アートの聖書

美術館巡りの日々を告白。美術より美術館のファン。

ゴッホ《糸杉》《糸杉と星の見える道》空を縫う糸、地を焦がす火、魂の導管

ゴッホ《糸杉》メトロポリタン美術館

  • 英題:Cypresses
  • 邦題:糸杉
  • 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
  • 制作:1889年6月
  • 寸法:93 cm × 74 cm
  • 所蔵:メトロポリタン美術館 (ニューヨーク)

なぜゴッホが「炎の画家」と呼ばれるのか。その答えは、この一枚に凝縮されている。

数ある「糸杉」の連作の中でも、これは別格。緑の炎。天を突き抜けるように、カンヴァスからはみ出す勢いで燃え上がる。その業火に炙られ、足元の草花も歪み、揺れている。空は爽快な青、そこに浮かぶ雲も歪み、なぜか三日月も顔を出す。

何から何まで理不尽な絵。「ゴッホの筆跡」が完成された瞬間の絵。だから力強い。そして、圧倒的に美しい。炎は燃えているようで癒やしでもある。焚き火の前で人は沈黙し、その色と音を抱きしめるように。

この絵はゴッホ自身も「糸杉を描いた連作で最高傑作」と語った自信作。炎上と鎮魂を描いた、火の肖像である。

ゴッホ《糸杉》メトロポリタン美術館

メトロポリタン美術館の《糸杉》は、2019年に上野の森美術館に来日した。

ゴッホがアルルで見つけた究極が《ひまわり》なら、療養先のサン=レミ=ド=プロヴァンスで出逢った究極が「糸杉」。

糸杉はヒノキ科の針葉樹。花言葉は死・哀悼・絶望。樹齢が極めて長く、生命や豊穣のシンボルでもある。キリストが磔(はりつけ)にされた十字架も糸杉の木。ゴッホはテオへの手紙で、「糸杉はエジプトのオベリスク(石塔)だ」と感じていた。

この昼の《糸杉》を描きあげた同じ月、ゴッホはあの世紀の大傑作《星月夜》を描き上げる。

ゴッホ《糸杉》メトロポリタン美術館

新宿のSOMPO美術館の前にあるイチョウの木を見上げるたび、ゴッホの描いた糸杉を思い出す。黄葉に彩られる秋や冬より、緑の春や夏のほうが生命力を感じる。ゴッホが糸杉に魅せられたのが、わかる気がする。

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ちなみに、岡本太郎は幼少の頃、家に《アルルの跳ね橋》と《糸杉》の複製画が飾られていた。著書『美の呪力』で述懐している。

幼な心に私は、珍しさ、新鮮さよりも、なにか重苦しい、やりきれなさのようなものを感じた。たしかに強烈にうってくる。だが辛かった。

《糸杉と星の見える道》

ゴッホ《糸杉と星の見える道》クレラー・ミュラー美術館

  • 原題:Cypres bij sterrennacht(オランダ語)
  • 英題:Country Road in Provence by Night
  • 邦題:糸杉と星の見える道、夜のプロヴァンスの田舎道
  • 作者:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
  • 制作:1890年5月
  • 寸法:90.6 × 72 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:クレラー・ミュラー美術館(オランダ)

ゴッホの「糸杉」といえば、《糸杉と星の見える道》を指す場合も多い。《星月夜》から1年後に描かれ、サン=レミを旅立つ前に描かれた最後の一枚。

糸杉が中央にそびえ立ち、星と月とを分かち合う。それは、夜空と夜道を照らす蝋燭であり、地上から天へと祈りを運ぶ煙突、魂の導管。

足元にはノコギリのような黄金の麦畑。波打つように道をつくり、波動拳のように曲がりくねって人々を導く。その道を、歩行者と馬車が静かに行き交う。

ゴッホはこの絵に、自らの再出発の意志を込めた。ゴッホは、これから新たな道に進もうとしている。道を繕うとしている。糸杉は「人生を縫う糸」。星と月が同時に空に浮かぶのは、新しい朝が始まろうとしているから。ゴッホの次のステージの夜明けである。

ゴッホが描いた多くの「糸杉」

《糸杉のある麦畑》1889年6月、メトロポリタン美術館

《糸杉のある麦畑》1889年6月、メトロポリタン美術館

《糸杉》と同じくメトロポリタン美術館の所蔵。ゴッホの十八番である《麦畑》とセットになった一枚。手前には死を象徴するケシの花。最初の《糸杉》に比べて少し落ち着き、カンヴァスの大部分が青空。麦畑と糸水、白雲の揺れによって「風」を描いている。これは空気、風が主役の絵画。《星月夜》の昼バージョンと言える。

《糸杉のある麦畑》1889年9月、ロンドン・ナショナル・ギャラリー

《糸杉のある麦畑》1889年9月、ロンドン・ナショナル・ギャラリー

《糸杉のある麦畑》1889年9月、ロンドン・ナショナル・ギャラリー

同じ構図、タイトルの《糸杉のある麦畑》を3ヶ月後にも描いている(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)。

《糸杉と二人の女性》1890年2月、ゴッホ美術館

ゴッホ《糸杉と二人の女性》1890年2 月

画面中央の糸杉は、そこに立っているのではない。燃え上がる炎のように、ふたりの女性を飲み込もうとする。この糸杉には、単なる自然ではない、性的な力動が宿っている。《星月夜》と並び、「男根」としての象徴性が極めて強い。繁茂する葉のうねり、密集したタッチはゴッホの陰毛。衰えぬ情熱と、本能の叫び、生命の衝動が満ちている。

《糸杉と二人の女性》1890年2月、ゴッホ美術館

糸杉の足元に立つ女性は手に花束を持っている。献花なのか、祝福なのか。その花からモクモクと煙が上がっているようでもある。この糸杉は、死者を火葬している。

ゴッホのサン=レミ時代

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