ジャガイモを食べる人々》

《ジャガイモを食べる人々》は、ゴッホ美術館の1階にある。オランダ時代の絵画を集めた作品群の中でも、特別な一枚としてコーナーが設けられている。この絵は、「暗褐色の時代」の到達点である。

画集では何度も見ていた。来日した習作も観たことがある。まったく良いと思わなかった。だから余計に、ゴッホ美術館で観たときの衝撃が凄かった。過去と固定概念を粉々に打ち砕いてくれた。

顔はアニメっぽく、リアリティに欠ける。馬鈴薯もマクドナルドのポテトのような美味しさは伝わってこない。だが、人間の生命力が電流のようにビリビリ感情を突き刺す。

土と風の中で生まれた人間の営みとは、こんなにも力強いのか。こんなにも日常とは全力なのか。ゴッホが捉えた日常は、静かなる絶叫。

ゴッホは、手を誇張していない。誇張など必要ない。ただそこにある手を、そこにある暮らしを、深く愛していた。じっと見つめていると、今にも動き出さんばかりだ。

ここにゴッホと他の画家の違いがある。他の画家であれば、手を"強調"して描く。だが、ゴッホは本当に、このような手に見えていたのだ。農家の生活に寄り添いつつ、距離をとって見守り、敬愛を込めていた。だからこそ、こんな手に見えてくる。

ゴッホは一日にしてならず。ジャガイモは一日にしてならず。

《ジャガイモを食べる人々》は一日にしてならず。

このジャガイモは買ってきたものではない。自分たちの手で生み落とし、収穫し、育てた命を頂く。土や雨や風と格闘した日々が、ようやく報われる瞬間。馬鈴薯は、土に生きる人々の魂。命の証。その魂を体内に入れる。ゴッホが描く手から、農家の人生が這ってくる。《ジャガイモを食べる人々》は、生を噛みしめる者に捧げられた、ゴッホの聖餐だ。

 

岡本太郎の《ジャガイモを食べる人々》

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岡本太郎は1971年に刊行された著書『美の呪力』のなかで「夜の画家・ゴッホ」というコーナーを設けている。その中で、《ジャガイモを食べる人々》は、レンブラントの《夜警》よりもすごいと絶賛している。

《馬鈴薯を食う人々》の底なしの夜は彼の生涯を貫いている。1930年、アムステルダムで開かれた大ゴッホ展で《馬鈴薯を食う人々》を見て、なんという苦しさだろう、と押しひしがれる思いがした。これを「絵」というのだろうか。「絵」ではないのだ。呪文だ。展覧会場を出てレンブラントの《夜警》を見た。巨大な、黒々とした、これも夜だった。しかし、こちらは高い姿勢で、ひらいていた。そのスケール、巧さは圧倒的だ。しかし、私は戸惑った。いったい、このどこに私は入り込めるのか。どこにも、本当に私の魂を打ってくれるものがないのだ。このような美術史の典型的な大傑作。感動しなければならない条件はすべて揃っているのに、空しい。それよりも、いま私の胸にこたえているのは、先ほど見てきたあの「じゃがいも」、あのまったく下手くそな、そして惨めな「じゃがいも」なのだ。その方が私の精神、身体全体にのしかかってきている。"月とすっぽん"というとおかしいが、そのすっぽんの方に重みを感じ、はるかに感動するとは。今もなお、その日の思い出とともに《馬鈴薯を食う人々》の暗い影が、心の奥底に生きつづけているような気がする。ゴッホの絵も後期になると、確かに筆づかいがはるかに巧妙になってくる。しかしその内にはやはり、あの醜い「じゃがいも」が秘められている。ゴッホを思いおこすのは、絢爛たる原色ではなく、あの暗い、どろどろした闇の色なのである。

 

レビュー:ゴッホ《ジャガイモを食べる人々》—土の灯りの食卓

まず、音がする。ジャガイモの皮がほろりと割れる小さな破裂音。噛むたびに鳴る、畑のリズム。台詞は少ないが、咀嚼がこの家のBGMだ。

天井からぶら下がるランプは、貧しい家の太陽。光は皿ではなく“手”を照らす。土に染みた指、節の張った指。ここでのごちそうは、澱粉より先に「労働の誇り」だ。

色はほぼ、土の色のオーケストラ。緑がかった黒、煤けた褐色、窓の闇。そこへランプの黄が一滴落ちて、絵全体に温度が生まれる。レンブラント仕込みの明暗が、貧しさを美談ではなく“体温”に変える。

