アートの聖書

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ピカソ『青の時代』〜静寂の深海に潜む光、ブルー・ピカソが描いた青の宇宙

ピカソ『青の時代』〜静寂の深海に潜む光、ブルー・ピカソが描いた青の宇宙

10万点を超える芸術作品を生み出したパブロ・ピカソの絵画のなかで「最も美しいページ」と称されるのが「青の時代」、いわゆる「ブルー・ピカソ」である。

ピカソの「青の時代」は、「ブルー・ピリオド」または「ブルー・ピカソ」とも呼ばれ、1901年から1904年までの活動期間に描かれた一連の作品群を指す。

ピカソの「青の時代」とは

ピカソ《母と子》1902年

ピカソ《母と子》1902年

ピカソの「青の時代」(1901~1904年頃)とは、精神的苦悩を抱えたピカソが、青や青緑を基調とした色調で、貧困、孤独、絶望といった重いテーマを表現した時期を指す。

およそ70〜100点前後が制作され、全体に青や青緑の寒色が支配し、孤独、貧困、死といった主題が多く取り上げられている。人物は痩せ細り、沈黙の中に沈むような印象を与える。感情を抑制した色彩の中に、凍りついた時間の祈り、孤独の聖堂、深い人間の意志が滲んでいる。

青の時代の原点・源流

ピカソが描いた父の肖像画

その原点は、ピカソが15歳のときに描いた、青一色の父親の肖像画にまで遡ることができる。着想としては、画学生の頃にプラド美術館に通い、ベラスケスやエル・グレコの青を模写した経験が大きいと考えられる。緑は地上的な色であり、青は天上的な色。ピカソはこの象徴性を引き継ぎつつも、ブルー・ピカソにおいてはまったく異なる趣を与えた。ピカソの青は冷たさや沈黙の中に、人間存在そのものの問いを刻み込んでいる。

美術史家がこじつける"親友の死"

《カサジェマスの死》1901年、パリピカソ美術館

《カサジェマスの死》1901年、パリピカソ美術館

一般的に、ピカソが「青の時代」に入ったのは、1901年に深刻な鬱状態に陥り、その原因は、親友カルロス・カサジェマスの自殺とされる。しかし、実際には、死因となった女性ジェルメーヌをピカソは愛人としている。

《カサジェマスの埋葬》1901年

また、カサジェマスの自殺以前にも、ピカソの絵画には青の彩色の作品があり、カサジェマスの死が青の時代のトリガーであるという美術史家の解釈は、ピカソ伝説をドラマチックにする、こじつけにすぎない。

むしろ、食うことにも困り、自身の絵が評価されなかった貧困などが「青の時代」の画風を生んだ可能性が高い。

青の時代のブルーの正体

《アイロンをかける女性》1901年
  • プルシャンブルーやウルトラマリンの顔料を主体にしたこと
  • 油彩特有の透明感を生かした重ね塗り
  • 下地にグレーや茶系を用い、青を沈ませる工夫

青の時代にピカソが多用したのは、当時すでに普及していた合成顔料のプルシャンブルー(Prussian Blue)やウルトラマリンブルー 。

  • プルシャンブルー(1704年ドイツで発明):深みのある青で、安定性が高く、比較的安価。19世紀以降ヨーロッパ絵画で広く使用
  • ウルトラマリンブルー:ラピスラズリを原料にした天然の超高級顔料に代わり、1828年に合成品が開発され、鮮やかで透明感のある青が安価に入手可能

ピカソはこれらの顔料を油絵具として使い分け、混合や塗り重ねによって、単なる「青」ではなく冷たさ・深さ・透明感を兼ね備えた独自のブルーを生み出した。特に、グレイッシュな下地や白との混色を加えることで、空気を含んだような沈んだ青を表現している。

