
ゴッホが残した約38点の自画像のうち、最も有名な一枚は、アルル時代に描かれたものである。理由は絵画的に優れていることに加え、あまりにも有名な「耳切り事件」が絡んでいるからである。
ゴッホが包帯姿の自画像
《包帯をした自画像》

- 英題:Self-Portrait with Bandaged Ear
- 制作:1889年1月
- 寸法:60x49cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:コートールド・ギャラリー(ロンドン)
1889年1月、アルル市立病院の退院から1週間後に描いた一枚。左耳の大部分を切り落としたが、鏡に映る自分の絵を描いたため、包帯が右耳に巻かれている。
顔はやつれ、包帯が痛々しい。何かを訴えるような眼。過去の修復ではなく、傷ついた「いま」と「これから」を生き抜く決意がそこにある。
緑のコート、緑の壁、緑は、治癒の色。自らを描くことで、自らを再生する。他者に許しを乞う眼ではなく、自分自身に向けた眼差し。人生は一筆描きではない。何度でも、生まれ直せる。そんなゴッホの声が聞こえる。
豆知識

この自画像の背景にはイーゼルに置かれたカンヴァスと、1870年代の日本の版画《風景の中の芸者(Geishas in a Landscape)》が飾られている。

1889年1月17日に弟テオに宛てた手紙の中で、ゴッホは新しい自画像を描いたと述べており、死後はタンギー爺さんが所蔵した。1928年にサミュエル・コートールドが購入し、現在はロンドンのコートールド・ギャラリーに所蔵されている。
もう一枚の《包帯をしてパイプをくわえた自画像》

- 制作:1889年1月
- 寸法:51x45cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:個人蔵
同じくアルルでの「耳切り事件」のあとに描かれたもの。眼がやさしくなり、パイプをくゆらせるのは落ち着いた証。
怒りも嘆きもない。あるのは、ただ静かに煙をくゆらす男の横顔。パイプの煙が、薄く空を撫でる。その煙は魂の換気のように、内側の混沌を昇華していく。
背景は橙と赤。炎のように、燃え上がる熱ではない。燃え尽きたあとの残照。温もりを残す色。それでも生きているという存在証明の色。
片耳を包帯で覆い、帽子を深くかぶり、やさしい眼差しは、自分を責めない。
「痛みを抱えたまま生きる」という肯定。破れた心でも、日々は続く。煙のように、ゆっくりと。そんなゴッホの再生の意思が感じられる。
「耳なしの自画像」は、ゴッホが自らの痛みを芸術へと昇華させた証として、今なお強烈な印象を与え続けている。事件の真相が曖昧なまま語り継がれることもまた、ゴッホという存在を「伝説」に押し上げた要因のひとつ。映画や文学、現代のポップカルチャーに至るまで引用されるこの出来事は、ゴッホの名と切り離せない象徴となっている。
ゴッホの耳切り事件とは

1888年12月23日、南仏アルルで起きた「耳切り事件」は、ゴッホの人生の中で最も衝撃的に語り継がれている出来事のひとつである。友人であり画家仲間のポール・ゴーギャンとの口論の後、ゴッホは錯乱状態に陥り、自らの左耳を傷つけたとされる。

この事件は瞬く間に地域社会や新聞で報じられ、ゴッホの精神的な不安定さを象徴するエピソードとして知られるようになった。
先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のゴッホと称する画家が娼館に現れ、ラシェルという女を呼んで、「この品を大事に取っておいてくれ」と言って自分の耳を渡した。そして姿を消した。この哀れな精神異常者の行為の通報を受けた警察は、翌朝この人物の家に行き、ほとんど生きている気配もなくベッドに横たわっている彼を発見した。この不幸な男は直ちに病院に収容された。
— 『ル・フォロム・レピュブリカン』1888年12月30日

アルル市立病院でゴッホの治療を担当したのは23歳で、まだ医師資格を持っていない研修医のフェリックス・レー。出血を止め、傷口を消毒し、感染症を防止できる絹油布の包帯を巻いた。ゴッホの自画像の包帯も、この治療法があって生まれた。ゴッホはのちに、医師の肖像を描いている。

フェリックス・レー医師は、1930年にゴッホの回顧録の取材の際、耳の図を描いている。点線に沿って耳を切り落とし、耳たぶの一部が残ったと語った。
弟のテオは、12月24日夜の列車でアルルに急行し、翌日ゴッホを見舞うとすぐにパリに戻った。その際、ゴーギャンも、テオと同じ夜行列車でパリに戻った。
ゴッホは翌年の1月7日に退院許可が下り、「黄色い家」に戻った。そこで描いたのが包帯を巻いた、耳なしの自画像である。
事件を機にゴッホは精神異常をきたし、サン=レミの療養院へ移った。ゴッホの絵は歪んでいったが、療養生活の中でも創作をやめることはなく、《星月夜》や《糸杉》や《花咲くアーモンドの木の枝》など、ゴッホの最高傑作となる作品群が生まれている。耳切りという衝撃的な出来事は、むしろゴッホの芸術表現をさらに深めるきっかけとなった。
耳切り事件の史料と真相をめぐる諸説

長年にわたり、ゴッホが自ら耳を切り落とした説が一般的だが、「ゴーギャンが剣で傷を負わせた」とする異説も存在する。ゴーギャンはパリから黄色い家に引っ越しをするとき、趣味であったフェンシングの剣を護身用に持参している。ゴッホの切り落とされた耳の角度から、自身で切ったのではなく、他者が切ったと分析する医師もいる。親友だったゴーギャンが逮捕されないよう、ゴッホが庇ったと見る説もある。
その理由として、ゴッホは事件が起きた原因や経緯の詳細を語っておらず、現在広く知られる事件のストーリーは、ゴッホの死後にゴーギャンが新聞記者に語った内容がもとになって流布したものである。ゴーギャンが書いた自伝の中でも、ゴッホがゴーギャンの背後から剃刀を手に突進してきた話が付け加えられているが、その信憑性も疑問が残る。当事者の証言ではあるが、どこまで事実かは確かではない。
また、ゴッホが弟のテオへの手紙に「なぜゴーギャンは消息を知らせてこないのか?」という手紙を書いており、ゴッホがゴーギャンのことを庇ったことを匂わせる。
警察や病院の記録は残されているものの、切除の範囲や事件直後の詳細については断定できず、いまなお研究者の間で議論が続いている。
また、誤解が多いが、アルルでの決別後、ゴーギャンとゴッホは二度と再会することはなかったが、手紙のやり取りは続いている。

ゴッホがサン=レミの精神病院で描いた《渓谷》の習作をアンデパンダン展で観たゴーギャンは、この絵と自分の絵を交換して欲しいとテオに頼み、ゴッホにも賞賛の手紙を送っている。
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