中央の少女は、観客の代理人。我々は彼女の背中越しに席へ混ざり、湯気を吸い込む。テーブルの輪の中に入れてもらえた、という感覚がこの絵の秘密の魅力だ。

顔は美しくない。だからこそ、うつくしい。
皺は畝、眼のくぼみは井戸、口の乾きは風。見れば見るほど、五人の顔は一枚の地図になる。行きて帰りし日々の地図だ。

ここには銀のスプーンも、白いテーブルクロスもない。あるのは、働いた手、分け合う心、灯りを守る小さな家族の重力。それで十分だ、と絵は言う。

これは“貧しさの絵”ではない。土から生まれ、土を食べ、また土へ戻る人間の円環を、ひと晩の晩餐に凝縮した絵だ。ランプの炎は小さいが、この夜の光は、長い。

世界にある《ジャガイモを食べる人々》

クレラー・ミュラー美術館の《ジャガイモを食べる人々》

クレラー・ミュラー美術館の《ジャガイモを食べる人々》

オランダのオッテルローにあるクレラー・ミュラー美術館にも、同時期に描かれた《ジャガイモを食べる人々》がある。レイアウトが大雑把であり、おそらく完成版のためのデッサンと思われる。同じ主題でも、そこに込められた「鼓動」は違う。ゴッホ美術館に比べると元気がない。絵筆が、感情の深部まで届いていない。

人生を飲み込むような土の気配は、息をひそめている。リアルだが、震えがない。手を力強く描いていない。これでは胸を打たない。ゴッホ美術館のほうを見てほしい。

《ジャガイモを食べる人たちの習作》

《ジャガイモを食べる人たちの習作》

個人が所有している《ジャガイモを食べる人たちの習作》。4人しかおらず、農婦はひとり足りない。ゴッホが繰り返し描いた主役がいない。実際は4人の家庭だったかもしれない。完成作は、ゴッホによる聖なる捏造だったかもしれない。完成とは、いつも捏造だ。足されたもう一つの椅子。そこに、ゴッホの真実がある。

デン・ハーグ市美術館《ジャガイモを食べる人たち》リトグラフ

デン・ハーグ市美術館が所蔵する《ジャガイモを食べる人たち》のリトグラフ。完成形に近い5人だが、配置と登場人物が違う。上野のゴッホ展で観た。このような試行錯誤を経て、ゴッホのマスターピースは完成していく。《ジャガイモを食べる人々》は、一夜の晩餐ではない。幾度となく描き直された、日々と魂の蓄積である。

 

《ジャガイモを食べる人々》へ至る道

ゴッホは食卓だけを見ていたのではない。土地を掘り、芋を植え、畑を耕し、収穫する。馬鈴薯の一生と、それを育てる人々の生き様を捉えてきた。時に離れ、時に顔のアップに迫って。時には農作業とは関係ない日常の風景を見守った。

ブラバント地方の農民の絵画を100枚以上も描き、技量を試す試金石にした。

それらすべてが、ひとつの食卓へとつながっていた。《ジャガイモを食べる人々》は、一夜の絵ではない。命の円環を描いた影の詩である。

デン・ハーグ時代

《泥炭湿原で働く女たち》1883年10月、ゴッホ美術館

《泥炭湿原で働く女たち》1883年10月

農作業をする女性たちの顔は描かれない。腰を折り、黙々と働く女たち。
空はどこまでも広く、大地は果てしなく黒い。土の声を、腰の角度で語る絵。

《泥炭の山のある農場》1883年11月、ゴッホ美術館

《泥炭の山のある農場》1883年11月、ゴッホ美術館

人がいない。だが、気配がある。土があり、空がある。人の存在は、そこに染み込んでいる。ゴッホが描く農民や農村の絵はオランダの魂そのもの。オランダという国もまた、「人の手でつくられた国」ともいえるほど、干拓によって国土を拡大してきた国。

国土の約4分の1が海抜0メートル以下にあり、多くの土地は干拓(ポルダー)によって海や湖から造成された。風車は排水のために使われ、干拓地を維持するのに欠かせない存在。

オランダは、自然と闘いながら、人が土地を育てた風土。オランダは曇りがちで日照が少ない国。ゴッホは灰色の空と地面ににじむ光を描く。

ニュネン時代

《夕暮れのポプラ並木》1884年10月、ゴッホ美術館

《夕暮れのポプラ並木》1884年10月

農作業ではない、日常の一コマ。モーセのように道を割る。ミレーの晩鐘が聴こえてくるようだ。

《日暮のポプラ並木》1884年10月クレラー・ミュラー美術館

ゴッホ《日暮のポプラ並木》クレラー・ミュラー美術館

クレラー・ミュラー美術館は、さらに日暮れが強い。夕陽が人物の背中にあり見守っている。ゴッホは《ひまわり》の影響で夏のイメージが強いが、秋を最も愛した。

《暗色の帽子をかぶった農婦の顔》1885年1月、クレラー・ミュラー美術館

《暗色の帽子をかぶった農婦の顔》1885年1月

ゴッホ特有の太く黒い描線。肌の明るさに対し、帽子と背景の暗色のコントラスト。ゴッホの愛しさと切なさと力強さと。農家は休息より労働のほうが多い。そこに尊さが宿る。ゴッホは尊敬の眼差しを注ぐ。

《田舎家》1885年5月半ば、ゴッホ美術館

《田舎家》1885年5月半ば

《ジャガイモを食べる人々》を食べる人々のあとに描かれた一枚。自信作を描き上げたあとも、ゴッホは、農村の呼吸を描き続けた。ゴッホの詩は終わらない。

 

ゴッホの傑作絵画

ゴッホに逢える美術館

《ひまわり》

《ドービニーの庭》

《ばら》

《座る農婦》

オランダ黄金の美術館

過去のゴッホ展

原田マハの本

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