フェルメール、広重との違い

《スープ》1902-03年、オンタリオ美術館

《スープ》1902-03年、オンタリオ美術館

有名なフェルメール・ブルーは、静謐と冷ややかな透明感をもたらし、広重ブルー(浮世絵ブルー)は、都市の活気や旅情、自然の移ろいを鮮やかに伝える。ブルー・ピカソは、対照に冷たさや重さを帯びる。グレーや黒との混合で沈鬱さを強調している。

ピカソの青の時代の傑作たち

クリーブランド美術館の《人生》の展示

サファイアのような宝石の輝きを放つピカソの「青の時代」の中でも、特に傑作を挙げるとしたら5つである。

《自画像》

ピカソの青の時代  《自画像》

  • 原題:Autoportrait
  • 制作:1901年
  • 寸法:81 x 61 cm
  • 所蔵:ピカソ美術館(パリ)

青の静寂に包まれた、20歳前後のパブロ・ピカソの自画像。こけた頬に無精ひげ。コートは重く、背景は冷たい。身体は縮こまり、声も音もない。

陰鬱さが全身から染み出しているが、その瞳には、夜の海を渡る月光のような意志が宿っている。自信の肖像ではない。確信の不在を知りながら、それでも前へ進もうとする男の顔。成功も名声もまだ遥か先にある。手の中にあるのは、不安と失意、そして筆だけ。それでも、描く者の宿命を、拒まず、逃げずに受け入れる。

何も誇らない。目の奥だけ、時代を貫いている。鋭さでも野心でもなく、もっと深く、もっと柔らかい、歩き続けるという決意。

《盲人の食事》

ピカソ、青の時代、《盲人の食事》

  • 英題:The Blind Man's Meal
  • 制作:1903年
  • 寸法:95.3 x 94.6 cm
  • 所蔵:メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

左手でパンを掴み、右手は飲み物を求める。匂いも、色も、この世界から遮断された盲人にとって、唯一確かなもの。それは触れること。空腹を満たすためでなく、存在を確かめる。

視覚でも嗅覚でもなく、触覚で食べ物と対話をする。それは温もりを求める行為。手を伸ばす先にあるのは、この世で最も不確かで、確かなもの。生きることとは、欠落と共にある。盲人の微笑みは慈しみであり、自らの後悔を抱擁する。

《人生》

ピカソの青の時代  《人生》

  • 原題:La Vie
  • 制作:1903年
  • 寸法:196.5 x 129.2 cm
  • 所蔵:クリーブランド美術館(アメリカ)

「青の時代」で最も有名な一枚。「人生とは何か」ではなく、「人生にどう立つか」という問いの一枚。背後に描かれた、うなだれる人物たちは過去の存在。過去は人生の中で、背景に過ぎない。

今を生きる手前の男女はしっかり屹立し、眼にも力が宿っている。男だけが下着で女は全裸。性的不能であっても、前に進む意思がある。互いに寄り添い、そして前を向く。

この世で最も強い生きもの「母」が見守る。人生は、癒えぬ傷の上に立ち、それでも誰かの手を取ることで始まる。

《悲劇》

ピカソ《悲劇》

  • 原題:The Tragedy
  • 制作:1903年
  • 寸法:105.3 x 69 cm 
  • 技法:油彩、板
  • 所蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー

父と子は身を寄せ合い、体をこちらに向けている。母だけが距離を取り、鑑賞者に背中を向けている。父は腕を組み、少年は手を前に差し出す。二人が「外の世界」へ向かおうとする社会的動物であるのに対し、母親は身体を閉じて内面へ沈み込んでいる。

女性は「祈り」や「受容」に近い静けさを感じさせ、東洋的な菩薩のようである。母性的な存在が苦しみを背負いながらも、その痛みを抱きしめている。男性と子どもに対して距離を置いているように見えるのは、男たちを「見守る位置」に立っているからである。背を向けるのは「自己を差し出して風よけとなる」ような役割を担っている。

《老いたギター弾き》

ピカソ《老いたギター弾き》

  • 英題:The Old Guitarist
  • 制作:1903–04年
  • 寸法:122.9 cm × 82.6 cm
  • 技法:油彩、パネル
  • 所蔵:シカゴ美術館(アメリカ)

