
- 原題:De Toren van Babel(オランダ語)
- 作者: ピーテル・ブリューゲル
- 制作: 1563年頃
- 寸法:114 cm × 155 cm
- 技法:板に油彩
- 所蔵: 美術史美術館 (オーストリア)
世界最高の絵画のひとつ。建築物を描いた絵画で他を寄せ付けない。浪漫や神秘性を前面に押し出しているわけではない。だが、写実性や技巧の巧さでは到底説明できない「魔力」がある。美術史家が語る、権力、狂気、傲慢、労働、崩壊、都市化、時間、言語の分断などのテーマは関係ない。この絵がバベルの塔だと知らなくても言葉を失う。

ブリューゲルが描いた塔には、天まで届きそうな高さはない。ハウルの動く城は、ハウルの心臓の形をしていたが、ブリューゲルの《バベルの塔》は、王冠の形をしている。左に傾いている。
カリオストロの城と同じ、滅びの美学が詰まっている。城は炎上するから美しい。バベルの塔も崩壊するから美しい。金閣寺炎上を何倍もスケールアップした「終焉の美」
ただの“塔の絵”ではない。「無常の鐘」の絵。振動が伝わってくる戦慄と旋律。「バベルの塔」とは曲名なのだ。
そして、真の主役は“塔”ではない。背景である。これが他の画家や、《小バベル》との決定的な違い。
人間は滅びがあるから希望がある。戦争があるから平和がある。現実があるから夢がある。終わりがあるから始まりがある。
どこまでも広がる地平線。そこには、浪漫しかない。神秘しかない。地平線の向こうに続くのは、終わりではなく“旅”の始まり。神はなぜ、人々がひとつに集まることを禁じたのか?それは「散らばれ」と命じたのではなく、「旅をしろ」と告げたのだ。
冒険の素晴らしさ、未知へのときめきを思い出させるために、塔を崩した。アダムとイブが楽園に飽き、人類に旅が生まれたように、定住するのではなく、広い世界を見ろと神様は言っている。怒ったのではない。優しく諭したのだ。
ブリューゲルの描いた《バベルの塔》は、崩壊の象徴ではない。旅立ちの法螺貝であり、冒険へのファンファーレなのである。
もうひとつの《バベルの塔》-構造の完成、浪漫の欠如

- 制作: 1568年頃
- 寸法:60 cm × 74.5 cm
- 技法:板に油彩
- 所蔵: ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (オランダ)
最初の《バベルの塔》、すなわち《大バベル》の後に描かれた《小バベル》。技術としては洗練され、緻密で、完璧に構成された建築美の一例である。だが、絵画とは技術以上のもの。崩れゆくものの中に、未来を夢見る人間の姿がある。それが欠けたとき、塔はただの塔にすぎなくなる。《小バベル》は静かに完成し、静かに閉じている。
スケールの後退。サイズも、密度も、視野の広がりも、すべてが抑制されている。塔のフォルムは整いすぎて、塔の先端さえ、画面の中にきちんと収まってしまっている。「構図の中で完結した夢」になっている。まるで「聖書」のようだ。聖書で完結しては意味がない。聖書を読んで、そこから人生が始まらなければ意味がないのに、多くの信者は聖書で完結してしまっている。それが《小バベル》
塔の構造は強固で、まるで崩れる気配すらない。滅びの予感こそが美だった《大バベル》に比べ、《小バベル》は頑丈すぎる。緊張感もない。美が“安全地帯”に避難している。
背景も近い。視点が手前に寄っていて、広がりが失われている。地平線の彼方にあるべき“旅”や“未知”の気配は薄れ、世界は塔の足元で閉じている。
唯一、見事なのが、空に浮かぶ緑がかった雲。だが、見る者の心を“遠く”へ運んでくれる力が足りない。《小バベル》は、崩れない。それゆえに、心が震えない。
その他の画家の《バベルの塔》

オランダにあるクレラー・ミュラー美術館に所蔵されているバベルの塔で有名な画家の作品。いい絵だが、塔や前景に力を入れすぎて、背景に力がない。ここがブリューゲルとの違い。
その点、塔を破壊し、その先の人生の始まりを描いた新海誠『雲のむこう、約束の場所』はすごい。新海誠はブリューゲルに迫っている。
山田五郎が解説するブリューゲル《バベルの塔》
『旧約聖書』の「創世記」には、人々が「天に届く塔を建てようとした傲慢さ」に神が怒ったとは、実は書かれていない。塔が破壊されたとも明記されていない。
人々は都市を築き、塔を建てることで街を中心に集まり、「離れ離れにならないように」と願っていた。神が問題視したのは、その“集まり”そのものであり、「人々が一箇所にとどまること」。当時、世界中の人々は同じ言語を話しており、言葉の分断は神による“分散”の手段として描かれている。
《バベルの塔》の原型とされるのは、古代メソポタミアのジッグラト(階段状の神殿塔)。ブリューゲルは、それに加え、自身の時代に即した建築モチーフを作品に重ねている。彼がモデルとしたのは、ローマのコロッセオ。すでに荒廃し、崩れかけていたこの建築物を、「権力の腐敗」や「文明の傲慢さ」の象徴として描き出した。
“バベルの塔”という主題は、時代とともに表現を変化させてきた。その都度、描き手の思想や当時の建築技術が反映されており、それこそがこのテーマの奥深さである。
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