静けさの中に深い情感が宿り、人生の絶望と希望が音楽というかたちで昇華されている。ギターは魂の最後の灯火として描かれ、孤独の中にも豊かな共鳴がある。沈黙の音楽として、人間の最も純粋な瞬間を象徴している。音楽に喩えるなら、青の時代はピカソが奏でる"ブルース"といえる。

ピカソ「青の時代」がある美術館

日本で観られるピカソの青の時代

愛知県美術館

パブロ・ピカソ 《青い肩かけの女》1902年

パブロ・ピカソ 《青い肩かけの女》1902年

諸橋近代美術館

パブロ・ピカソ《貧しき食事》1904年

パブロ・ピカソ《貧しき食事》1904年

ひろしま美術館

《酒場の二人の女》パブロ・ピカソ,1902年

パブロ・ピカソ《酒場の二人の女》,1902年

ポーラ美術館

パブロ・ピカソ《海辺の母子像》1902 年

パブロ・ピカソ《海辺の母子像》1902 年

海外の美術館にあるピカソ「青の時代」

ボルチモア美術館

《前髪の女》1902年、ボルチモア美術館

《前髪の女》1902年、ボルチモア美術館

デトロイト美術館

《憂鬱な女》1902–03年、デトロイト美術館

《憂鬱な女》1902–03年、デトロイト美術館

シカゴ美術館

《髪の兜をかぶった女性》1904年、シカゴ美術館

《髪の兜をかぶった女性》1904年、シカゴ美術館

サンパウロ美術館

《スザンヌ・ブロックの肖像》1904年、サンパウロ美術館

《スザンヌ・ブロックの肖像》1904年、サンパウロ美術館

プーシキン美術館(モスクワ)

《 老いたユダヤ人と少年》1903年、プーシキン美術館

《 老いたユダヤ人と少年》1903年、プーシキン美術館

なぜ「青の時代」に惹かれてしまうのか

《アンヘル・フェルナンデス・デソト氏の肖像》1903年、個人蔵

《アンヘル・フェルナンデス・デソト氏の肖像》1903年、個人蔵

ピカソの「青の時代」を前にしたとき、しばしば暗く沈んだ気分に包まれる。孤独、貧困、死。画面に描かれるのは希望よりも不安であり、慰めよりも絶望である。それでも、なぜか絵に惹かれ、何度も立ち止まり、胸を打たれてしまう。

その理由は、青という色がもたらす「二重性」にある。青は冷たさの色でありながら、同時に深遠で清らかな色でもある。地上的な緑と対比される、天上的な青。ピカソが選び取ったのは、絶望を描く色ではなく、人間がなお生きようとする意志を浮かび上がらせる色だった。沈鬱さの中にある光こそが、青の時代をただの暗さに終わらせず、心を掴んで離さない。

「青の時代」は、過剰な表現を避けている。登場人物は痩せ細り、声を失い、ただ沈黙している。その沈黙は空虚ではなく、想像力を呼び覚ます余白となる。言葉を超えた苦悩、説明を拒む悲しみ。それらを自らの記憶と結びつけてしまうのだ。だからこそ、どこか個人的に触れてしまう。

そして、「青の時代」の魅力は、その普遍性にある。ピカソが描いたのは、特定の時代や人物の物語ではない。乞食、盲人、母子、ギター弾き。そこに表れるのは、社会の底辺に生きる名もなき人々であり、寄るべなき日々は時代を超える。青の静寂は、避けられない孤独や死を映し出しながらも、同時に生きる意志の火をかすかに灯している。

だからこそ、陰鬱で暗いはずのピカソの「青の時代」は、観る者を突き放さない。その冷たい青の奥底で、自分自身の「生」を見つめ直し、寄り添われているような感覚に包まれる。絶望の中でなお人を惹きつけるのは、そこに静かに漂う「人間の尊厳」という、最も美しいものが描かれているからなのである。

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